キング年表
  • このページでは、スティーヴン・キングの生い立ちや、エピソード、出版履歴などを紹介しています。
  • 年表中、キングの著作についてはで表示してあります。
  • 同じく、映画、テレビ、カセットブックなどについては茶色で表示しています。
  • 年表中、特定の作品との影響が深いと思われるところは注釈がつけてあります(*青文字・・・地名と作品名  *赤文字・・・エピソードと作品名)

1/11 UPDATE!  1991年までの年表をアップしました。これまでの内容に補足を加えました。


1991
キング43歳
  • 3月、暗黒の塔シリーズ第三弾「荒地」限定版で出版。
  • 4月、ニュージャージー州のアン・ヒルトナーという女性が、「キングが自宅に侵入して、原稿を盗んだ上、なんの断りもなく自分をモデルにして「ミザリー」を書いた」としてキングを告訴。「ミザリー」の印税半分と、書店からの回収を求めた。
  • 同月、テキサス州出身の青年エリック・キーンが、キングの事務所と自宅に侵入。彼は自前の時限爆弾を持っていた。
  • 5月、短編「やつらはときどき帰ってくる」が映像化、CBSテレビで放映。
  • 7月、書き下ろし脚本による8時間のテレビミニシリーズ「ゴールデン・イヤーズ」がCBSで放映。
  • 10月、キャッスルロック最後の物語「ニードフル・シングス」刊行。
  • 秋、女流作家キャシー・カーメン・ゴールドバーグから、チャリティを目的としたバンド結成をもちかけられる。賛同したメンバーは、李ドリー・ピアスン、マット・グローニング、エイミ・タン、ロバート・フルガム、デイヴ・バリー、グレイル・マーカス、バーバラ・キングソルヴァーなど。音楽監督はアル・クーパー。「ロック・ボトム・リメインダーズ」と命名される。

1990
キング42歳
  • 5月、「ザ・スタンド」完全版が刊行。「クリープショー」「マーティ」のバーニ・ライトスンが12枚の挿画を寄せているが、これはキングのポケットマネーからの依頼によるもの。
  • 同月、キング所有のAMラジオ局「WZON」売却。
  • 同月、「フロム・ザ・ダークサイド」映画版公開。
  • 10月、中編集"Four Past Midnight"刊行。
  • 同月、映画「地下室の悪夢」公開。
  • 11月、テレビの4時間ミニ・シリーズ「IT」放映。
  • 12月、映画「ミザリー」公開。大ヒットする。アニー・ウィルクス役のキャシー・ベイツは、この作品でアカデミー賞主演女優賞受賞。
  • 同月、F&SF誌<キング特集>号発売。"The Moving Finger""The Bear"が掲載。

1989
キング41歳
  • 1月、1985年の<キャッスル・ロック>誌に4回にわたって連載された短編「ドランのキャデラック」が限定版で刊行。同じく限定版で"My Pretty Pony"刊行。
  • 同月、短編"The Rainy Seasons"をミッドナイト・グラフィティ誌に寄稿。
  • 同月、「暗黒の塔2:ザ・スリー」を、自身の朗読でカセットブック化。
  • 5月、書き下ろし短編「ホーム・デリヴァリー」を含む、スキップ&スペクター編のアンソロジー「死霊の宴」が限定出版。
  • 7月、「死霊の宴」ペーパーバック版刊行。
  • 同月、映画「ペット・セマタリー」公開。キングが初めて自作長編の脚本を担当。
  • 11月、長編「ダーク・ハーフ」刊行。

1988
キング40歳
  • 1月"The Eyes Of Dragon"、5月「ミザリー」のペーパーバック版刊行。
  • 3月、ブロード・ウェイ・ミュージカル「キャリー」が上演されるが、大敗し、上演打ち切りに。
  • 6月、長いスランプに終止符を打つように短編「雨季来る」完成。
  • 同月、「ミザリー」が第一回ブラムストーカー賞受賞。マキャモンの「スワン・ソング」と同時受賞だった。
  • 7月、限定版で発売された「暗黒の塔:ガンスリンガー」が、キング自身の朗読でカセットブック化。9月にはペーパーバックに。
  • 11月、ペーパーバック版「トミーノッカーズ」刊行。
  • 12月、通信紙<キャッスル・ロック>廃刊。
  • 写真集「中空の夢魔」刊行。初版は写真集としては破格の25万部。
  • タビサ婦人が長編第四作"Pearl"を刊行。

