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大阪市の三菱銀行に猟銃を持った男が押し入り、瞬(またた)く間に4人を射殺する。犯人は金を要求したが、警察の対応は素早く、逃げられないと分かった犯人は人質を取って銀行内に立てこもる。この後、銀行内では犯人の狂気じみた支配が始まった。 (一部仮名)
▼突然の襲撃昭和54年1月26日14時30分、大阪市住吉区万代2丁目1−1、三菱銀行(現:三菱東京UFJ銀行)北畠支店の駐車場に一台の車が停まった。車はダイハツのシャルマン バンである。車から1人の男が降りてきた。男はゴルフバッグを持ち、帽子をかぶり、顔には白マスク、そしてサングラスをかけている。この男は梅川昭美(あきよし)(30)である。
「みんな伏せろ!」 と怒鳴った。それと同時に天井に向けていきなり2発を発射した。発射音が行内に響き渡り、天井からバラバラと破片が落ちてくる。 一瞬で本物の銃、銀行強盗だとその場にいる誰もが理解した。行内は悲鳴を上げてパニック状態となった。梅川はそのままカウンターに近づき、持って来た赤いナップサックをカウンターの中へ投げ込み、 「金を出せ!10数える間にこん中へ五千万円入れぃや!」と怒鳴った。 支店長である森岡浩司支店長は2階にいたが、銃声を聞いて急いで1階へ駆けつけて来た。この時1階の銀行内にいたのは銀行員34人(男14人、女20人)、客は17人(男7人、女10人)の、合計51人である。 客のうち1人は、たまたま地下の貸金庫室に近い場所にいたため、すぐに貸金庫室に逃げ込み、1人はカウンターの陰に隠れ、2人ほど応接室にいた客はそのまま応接室に隠れた。 「早よう出せ!出さんと殺すぞ!」 梅川が怒鳴る。 この時カウンターにいた窓口係の男性行員(20)が、すぐに2階の事務所に電話し、「強盗です!早く110番して下さい!」と叫んだ。これに梅川が気づき、 「何をしやがる!」と、その男性行員に向かっていきなり2発を発射した。男性行員の上半身に散弾が直撃し、この行員は即死した。また、散弾の一部がその男性行員の後ろにいた貸付係の男性行員の後頭部に当たり、この行員は重傷を負った。 この間に客の女性(52)と、行員の女性(52)、行員の男性(39)の3人が銀行内から逃げ出すことに成功した。 この逃げ出して来た客の女性が、たまたま銀行の近くを自転車で通りかかった住吉署警ら係長・楠本 正己警部補(52)と、ばったり出合った。 「銀行強盗です!あの銀行です!」 事情を説明するとすぐに楠本警部補は銀行内に飛び込んだ。梅川は、ナップサックに詰めさせた283万円を持ち、更にカウンターの上においてあった12万円をちょうどポケットに入れているところで、楠本警部補は通報が事実であることを直感し、梅川に対し 「銃を捨てろ!」と怒鳴り、拳銃を構えた。 警官に気づいた梅川は 「撃つなら撃ってみぃや!」と怒鳴り返す。すかさず楠本警部補は1発発射したが、もちろん当たらないように撃つ威嚇(いかく)射撃であった。 これに対して梅川も猟銃を発射した。梅川の放った弾丸は楠本警部補の胸に命中した。楠本警部補はその場にばったりと倒れ込んだ。 「110番・・110番・・。」と叫びながら楠本警部補はここで死亡した。 また、先ほど同時に銀行内からの脱出に成功した残りの2人の行員は、1人は電話ボックスから、もう1人は近くの喫茶店からそれぞれ110番通報した。銀行内でも警察への非常ボタンを押し、警察へ通報した。 すぐに大阪府警・通信司令室から支持を受けた阿倍野署の前畠 和明巡査(29)と永田 幹生巡査長(34)がパトカーで銀行に到着した。 この時点で14時37分。事件発生から7分後のことである。 前畠巡査がまず行内へ入ったが、この時梅川はカウンターの中に入り込んでいた。だが、入ってきた警官を見つけると、ためらわずにまたもや猟銃を発射した。散弾は前畠巡査の胸に命中した。前畠巡査は即死だった。 この時点で3人の警官が銀行内に入ったが、そのうちの2人が射殺された。この後すぐ東 康正巡査部長(30)と能登原 芳夫巡査(29)が自転車で現場に到着した。 先ほどからいた永田巡査長が北側の入り口から、そして今到着した東巡査部長と能登原巡査(29)が東側の入り口からそれぞれ行内に入ろうとしていたが、永田巡査長のすぐ近くには梅川が立っていた。 「危ない!」 と叫ばれ、永田巡査長も自分の近くにいた梅川に気づき、とっさに身を隠した。その直後、梅川の放った弾丸が永田巡査長のすぐ横の壁に激突していた。 梅川が銃に散弾を込め直している間に東巡査部長が「撃つぞ!」と叫んで1発発射したが、威嚇射撃なので梅川には当たらなかった。 ▼人質と共に立てこもる 「シャッターを降ろせ!」と梅川が叫ぶ。
