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No.053 冤罪(えんざい)のヒーローが犯した首切り殺人・小野悦男

首都圏で女性ばかりを狙った連続殺人事件が発生し、犯人として小野悦男が逮捕された。しかし17年近くに及ぶ裁判で出た判決は無罪。マスコミは冤罪(えんざい)のヒーローとして報道した。だがその5年後、小野は逃(のが)れようのない事件を起こす。


※冤罪(えんざい):無実であるにも関わらず、犯罪者として扱われることを指す。
▼首都圏 女性連続殺人事件

昭和43年から49年にかけて、「首都圏 女性連続殺人事件」と呼ばれる、女性ばかりを狙った連続殺人事件が起こっていた。手口に類似性があることから、警察では、これら未解決の一連の事件を同一犯人と判断して捜査を進めていた。

対象となっていた事件は10件で、被害者は12人にも昇っていた。

(1)昭和43年7月13日 (東京足立区の空き地)26歳の女性が強姦されて殺された上に死体が焼かれていた。

(2)昭和48年1月26日 (東京北区)22歳の女性が強姦され、首を絞められて殺された上にアパートに放火された。

(3)昭和48年2月13日 (東京杉並区)アパートが放火され、67歳の女性と22歳の男性が焼死体で見つかる。

(4)昭和49年6月25日 (千葉県松戸市)30歳の女性が行方不明となり、8月10日に松戸市内の宅地造成地で全裸死体となって発見された。整地の最中にブルドーザーで土を掘り起こしていた時に土の中から発見された。強姦された上に首を絞められていた。

(5)昭和49年7月03日 (千葉県松戸市)19歳の信用組合の女性職員が行方不明となり、8月08日に、宅地造成地で死体となっているのが発見された。発見現場は、上記の30歳の女性と同じところであり、同様に土に埋められていた。

(6)昭和49年7月10日 (千葉県松戸市)21歳の女性教師が強姦された上に殺され、アパートに放火された。

(7)昭和49年7月14日 (東京葛飾区)料理店を経営していた48歳の女性と、58歳の女性従業員が暴行された上に店に放火された。

(8)昭和49年7月24日 (埼玉県草加市)22歳で薬局に勤務する女性が強姦された上に殺され、家に放火された。

(9)昭和49年8月06日 (東京足立区)24歳の女性が強姦されて殺され、家に放火される。胸と腹を刺されていた。

(10)昭和49年8月09日 (埼玉県志木市)21歳の女性が強姦されて殺され、アパートに放火された。

殺した上に死体を焼くという手口が9件、埋めたものが2件という残虐さで、このうち(7)の、葛飾区の料理店の事件だけは後に犯人が逮捕されて解決しているが、残りの9件については未解決のままであった。


▼小野悦男逮捕

それぞれの事件で残された残留物や聞き込み、現場周辺に土地勘のある者、前科がある者などの面から捜査は進められ、400人ほどの人間が候補に上がった。その中でも特に疑わしい人物が7〜8人おり、その中に清掃作業員である小野悦男(38)は含まれていた。

(1)の事件では「小野悦男が犯人」という密告の電話も入っており、(2)(3)の事件では小野悦男の写真を持って聞き込みを行った結果、現場周辺でよく似た男を見たとの証言も得られた。(8)の事件の3週間前には、事件が起こったアパートの、その向かいのアパートの女性宅に暴行目的で侵入したが騒がれて逃走したことも判明している。

(5)の信用組合の女性の事件の一週間後にも、この近辺で(殺人には至らなかったが)、女性の暴行未遂事件が発生しており、その現場に残された足跡が小野悦男のものと一致した。

(9)の事件の後、現場から走って逃げていく男が目撃されており、目撃者に小野悦男の写真を見せたところ、「よく似ている」との証言も得られた。また、小野悦男は、1年前もこの家に侵入していたことが判明した。

現場に残されて残留物から、犯人の推定血液型は O 型であることが判明した。小野悦男の血液型も O 型である。ただ、これらの事件の中には犯人の推定血液が O 型ではない事件もあり、全ての事件が同一犯の犯行であるかという点についてはまだ疑問が残っている。


そして何より小野悦男は、あまりにも前科があった。16歳の時に無免許運転で逮捕されたのを始めとして、火事場泥棒、詐欺、暴行、強姦、放火など14回も逮捕され、そのうち13回は服役している。13回合計で13年間ほど刑務所暮らしを経験している。

刑務所を出たり入ったりする者を「懲役太郎」と呼ぶが、小野悦男はまさに「懲役太郎」であった。

これほど疑わしい男であるから、当然警察も最有力容疑者としてマークしていた。


そして9月12日、足立区の清掃作業員である小野悦男は逮捕された。ただしこれは一連の殺人事件での逮捕ではない。これらの殺人事件はどれも証拠がほとんどなく、殺人では逮捕することは出来なかった。

小野の容疑は窃盗であった。松戸市内のマンションに侵入し、ネックレスやテレビなど50万円相当の物を盗み、、また本屋からも本29冊を盗んだという容疑である。

別件逮捕ではあったが、警察側はこれで小野を逮捕し、一連の殺人事件についても自供させる予定であった。警察内部では首都圏連続殺人事件の犯人は小野悦男にほぼ間違いないとの確証を持っていたのである。