1987
キング39歳
  • 1月、普及版"The Eyes Of Dragon"、5月、限定版「暗黒の塔2:ザ・スリー」、6月にもともとはバックマン作品として出版予定だった「ミザリー」、11月、「トミーノッカーズ」刊行。限定版を除き、全てベストセラーに。
  • 5月、映画「クリープショー2」公開。キング関連映画の中ではじめてメイン州が撮影に使われた。
  • 11月、映画「バトルランナー」封切り。
  • テレビアンソロジー「フロム・ザ・ダークサイド」で、オリジナル脚本作品「不幸のビデオ」放映。

1986
キング38歳
  • 2月、CBSテレビ「トワイライト・ゾーン」で短編「おばあちゃん」が映像化され、放映。
  • 5月、ペーパーバック版「骸骨乗組員」がベストセラー第一位となる。
  • 7月、初監督映画「地獄のデビルトラック」封切り。成績は惨敗。制作費の半分も回収できなかった。
  • 8月、映画「スタンド・バイ・ミー」が封切られ、ロングラン上映の大ヒットを記録する。
  • 同月、長編「IT」が初版86万部という驚異的な部数で刊行。ベストセラー第一位に。
  • 10月、タイムの表紙に。

1985
キング37歳
  • 1月、スティーブン・キング通信紙<キャッスル・ロック>創刊。
  • 2月、バックマンのペンネームが暴露される。
  • 映画「地獄のデビル・トラック」の脚本を完成。監督として、ノースカロライナ州ウィルミントンでの撮影に取り掛かる。
  • 6月、第二短編集「骸骨乗組員」、10月、過去4つのバックマン作品を収めた合本「バックマン・ブックス」の大型ペーパーバックを刊行。これに併せ、ペーパーバックになった「タリスマン」「痩せゆく男」の計4冊が同時にベストセラー入り。出版史上の快挙。さらに11月には「バックマン・ブックス」のハードカバーがこれに加わり、5冊同時にチャートインするという事態となった。
  • 4月、映画「キャッツアイ」、10月、映画「死霊の牙」封切り。
  • フランク・ダラボンによる自主映画「老母の部屋」(短編「312号室の女」)、「ブギーマン」を収めたビデオ「ナイトシフト・コレクション」発売。
  • テレビ・アンソロジー「フロム・ザ・ダークサイド」で、短編「神々のワードプロセッサ」が映像化され、11月に放映。
  • タビサ夫人が長編第三作"The Trap"を刊行。

1984
キング36歳
  • バックマン名義の作品として「痩せゆく男」「ミザリー」、そして映画「死霊の牙」「マーティー」の映画化)の脚本が完成。
  • 3月、映画「チルドレン・オブ・ザ・コーン」、5月、映画「炎の少女チャーリー」封切り。
  • 10月、初版60万部で「タリスマン」を刊行。ペーパーバック版「ペット・セマタリー」と共に、ベストセラー第一位。
  • 11月、バックマン名義で「痩せゆく男」、12月、限定版"The Eyes Of Dragon"刊行。

1983
キング35歳
  • 1月、自作を怖がって読まない長女ナオミのためにファンタジー「ナプキン(のちにThe Eyes Of Dragonに改題)」を創作。
  • 「タリスマン」、「トミーノッカーズ」"The Napkins"(後に"The Eyes Of Dragon"に改題)の初稿、映画「キャッツアイ」の脚本完成。
  • 4月、「クリスティーン」刊行、ベストセラー入り。
  • 11月、「ペット・セマタリー」刊行、ペーパーバックとなった「クリスティーン」とともにベストセラー第一位。
  • 「マーティー」を限定出版。
  • 8月、映画「クジョー」、10月、映画「デッド・ゾーン」、12月、映画「クリスティーン」が立て続けに封切り。
  • タビサ夫人が長編第二作"Caretakers"を刊行。
  • 地元AM局を買収。放送局名をWZONとし、ロック専門局とする。