また、このわずか数分の間に次々と警官がかけつけてきており、駆けつけた警官の1人がシャッターが閉まりかけていた北側の入り口から突入した。だかそこには梅川が待ち構えており、2〜3mの至近距離から梅川はその警官に対して銃を放った。たまたまこの警官はあわてて防弾チョッキをつけて駆けつけてきていたため、防弾チョッキが正規の着用よりも下にずれていた。そのずれていた一番下の部分に弾丸が当たり、この警官は助かった。 14時45分。事件発生から15分後。住吉署の署長、刑事部長、警ら課長が到着し、非常階段を使って銀行の2階へ入る。1階の銀行内は犯人が占拠している危険地帯であったが、2階であれば犯人の手も届かない。2階にいた行員から事情聴取を始めた。 ▼梅川と猟銃 梅川は猟銃の正式な所持者である。昭和48年に猟銃の所持許可を得ている。この時、梅川から住吉署に許可申請があった時にはもちろん審査があり、過去の犯歴も明らかになった。 梅川は昭和38年12月に、広島県大竹市で21歳の女性の自宅に押し入り、この女性をナイフで殺害した後、現金2万円入りの手下げ金庫を奪うという強盗殺人事件を起こしているのである。この時梅川は15歳だった。 しかし銃刀法で定められている「欠格者(持つ資格がない者)」とは次のようなもので、 ・18歳未満 ・精神病者、麻薬や大麻、覚せい剤の中毒者 ・住所不定 ・禁止事項に違反して刑に処せられてから3年未満の者 ・他人の生命、財産、公共の安全を害する恐れがあると認めるに足る相当の理由がある者 となっている。 申請があった時に、この最後の項目が触れるのではないかと検討されたが、以前の強盗殺人事件から10年が経過しており、その後の犯歴はないし、少年法では「少年の時に犯した罪で刑に処せられ、執行を終わったりした者は資格に関する法令の適用を受けない。」と定められている。 法的には梅川の猟銃所持を許可せざるを得なかったのだ。梅川は猟銃を買ってから3年間、クレー射撃に励んだ。銃の腕もかなりのもので、この銀行に押し入った時も、初めて撃つような素人ではなかったのだ。 ▼絶対的な支配が始まる 梅川が銀行に持ち込んだ実弾は、2発は装填(そうてん)済みで、それ以外に31発であった。 2階に警察幹部が集結している頃、1階では梅川が、女子行員の1人に 「あの警官の銃を取って来い。」と命じ、一番最初に射殺された楠本警部補の遺体から銃を持ってこさせた。梅川は猟銃と警官の銃と2つを所持することとなった。 銃を片手に行内をうろついていると、カウンターの陰に隠れていた女性客(32)とその子供たち(7)と(5)を発見した。意外にも梅川は「ボク、立てや。」と子供たちに声をかけ「お前らは帰ってもええわ。」と3人を銀行内から解放した。 「全員、一列に並べ!」と、今度は行員たちをカウンター内に一列に並ばせ、 「こん中で責任者は誰や!」と叫ぶ。 「私です。」森岡浩司支店長が前に出た。 「なんですぐに金を出さんかったんや!こうなったのはお前の責任や!」と、支店長の腹に向かっていきなり猟銃を発射した。腹と胸に散弾が直撃し、血しぶきが飛び散る。全員から悲鳴が上がった。森岡支店長は即死した。 あっという間に警官2人と、電話した窓口係、そして支店長の4人が射殺された。 この後、梅川は男性行員に命じ、1階と2階をつなぐ階段に机を運ばせ、2階からの突入を防ぐバリケードを作らせる。すでに建物の2階に多数の警官が入っていることには気づいていたのだ。 2階から警ら課長が楯を持ってこっそり降りて来て、近くにいた男性行員に「こっちへ来い。」と指示するが「警官がここに来たら自分たちが殺されます。」と拒否された。
「番号かけいや!」梅川が指示すると「1!」「2!」と行員たちも番号をかける。最後は37番だった。 「こん中で病人はおるか!」 と梅川が尋ねると、最後の37番だった女性が「私、妊娠してます。」と言うと「帰ってええ。」と、この女性を釈放した。 そして女子行員たちに対し「服を全部脱げ!10秒以内に脱がんと順番に撃ち殺す!」と怒鳴り、電話係に任命した女性1人以外の、全員の女子行員を全裸にさせた。 その後、自分が座っている支店長席の、その机の上に女子行員たちを外向きにに座らせ、自分の周りに壁を作った。 「よう、見とれ。これからものすごい惨劇が始まるんやさかい。」梅川は言い放った。 