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No.039 連合赤軍05〜判決

総括での仲間殺人も明らかになり、再び世間に衝撃を与える。連合赤軍の生き残った者も全員逮捕された。


▼総括が明らかとなる

逮捕された後の取り調べで、連合赤軍が仲間12人をリンチによって殺害した事実が明らかとなり、再び世間に衝撃を与えた。供述により群馬県警は、3月13日までに12人全員の遺体を掘り起こした。

遺体はどれも全裸にされており、顔面が腫(は)れ上がっている者、肋骨(ろっこつ)が6本折られている者、苦しんで舌を噛み切っている者、首にロープの絞め跡が残っている者など、凄惨なリンチを受けた形跡がはっきりと残っていた。
また、女性は全て髪を切られ、顔も腫(は)れ上がり、男性か女性か分からないような遺体となっていた。

この中には、浅間山荘で両親が呼びかけていた、あの寺岡恒一の遺体もあった。遺族の親たちは、皆、変わり果てた子供の姿に声を上げて泣いた。


▼他のメンバーの自首、全員逮捕

昭和47年3月10日から14日にかけて、逃亡していた山本保子、前沢虎義、岩田半治、中村愛子が次々と出頭し、逮捕された。

連合赤軍29人のうち、12人はリンチで殺害され、生存していた17人はこれで全員逮捕された。


昭和48年1月1日、元連合赤軍最高幹部・森恒夫は、初公判を待たずに東京拘置所で首吊り自殺しているのが発見された。

森恒夫は、前年の7月に同じく東京拘置所で遺書めいた文章を書いている。

「私は自分が狂気の世界にいたことは事実だと思う。私は革命の利益から考えて有罪であり、その罪は死刑である、ということである。

私が亡き同士や他のメンバーに対して言った『革命家たる者は革命の利益に反することをした場合、自らの死を持って償(つぐな)わなければならない。』ということを文字通り守らなければならないということである。」

森と一緒に逮捕された永田洋子は、森恒夫自殺の件を聞いて「森さんはずるい。卑怯だ。自分だけ死んで。」と語った。


▼坂東国男が国外へ逃亡

あさま山荘事件から3年後の昭和50年8月4日、「日本赤軍」がクアラルンプールのアメリカ大使館を占拠し、日本で投獄中のメンバーの釈放を要求するという事件が起きた。

「日本赤軍」とは、まだ連合赤軍の誕生以前の「赤軍派」であった時代、その中の一部の同士が集まり「日本から革命を起こすのではなく、まずは共産主義国へ渡り、その国から援助を受けて軍事訓練を行い、世界革命を起こす」という目標のもと、海外へ渡った赤軍派のことである。

この日本赤軍がアメリカ大使館を占拠して人質を取り、その交換条件として連合赤軍の釈放を要求してきたのだ。

日本政府はこの条件を飲み、超法規的措置として、5人のメンバーを釈放したが、そのうちの一人が坂東国男であった。坂東国男はこのまま海外へ逃亡し、日本赤軍と合流することとなった。

この時、元連合赤軍のNo.3で「あさま山荘事件」の主犯格であった坂口弘も釈放の対象として日本赤軍から要求があったが、坂口本人が釈放されることを拒否している。

クアラルンプールの日本赤軍と国際電話で話した際にも
「あなたたちは間違っている。私はそちらへは行かない。あなたたちは大衆の支持を得ることは出来ないだろう。」と言っている。


▼判決

国外へ逃亡した坂東国男以外の、残り4人のメンバーの判決は、あさま山荘事件の一番の年少者であった加藤元久(16)は、中等少年院送致、その兄である加藤倫教は、懲役13年となった。吉野雅邦は無期懲役、坂口弘と永田洋子は死刑判決となった。

坂口弘と永田洋子の最高裁の判決が出されたのは平成5年2月のことであり、あさま山荘事件から21年後のことであった。その後、永田洋子被告は平成23年(2011年)2月5日、病気のため、収監先の東京拘置所で死去した。


▼あさま山荘事件余談〜弁当とカップヌードル

浅間山荘が雪の降りしきる厳寒地であったため、山の麓(ふもと)から運んで来た弁当は、現地に到着するころには全てカチンカチンに凍りつき、とてもまともに食べられるような状態ではなかった。現地に派遣された警官隊には、寒さの対策と共に食料の確保という問題もあった。

この時に活躍を見せたのが、当時新発売となった、日清の「カップヌードル」である。「お湯をそそぐだけで食べられるカップ付きの麺」は、現代では当たり前の商品となっているが、当時「カップ付きの麺」は初めての試みであった。

新発売とはなったものの、売れ行きは悪く、あまりパッとしなかった。当時お湯をそそぐだけで食べられるラーメンは「チキンラーメン」が不動の地位を獲得しており、チキンラーメンはどんぶりに麺を入れてそこにお湯を入れる。このパターンが当たり前であった。麺とカップがセットになっているラーメンはあまり人々に受け入れられなかったのだ。

しかし「凍る食料対策」で、警官隊や機動隊が、この新発売のカップヌードルを大量に購入し、現地での食料として食べ始めた。彼らがカップヌードルを食べているシーンは、連日の現場からの実況中継の中にも映し出された。

脅威的な視聴率となった「あさま山荘事件」であるから、全国民のほとんどがこの「カップヌードル」を知ることとなり、新商品の地名度は爆発的に上がって、現在のカップ麺市場のベースを作ったのである。



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