1982
キング34歳
  • 限定出版の「暗黒の塔・ガンスリンガー」、バックマン名義の「バトルランナー」、コミック版「クリープショー」、中編集「恐怖の四季」(ベストセラー入り)を刊行。
  • ペーパーバック版「クージョ」がベストセラー第一位に。
  • ピーター・ストラウブと共に「タリスマン」の執筆を開始。
  • "The Cannibal"(未完)の執筆を開始。
  • 9月「死の舞踏」でヒューゴー賞ノンフィクション部門賞、10月、「入り江」で世界幻想文学賞短編部門賞、さらに「クージョ」が英国ファンタジー大賞を受賞。
  • 10月、映画「クリープショー」封切り。
  • アメリカン・エクスプレス・カードのコマーシャルに出演。
  • スターモント社からダグラス・E・ウィンター著「スティーヴン・キング」、アンダーウッド−ミラー社からティム・アンダーウッド&チャック・ミラー編「恐怖それ自身」といったキング関連書が出版されはじめる。
  • クリスマスカード代わりに書簡体のコミック・ホラー小説"The Plant"を、親しい友人、知人に向けて刊行。そのため、自身の出版社フィルトラム・プレスを設立。

1981
キング34歳
  • 脚本家兼出演者として「クリープショー」に参加。
  • 評論「死の舞踏」「クージョ」、バックマン名義で「ロードワーク」を刊行。
  • 8月、ハードカバー「クージョ」とペーパーバック「ファイアスターター」が同時にベストセラー第一位に。
  • タビサ夫人が処女作「スモールワールド」を刊行。

1980
キング33歳
  • 1月、ペーパーバック版「ザ・スタンド」がべストセラー第一位となる。
  • メイン州バンゴアに転居。センター・ローヴェルの家は夏の別荘として使うことになる。
  • 5月、映画「シャイニング」封切り。タイアップ版ペーパーバックが再びベストセラーリスト入り。
  • 8月、ハードカバー「ファイアスターター」、ペーパーバック「デッド・ゾーン」刊行。ともにベストセラー第一位になり、全出の「シャイニング」と併せて、3冊同時にリスト入りの快挙を成し遂げる。
  • ジョージ・A・ロメロの映画"Knightriders"に出演。
  • 「IT」の初稿完成。
  • キングのエージェント、カービー・マッコリーによるアンソロジー「闇の展覧会が刊行。

1979
キング32歳
  • 「クリスティーン」「ペット・セマタリー」、初のノンフィクション「死の舞踏」の初稿、映画「クリープショー」の脚本を完成。
  • 7月「死のロングウォーク」をバックマン名義で刊行。
  • 8月「デッド・ゾーン」刊行。初のハード・カバーベストセラー第一位となる。
  • センター・ローヴェルに戻る。
  • 11月「呪われた町」のテレビ化「死霊伝説」がCBSテレビで放映。

1978
キング31歳
  • 母校メイン大学での講義を持つ。この時の講義内容が、ノンフィクション「死の舞踏」に生かされる。
  • メイン州オリントンに転居。
  • 第一短編集「ナイトシフト」と長編「ザ・スタンド」を刊行。後者はベストセラー入り。
  • 出版社をダブルデイからヴァイキングへ移す。
  • 11月、長女ナオミの飼い猫スマックが事故死。近所の「ペット・セマタリー」へ埋葬(*)*「ペット・セマタリー」

1977
キング30歳
  • 2月、第三作「シャイニング」を刊行。売上5万部を記録し、初のハードカバー・ベストセラーとなる。
  • 次男オーエン誕生。
  • 「デッド・ゾーン」「ファイアスターター」の初稿完成。それぞれを仕上げた直後、「刑務所のリタ・ヘイワース」「マンハッタンの奇譚クラブ」も執筆。
  • 1年の滞在予定でイギリスへ休暇旅行へ出発。このときピーター・ストラウブと初めて出会い、「タリスマン」共作の話が交される。結局3ヵ月で帰国。その間に「クージョ」の初稿が完成。
  • メイン州センター・ローヴェルに転居。
  • リチャード・バックマンのペンネームで、初期作品"Getting It On""Rage"と改題して刊行。

1976
キング29歳
  • "Welcome to Clear Water""The Corner"の執筆を開始するが破棄。
  • 8月「呪われた町」ペーパーバック版刊行。220万部の売上を記録し、ベストセラーリストの1位に輝いた。
  • 11月、映画「キャリー」が封切られ、大ヒット。映画とのタイアップ版ペーパーバックも260万部の爆発的売れ行きを達成。
  • 初めての著作エージェントにカービー・マッコリーを雇用。

1975
キング28歳
  • 「シャイニング」完成。
  • 「シャイニング」完成後の余力で中編「ゴールデン・ボーイ」を執筆。
  • メイン州ブリッジトン(*)に購入した家に転居。*霧

