Top Page 現代事件簿の表紙へ No.030 No.028
子供の頃からワルだったカポネは、今後の人生を左右するギャングたちに出会うべくして出会っていく。 ▼ジョニー・トリオとの出会い アル・カポネは、1899年にイタリアのナポリで生まれ、両親と共にアメリカに移住し、ニューヨークのスラム街で育った。小学校の時、教師と喧嘩して以来、そのまま学校には行かなくなった。 少年時代から「アドニス社交クラブ」というワルの集まる店に出入りし、十代でファイブ・ポイント・ギャング団に入る。このギャング団の幹部を務めていたのがジョニー・トリオという男であり、彼との出会いが今後のカポネの人生を大きく左右することとなった。 トリオは一人のギャング(フランキー・イエール)をカポネに紹介した。カポネはこのイエールに気に入られ、まずはこのギャングが経営している店「ハーバード・イン」で働くこととなった。ウエイターや皿洗いをしながらギャングのことを学び、本格的に暗黒街へと入っていくこととなる。 ▼顔の傷 カポネは頬(ほほ)に刃物の傷跡があり、後に「スカーフェイス(向こう傷)」とあだ名がつけられたが、これはカポネがまだ若かりし頃、この店「ハーバード・イン」で働いていた時につけられたものである。 もっとも「スカーフェイス」というあだ名は、カポネ自身が嫌っていたため、後に彼が大物になった時、本人に向かってそのように呼ぶ勇気のある者はいなかった。 ある晩、「ハーバード・イン」に若い女性客が来ていた。カポネはその女性客にいやらしい言葉を投げかけ、ついからかったのである。すると一緒にいた、その女性客の兄であるフランク・ガルチョが激怒し、カポネの顔面を一発殴り、その上ナイフを取り出してカポネの左の頬(ほほ)と首を切りつけた。 カポネがひるんだ隙にガルチョはそのまま逃走した。しかしカポネはそれではおさまらない。ガルチョを捜し出して復讐することを考えていた。一方、ガルチョも仕返しに来るだろうとの考えから、知り合いのギャングに相談し、カポネとその店の経営者であるギャングらを交えて正式に話し合いの場を持ってもらうこととなった。 そして最終的には妹を侮辱したということで、カポネがガルチョに謝ることとなったのである。まだ若く、権力もなかった時代の屈辱である。 後にカポネが大物になった時、ガルチョの方は依然チンピラ同然だったが、あえてあの時の復讐はせず、カポネはガルチョを週給100ドルで使いっぱしりに雇っていた時期もあった。 ▼ボスであるジョニー・トリオの店へ 時は流れ、盗み・暴力・殺人など、あらゆる犯罪をこなしていたカポネは、21歳の時、ボスであるジョニー・トリオに認められ、用心棒も兼ねて今度はトリオの店で雇ってもらえることとなった。 この時、ジョニー・トリオはすでに大物になっており、ギャング団のボスとなっていた。また、トリオは、のちにカポネが巨額の金を稼ぐことになる「酒の密売」を始めた人物でもある。トリオの組織はシカゴ南部に本部を置き、その他にも売春や賭博場の経営など、シカゴに巨大な犯罪王国を形成していた。 カポネはトリオに呼ばれてシカゴに引越し、この地に腰を落ち着ける。この当時カポネはそれまで住んでいた地区ブルックリンで、ギャング同士のイザコザで相手を痛めつけ過ぎたために相手側の組織から狙われていたり、二件の殺人に関与したりして警察からも追われている立場で、トリオのもと・シカゴ行きは渡りに船であった。 シカゴに来たカポネは、最初はトリオの店で売春宿(ソープランド)の呼び込みなどをした。使いっ走り、運転手、バーテンなどの下積みの時代はあったものの、カポネは一年足らずでトリオの組織の中でみるみる出世し、酒場と賭博場と売春宿を兼ねた店「フォア・デューセス」の支配人に任命されることとなった。この店「フォア・デューセス」は、トリオの活動の拠点となっていた店でもある。 この店の地下には拷問室もあり、カポネはここでトリオの邪魔者を始末する仕事もした。部下に命じて敵をこの部屋に拉致(らち)し、ここで殺害する。もちろん、カポネが自分で手を下した場合もあった。この地下室からはトンネルが掘られており、隠し扉に通じるようになっている。死体はここから運び出されて処分された。 カポネの年収は2万5000ドル近くに跳ねあがった。支配人として、もう雑用などはする必要もなくなった。1920年、カポネの父が他界したのをきっかけにシカゴに家を建て、ブルックリンから妻子や親兄弟たちもこの地に呼んで、その家に住まわせた。 そして24歳になった時には、シカゴに隣接するシセロ地区を任(まか)されることとなり、シセロ地区の暗黒街を仕切る立場となった。トリオの組織の中で、実質No.2の立場に昇りつめたのである。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.030 No.028 |