この後しばらくして、女子行員だけ脱がせるのは不公平や、といことで男子行員の上半身も裸にさせた。中には全裸にさせられた男子行員もいた。 15時05分、梅川が乗って来たライトバンを発見し、この車が1月12日に三重県四日市市の焼肉屋経営者の自宅前から盗まれた車であることが判明した。 2階にいる警官隊の中で、住吉署の警ら課長が1階の支店長席に電話をかけた。梅川は出なかったが、代わりに行員が出さされた。現時点で死者が4人で、その内2人は警官、2人は行員、そして怪我人が2人いることが警察側に明らかとなった。 この後梅川は、楠本警部補から奪った拳銃を天井に向かって発射し、試し撃ちをする。 一方大阪府警は、銀行から50m離れたところに待機している多重無線車をとりあえず特別操作本部として設置したが、その後すぐ、銀行の2階の支店長室に捜査本部を移し、ここから指揮を取ることとした。この時点で警官636人、警察車両113台が銀行を取り囲んでいた。 突然梅川が自分で電話を取り、110番にかけた。「俺は犯人や。責任者と代われ。」と告げる。通信指令室の管理者(警視)が出ると「もう4人死んどる。警官が入ってくると、人質を殺すぞ!」と言い放って電話を切った。 ▼残虐な命令 16時50分、梅川が行員の1人である渋谷行員に、金のありかや銀行内の構造を聞いたが、渋谷行員はあいまいな返事をしてはっきりとは答えなかった。この態度に腹を立て、「お前、落ち着き過ぎて生意気なんや!」と渋谷行員に向かって猟銃を発射した。 渋谷行員はとっさによけたが、右肩に散弾を受け、その場に倒れた。梅川は持っていたナイフを別の男子行員に渡し、「まだ生きとるやろ。お前が首を突いて、こいつにとどめを刺せ。キモをえぐり取るんや。」と命じた。 ナイフを受け取った男子行員がとっさの機転で「もう、死んでます。」と答えると、「お前らソドムの市(いち)(映画)を知っとるか。」とうすら笑いを浮かべ、「ならそのナイフでこいつの耳を切り落とせや。ソドムの市で死人の耳を切る、あの儀式をするんや。」と更に命じた。 「切れません、切れません・・。」と泣きながら懇願(こんがん)するが、梅川は「お前も死にたいんか!」と銃口を向けた。 言われるまま男子行員は倒れている渋谷行員の左耳にナイフを当て「すまん・・すまん・・、生きててくれ、助かってくれ・・。」と謝りながら、行員の左耳の上半分を切り取った。あまりの痛さに負傷している渋谷行員は気を失った。 梅川はその切断された耳の破片を持って来させて、口に入れて噛んでみたが、「堅い。まずい。」といって吐き捨てた。 この直後、梅川は「警官の顔が1人でも見えればその都度(つど)、行員を1人ずつ殺す」と書いたメモを女子行員に渡し、2階の捜査本部に持って行かせた。更に念の入ったことに、男子行員に110番をかけさせ「警官が1人でも入ったら人質を殺す」と伝えさせた。 自分が気に入らない態度を取った女子行員の髪を掴(つか)んで引きずりまわしたり、銃口を身体に押し付けたり、人質に当たるスレスレで銃を発射したり、思うがままの行動に走った。当たりそうに発砲されるたびに女子行員の「キャーッ」という悲鳴が上がった。「助けて下さい、助けて下さい・・。」と手を合わせて泣きながら女子行員たちも必死にお願いする。
18時45分、刑事部捜査一課特殊捜査班(現:MAAT)が、吉田本部長の指示で、犯人にバレないように手動ドリルを使って静かに、1階の東側と北側の入り口のシャッターに合計7箇所の穴を開けた。この穴から内部の様子を探るのである。 穴を開けている間、梅川は2階に電話し、この支店の次長に「400グラムのサーロインステーキとブドウ酒を持って来い。」と命じる。次長はこれを捜査本部に伝え、捜査本部もOKした。ステーキに睡眠薬を塗ったらどうか、との意見が出され、レストランからステーキを持ってきてもらうのと同時に警察病院からも液体睡眠薬を持ってきてもらった。 警察管理職の1人が試しに舐(な)めてみたところ、舌がピリピリするというので、これを塗ってはすぐにバレてしまうと気づき、睡眠薬作戦は中止。素直に要求されたものを出さざるを得なかった。ステーキを待っている間に梅川はまた1発発砲した。この後も不定期的に、気が向くと発砲を繰り返していた。 警察はこの時点で、15年前にこの支店が建設された時に工事に携(たずさ)わった建築業者や内装、空調、電気工事を行った会社の人間を集め、捜査の協力を要請し、また、カギの専門家である大阪錠前技術研究所にも協力を頼み、カギのかかっているドアのカギを開けてもらうよう要請する。 