1974
キング27歳
  • 「キャリー」、ダブルデイ社よりハードカバーで刊行。
  • 「呪われた町」脱稿。続けて中編「スタンド・バイ・ミー」と、「ロードワーク」を執筆する。
  • コロラド州ボールダー(*)に転居。*ザ・スタンドのフリーゾーン
  • "The House on the Value Street"の執筆を開始するが頓挫。この作品はのちに「ザ・スタンド」へと発展する。
  • タビサと二人でハロウィン休暇にエスティス・パークにあるスタンレー・ホテルに滞在。シーズン最後の日で、客は彼らだけだった。そこにはジャングルのようなカーペット、壁にかかった旧式の消火器などがあった。キングはその夜、浴槽で溺れそうになる。(*)*「シャイニング」
  • 「シャイニング」の執筆を開始。

1973
キング26歳
  • 長編「キャリー」をダブルデイ社のビル・トンプスンに送る。最後の50ページを書き直し、3月、ようやく出版OKの返事をもらう。その時のハードカバーのアドヴァンス料は2500ドルだった。
  • 5月、ニュー・アメリカン・ライブラリー社から、「キャリー」のペーパーバック権を40万ドルで買いとりたいとの申し出がある。当時、「ゴッド・ファーザー」のペーパーバック権が42万ドルで売れたことが空前の話題となっていた。この成功により、キングは教職を退き、作家業に専念することができるようになる。
  • 最愛の母、ネリーが癌のため死去(*)。*312号室の女
  • メイン州、ノースウィンダムに転居。
  • キャリーの脱稿後、"Blaze""Second Coming"を執筆。"Blaze"は現在に至るも未発表、"Second Coming"は、大幅に訂正して書きのばし、「呪われた町」となった。
  • キャバリエ誌に「子取り鬼」「トラック」「灰色のかたまり」といった短編が掲載される。

1972
キング25歳
  • 「バトルランナー」をダブルデイ社に送るが、「書き直した方がよい」と突き返される。さらにエース・ブック社にも「ネガティヴなユートピアものには興味がない」と断られ、さすがにショックをうけたキングは酒浸りの毎日(*)を送る。*シャイニング
  • 第二子、長男ジョージ誕生。
  • キャバリエ誌に「やつらの出入口」「戦場」「人間圧搾機」「震える弾丸」といった短編が掲載される。
  • 巷では「ローズマリーの赤ちゃん」や「悪を呼ぶ少年」がベストセラーになっている折、キングは雑誌に買い取られていく自作の短編がホラーであるのに対し、突き返される長編はそうでないことに気付き、キャバリエ誌のために書きはじめていた「キャリー」に再び取りかかるが、冒頭の2ページで早くも躓き、原稿を屑篭に捨ててしまう。それを発見したタビサが、先を続けるように励まし、「キャリー」は、いつしか長編にまで膨れ上がっていった。

1971
キング24歳
  • 1月、大学4年生だったタビサと結婚。
  • 時給1ドル25セントで、ガソリンスタンドの店員として働き始めるが、その後すぐ転職して、週給60ドルで、クリーニング工場(*)で働く。*「人間圧搾機」「ミルクマン2」「ロードワーク」
  • 実家の地下室で5年前にほうり出した「ハイスクール・パニック」の原稿を発見し、完成させる。早速この原稿をダブルデイ社のビル・トンプスンに送ったところ、若干の手直しの後、出版してもよい、という返事をもらう。しかし、最終的にこの話はお流れに。
  • メイン州ハンプデンの高校に国語教師として採用される。そして長女ナオミ誕生。キングのこの年の年収は6400ドル、トレーラーハウスに住み、電話代を滞納し、病気になっても薬が買えない、といった極貧生活を送る。
  • トレーラーハウスのボイラー室で執筆続けていたキングは、72時間という驚異的な早さで、長編「バトルランナー」を完成させる。

1970
キング23歳
  • 高校クラスの国語教師の免状を取得して、メイン州立大学を卒業。
  • 「地下室の悪夢」がキャバリエ誌に売却。
  • 「暗黒の塔シリーズ」の構想が練られはじめる。

1971
キング22歳
  • 一幕劇"The Accident"を創作、大学内で賞を得る。
  • 2月より週間の大学新聞メイン・キャンパスに、書評、映画評、レコード評、時事評などを書いたコラム、「キングのゴミ収集車」を執筆開始。(1970年5月まで)
  • 学費を捻出するために働いていた学内の図書館のバイトで、妻タビサ・ジェーン・スプルースを出会う。

