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No.027 未亡人を狙うパリの連続殺人犯・アンリ・デジレ・ランドリュ

偽装婚約をし、婚約旅行と称して相手を自分の別荘に誘う。その別荘を訪れた女性は全員行方不明となった。


▼女性の行方不明者

1915年1月、フランスのパリで、ジャンヌ・キュシェ(39)という女性と、その息子(16)が行方不明となった。ジャンヌは夫を亡くし、息子と二人暮らしをしていたのだが、このたび再婚することになったと、失踪(しっそう)する前に親しい友人に語っていた。

再婚予定の彼の名はディアールというらしい。彼女は、息子を連れて、そのディアールが、パリ郊外のガンベに借りている別荘に泊まりに行くと言って家を出て、そのまま消息を絶ったのだ。

当然疑われるのは再婚予定であるディアールであるが、当時のフランスは第一次世界対戦中の混乱期にあって、警察は脱走兵の追跡で手いっぱいとなっており、一人の行方不明者の捜査をするゆとりはなかった。この事件はろくに捜査もされずそのままとなってしまった。


▼ディアールという男

ジャンヌの再婚予定の男「ディアール」。このディアールは偽名で、本名を「アンリ・デジレ・ランドリュ」という。

ランドリュは新聞に結婚相手を募集する広告を出し、それを見て応募してきた女性を殺しては財産を巻き上げるという手口を繰り返す。

当時のフランスでは新聞に「結婚相手募集」の広告を載せることは普通に行われていたことで、しかも時代は第一次世界対戦の最中(さなか)であって、街には戦争で夫を亡くした未亡人たちが大勢いた。

ランドリュが「私は真面目な男性です。35歳から45歳までの未亡人、または独身女性を求めています。」と広告を出すと、彼のもとへは女性からの申し込みが数多く寄せられた。


その中でも金を持っていそうな女性を選び、連絡を取る。詳しく話を聞いて金を十分持っているようだったら積極的に口説いて婚約し、自分の別荘へ連れてくる。そして女をそこで殺し、自分一人だけがパリに戻ってくる。

ジャンヌもまた、結婚広告を見て応募した一人であり、ランドリュの最初の犠牲者となってしまったのだ。

後の調査で分かったことだが、ジャンヌ母子が失踪してまもなく、ランドリュは5000フランを預金している。警察が金の出所を尋ねたところ、父から相続した遺産の一部だと証言した。


▼二人・三人と蒸発していく

ジャンヌの件がバレないことに自信を持ったランドリュは、またもや結婚広告を出し、次の女を捜した。二人目の犠牲者となったのはホテル経営をしている、ラボルド・リヌという女性だった。

彼女もまた、夫を亡くし未亡人となっている。1915年6月21日、ラボルドは周囲の人たちに「未来の夫のもとへ引っ越すことになったから。」と語り、持っている家具の大半を売り払った。

その五日後、ラボルドはその「未来の夫」の別荘へ行くと言ってそのまま行方不明となった。
ランドリュは手に入れた彼女の証券を全て処分した。一人目のジャンヌの件から5ヵ月後のことだった。


そして三人目の犠牲者となったマリー・ギランもまた未亡人であった。ランドリュは、彼女がつい先日、終身年金証書を売って2万フランの現金を得たことを知り、積極的にアプローチをしてすぐに婚約まで持っていった。

「僕の別荘で一緒に暮らそう。」とランドリュはマリーを誘い、8月2日、マリーはこれまで住んでいたアパートを引き払ってランドリュの別荘へと引っ越した。そしてその数日後、マリーは行方不明となった。

マリーを始末した後、ランドリュはフランス銀行へ行き、マリーの義理の兄だと名のって、「マリーが身体が麻痺して動けなくなったので、本人に頼まれて預金を降ろしに来た。」と言ってマリーの預金12000フランを引き出した。