そして警察管理職が次々と2階の支店長室、つまり特別捜査本部に集まり、ここが狭くなってきたので捜査本部を銀行3階の女子更衣室に移す。改めてここで作戦を考えることとなった。 この後、梅川はまたもや2階の支店長室に電話し「警察の偉いモンと代われ。」と言い、調査官が電話を代わり、「下の者は元気か。」と尋ねると「みんな元気や。警官の姿が見えたら人質を殺す。」と答える。 「要求があったら言え。けが人を早く開放しろ。」と調査官が言うと 「けが人なんかおらへん。6人死んどる。」と言い捨て、梅川は電話を切った。(実際には死亡は4人・大怪我で倒れている者2人だったが、梅川はその2人も死んでいると思っていた。) 捜査本部には20回以上電話をかけているが、「女の行員はみんな裸で、死体がごろごろ転がっとる。強行突破するなら、裸の女の死体が並ぶで。」とも言い放っている。 また、人質たちに対してトイレに行くことを禁じ、カウンターの陰をトイレの代わりにさせた。 ▼狙撃は中止 21時、吉田本部長が「今から一時間半以内に犯人を逮捕し、人質を救出出来る最善の策を考えよう。」と口を開いた。まず説得の可能性が議題に上がったが、「警官が姿を見せれば行員を殺す」と何度も言っているし、実際警官が姿を見せた瞬間、猟銃を発砲している。 ほとんど説得出来る可能性はない。では薬物を使うという方法はどうかということになったが、先ほどの睡眠薬が駄目であったように、これも却下された。最終的に強行突入、そして狙撃ということで考えがまとまった。 さっそく第二機動隊 訓練指導官であり、ピストル射撃の指導官である松原 和彦警部が呼ばれた。「この建物で、そして人質を周りに立たせて楯にしているこの状況で」犯人の狙撃が可能かどうかを判断させるためである。 現時点でシャッターの穴から覗いた状況では、机がカギ型に並べられ、その上で人質行員が正座させられている。松原警部は、自分が確認した状況から判断して、「人質の合間をぬって犯人を狙撃するのは難しいがやれる。」と判断を下した。 早速狙撃手として6人が選抜され、3階に設置された本部で狙撃と人質救出の訓練が繰り返された。作戦実行は深夜0時と決まった。警備一課管理官が覗(のぞ)き穴から中を観察してタイミングを判断、ハンディートーキー(小型無線機)で松原警部に知らせる。突入班は全部で33人が選抜された。 しかし刻々と時間が近づいてくる中、覗き穴から内部を監視していた捜査員から悪い情報がもたらされた。 犯人はこれまで自分の前面に人質たちを持って来ていたのだが、それを自分の背後にも立たせて自分を囲むように人質の楯を作ったというのである。松原警部が外にまわって覗き穴から確認をすると報告通りであった。 そして更に、通用口(従業員用出入り口)から身体を伏せて銀行内に入り込み、ひそかに1階に近づいていた捜査員を、人質の1人が見つけ「警官が入って来た!」と大声で犯人に知らせたのだ。命を握られている状況で、すでに内部では犯人に対して絶対服従の関係が出来上がっているようだ。 この後、梅川は人質行員に命じて「警官を見つけたら殺す。疑うなら顔出せいや。」と伝言の電話をかけさせている。 坂本一課長が松原警部・射撃指導官に「どうや、いけるか。」と念を押すように尋ねたが、松原警部は 「出来ません。前に並んだ人質の前は通せても、後ろの人質に当てないという自信はありません。」と答えた。この状況で狙撃は危険過ぎると判断したのだ。狙撃・突入という作戦はここで諦めざるを得なかった。 14時30分の事件発生からすでに9時間以上経過し、テレビも生中継し、深夜だというのにすごい数の野次馬が詰めかけていた。 日付が変わって1月27日、0時25分。梅川はまたもや2階の支店長室に電話を入れる。 「階段の下に要求書が置いてある。30分以内に持って来い。」 2階に待機している警官が階段を降りていくとメモが置いてあった。メモには 「ラジオ、アリナミンA、カルシウム、人質の食事を差し入れよ。室内暖房を少し強くしろ」 と書かれてあった。更にその下には、そのメモを置きに来たと思われる男性行員が書いたのであろう「極悪非道そのものである」という追記もしてあった。 梅川は1階支店長席に座っていたが、ここへ2階の警察から先ほどのメモに対する返事の電話が入る。 「要求は分かった。」と警察側の伊藤管理官が伝えると梅川は、 「死骸(しがい)が、ようけごろごろしてまっせ。」と笑いながら答えた。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.042 No.040 |