1968
キング21歳
  • 長編第2作”Sword in the Darkness”を完成。12もの出版社に断られる。
  • 大学の文芸誌<ウブリス>に、のちに改訂されてキャバリエ誌に掲載された「バネ足ジャック」「波が砕ける夜の海辺で」や、短編集<骸骨乗組員>に収録された「ほら、虎がいる」「カインの末裔」などといった短編を発表しはじめる。

1967
キング20歳
  • 短編”The Glass Floor”を初めての商業誌<スタートリング・ミステリー・ストーリーズ>に発表。
  • 事実上の初長編となる「死のロングウォーク」を完成させ、コンテストに応募するが落選。

1966
キング19歳
  • ハイスクール卒業後、オロノにあるメイン大学に入学。
  • ”Rage(ハイスクールパニック)”の前身となる”Getting It On”を半分程書き上げるが、未完のまま放り出す。

1965
キング18歳
  • キングの活字になった実質上の処女長編”I was a Teenage Grave Robber”を同人誌コミック・レビューに発表。
  • ”Village Vomit”と題した作品で、校内新聞を徹底的にこきおろし、3日間の停学処分をくらう。
  • 初の長編”The Aftermath”を執筆するも、未完に終わる。

1965
キング16歳
  • その後もめげずに自費出版を製作。友人のクリス・チェスレイと作ったホラー短編集”Preple,Place,and Things-vol1””Gaslight Book(94年にStar Invadersに改題)”の二点が今も残っている。

1962
キング15歳
  • ダラムのグラマースクール卒業後、メイン州リスボン・フォール・ハイスクールに入学。
  • ロジャー・コーマン監督の「恐怖の振子」に震え上がったキングは、それを自己流にノベライゼーションし、兄のオフセット印刷機で250部印刷して学校で売ったところ、たちまち70部がはけた。しかし叔母のエセリン(同高校教師であった)に叱られ、中止せざるをえなくなった。

1959-60
キング12−13歳
  • ダラムにある母方の叔母エセリン・フローズの屋根裏部屋(*)で父の蔵書を発見する。*猿とシンバル
  • 父はSFやホラーが大好きで、創作したものを投稿したりもしていたらしい。キングは中から発見したラヴクラフトの作品に心を奪われ、以後の創作の傾向を決定づける。
  • 兄デイヴィットがオフセット印刷機で非公式な町内新聞<デイヴの三流紙>を発行しはじめる。キングも記者として参加している。この執筆に使われたタイプライターはNの字がかけており、それを手がきで埋める(*)のはキングの役目だったという。*「ミザリー」

1958
キング11歳
  • 9年の転居生活にピリオドを打ち、メイン州ダラム(*)にある母の生家に落ち着く。*デッドゾーン/ロジャー・チャッツワース邸

1957
キング10歳
  • 10月4日、コネティカット州ストラトフォードの映画館で「空飛ぶ円盤地球を襲撃す」を観賞中、突如映写が中断、ソ連による人工衛星スプートニク打ち上げ成功のニュースが伝えられる。キングはこの時初めて現実世界の恐怖を感じたという。

1954
キング7歳
  • キング7才の時、初めてのホラー映画「大アマゾンの半魚人(ジャック・アーノルド監督)」を観る。このあたりからキングはSFやホラーといった類いのものに興味を抱きはじめ、創作の真似事をはじめる。

1953
キング6歳
  • 当時人気だったラジオ番組<ディメンションX>で、ブラッドベリ原作の「第三探検隊」を聴き、恐ろしくなり、兄のベットに潜り込む。

1951
キング4歳
  • キング4才の時、近所の友だちが列車に轢かれて死亡(*)。その後の本人の様子からキングはその場にいて、事故を目撃したのではないかと推測されるが、本人は全く覚えていないらしい。*スタンド・バイ・ミー

1949
キング2歳
  • 父ドナルド失踪。いつものようにふらっと出かけたまま戻らなかったという。以後父との音信は全く途絶えたまま。
  • その後1959年までインディアナ州フォートウェイン、コネチカット州ストラトフォード、マサチューセッツ州マルデン、メイン州パウンル(*)といった土地を転々と移り住む。*デッドゾーン/ジョン・スミス実家

1947
キング0歳
  • 9月21日、メイン州ポートランドの総合病院にて、父ドナルド・エドウィン・キング、母ネリー・ルース・ピルスベリーの次男としてスティーヴン・エドウィン・キング誕生。夫妻の養子、2才年上の兄デイヴィット・ヴィクター・キングとは血がつながっていない。

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