このような手口でランドリュは、1915年から19年にかけて11人もの女性を殺しては財産を巻き上げた。犠牲となった女性は、ほとんどが45歳から50歳の未亡人だった。

ランドリュ自身は独身ではない。家庭では良き父親であり、妻にも宝石などをプレゼントしたりして、殺人を続ける一方、家庭内は円満だったようである。


▼行方不明者を捜す二通の手紙

ランドリュの別荘があるのは、ガンベという小さな村である。
ある日、ガンベ村の村長は、コロンという名の女性からの手紙を受け取った。

「私の妹が、デュポンという婚約者と共にガンベ村に行ったのですが、それっきり連絡がありません。何かご存知ないでしょうか。」

手紙にはこう記されていたが、村長には身に覚えのないことであり、行方不明者ならば警察の管轄だと思ったので、この時はそれほど気にもとめなかった。


そしてそれから数ヶ月後、今度はラコストという女性から手紙が来た。

「私の姉の消息を知りませんか?去年の9月にフレミエという婚約者と共にガンベ村に行くと言ったきり連絡が取れなくなりました。そちらに住んでいるのかどうかご存知ないでしょうか。」

この村で行方不明になったという人物の問い合わせが、これで二通目である。

手紙の中身も極めてよく似ている。この時村長は、婚約者として書かれているデュポンとフレミエは同一人物なのではないかという考えが頭に浮かんだ。この男によって、二人の女性はこのガンベ村で事件に巻き込まれたのではないか。


警察に通報し、捜査してもらうことになったが、手掛かりが乏しい。捜査は難しいと思われたが、偶然にも捜索願いを出した当日、ラコスト(村長に「姉の行方を知りませんか」と手紙を出した女性)が、パリでランドリュを目撃した。

姉の婚約者として、すでにランドリュと面識があり、顔を覚えていたのですぐにランドリュだと分かった。ランドリュは女性を連れてリヴォリ通りの陶器店に入るところだった。

すぐに警察に通報したが、警官が駆けつけた時にはすでにランドリュはいなくなっていたものの、この店はランドリュがよく立ち寄る店だったらしく、これまでの買い物の経歴や記録をたどって、ランドリュの住所を突きとめることが出来た。


1919年4月12日、一連の行方不明事件の容疑者として捜査を進めていた警察はこの日、ランドリュの逮捕に踏み切った。
問題のガンベの別荘を捜索すると、倉庫やオーブンから服の燃え残りや人間の骨の灰が見つかった。また、行方不明となっている女性たちの情報を書いた書類も発見された。


▼裁判

自供や捜査などから、ランドリュが11人もの女性を殺したのは確実なのだが、確固たる証拠がない。遺体は一つも発見されておらず、当時としてはランドリュの死体処理は完璧に近いものだったと言える。

オーブンから見つかった人骨の灰は996グラムあったが、犯行を推測する材料とはなっても決定的な証拠とはならなかった。

また、他に発見された推測材料として、ランドリュがパリとガンベを往復する時の鉄道料金を書き残していたメモがあった。

それによると、ランドリュ自身はいつも往復切符を買っているのに、相手の女の方には片道切符しか買っておらず、少しでも電車代を節約してしようとしたこと、あるいはガンベで確実に殺そうと思っていたことが分かる。


裁判は興味本位から多くの野次馬が訪れ、特に着飾った女性たちが多く傍聴に訪れた。
「11人もの女性と婚約して殺害した」という事件の性格上、どれほどのイイ男なのか女性たちの注目の的となったのだ。

独房に収監されているランドリュのもとにはお菓子やタバコなどの差し入れが数多く届き、結婚の申し込みも山のようにきたという。

1921年11月7日から始まった裁判は三週間続き、ランドリュには死刑判決が出た。

1923年1月、ランドリュの所有物が公有財産として競売にかけられると、物好きな人たちが数多く訪れ、女たちを焼いたオーブンは4万リラでイタリア人が買って行った。



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