連日厳しい取調べが続き、9月30日、小野悦男は(5)の、19歳の信用組合の女性を殺害したことを自供し、殺人で再逮捕された。

この時点でマスコミは、首都圏における連続女性殺人事件の犯人は小野悦男であると報道していた。実際に起訴されていたのは19歳の信用組合の女性の一件だけであるが、各社は他の事件も全て小野が犯人であるかのような報道を連日続けた。


▼判決

小野はいったんは犯行を自供したものの、これまでの逮捕暦からくる経験からか、千葉地裁 松戸支部で行われた裁判では、これまでの自供を全て覆(くつがえ)し、一転して無罪を主張し始めた。

「警察で自白を強要された。」「自白は不当な取調べによるものだ。」「自分は断じてやってない。」
そう繰り返した。

問題となったのは小野の自白であるが、検察側は小野の自供通りの場所から被害者の遺留品が発見されたことを主張し、弁護士側は、それらの証拠は警察の捏造(ねつぞう)である、と主張した。

更に小野は、獄中から人権団体に自分の無実を訴える手紙を出し続けた。これらの事件は大々的にマスコミにも報道されていたから小野は有名人になっており、小野の手紙は人権団体を動かし、文化人や弁護士、宗教関係者たちが参加して「小野悦男さん救援会」が結成されることとなった。

「小野さんは長時間の拷問で自白を強要された」「無実の人間を犯人に仕立て上げた」「人権蹂躪(じゅうりん)だ」と、支援団体は小野の無実を信じ、積極的な活動を続け、社会的関心も高まった。

昭和61年9月4日、逮捕から13年が過ぎ、この日千葉地裁 松戸支部で下った判決は、

「被告の自白は信用出来る」(強要されたものではない)として、求刑通り無期懲役を言い渡した。無罪を主張する小野は即日控訴し、裁判のやり直しを求めた。

それからも支援団体も少しずつ広がり、「小野さんは無実」と、救援会は世間に訴え続けて活発に活動を行い、世間の雰囲気も「本当は無実だったのではないか」という流れに傾いていった。


小野悦男
▼無罪確定

一審から5年が経った平成3年、東京高裁で小野悦男の第二審が行われた。

「警察は自白を強要しており、任意性も信頼性も大いに疑問がある。」

として、一審での無期懲役の判決を破棄して、逆転の無罪判決を下した。

裁判は支援団体も多く傍聴しており、無罪判決が下された瞬間、傍聴席からは拍手と歓声が沸き起こった。

裁判では、小野の別の窃盗容疑も合わせて起訴されており、こちらは懲役6年と判決が下ったが、拘置日数が刑期に入れられて刑務所に服役することはなく、小野は16年7ヶ月ぶりに釈放された。


閉廷後の各社のインタビューに対し小野は

「17年間、本当に苦しかった。本当のことがわかってもらえて嬉しいです。」

「社会に出たら、病気で2年前から歩けなくなっている母親の車イスをまっさきに押してあげたいです。そして自分も弱ってしまった足腰を鍛え直し、一生懸命働きたいと思います。」

と語った。

周りからも「小野さん、おめでとう!」「お疲れ様!」と無罪を称(たた)える声が上がり、小野も「ありがとう・・、ありがとうございました。」と支援してくれた人たちに答えた。

これまで犯人扱いしていたマスコミ各社は、新聞紙上に謝罪の文章を掲載した。そしてこれまでのお詫びの意味もあったのか、一転して小野を「冤罪(えんざい)のヒーロー」として報道した。

同日に出された懲役6年分の日数を差し引いた、これまでの拘留日数に対して、小野には3650万円が国から支給された。

釈放された後、小野は、自白を強要するような捜査を批判する集会に出席して自分の経験談を語ったり、冤罪被害者の集会などに招かれて講演を行ったりもし、完全な「冤罪のヒーロー」となった。


▼首のない焼死体

だが小野は「首都圏 女性連続殺人事件」で無罪を勝ち得ただけであって、元々刑務所を出たり入ったりしているような男であったから、感動の無罪判決の翌年である平成4年に早くも窃盗事件を起こした。この事件により懲役2年という判決が下った。

窃盗事件から再び出所して社会復帰した小野は、連日居酒屋などで酒を飲んでいた。「国から大金をせしめたんだ。何年だって飲んでいられるんだよ。」周囲にはそう語っていた。


そして平成8年。
無罪を勝ち取りTVで放映された時から5年が経っていた。かつての「冤罪のヒーロー」は再び世間の注目を集めることになる。

平成8年1月9日、東京足立区・六月町の駐車場で女性の焼死体が発見された。

「駐車場にマネキンのような黒いものがある」との通報を受けた捜査員たちが駆けつけると、そこには死体は首を切断されており、焼かれた後に布団にくるまれて放置されている死体があった。女性はパジャマ姿だったが、女性陰部が刃物で切り取られていた。

殺した後に死体を焼くというこの手口で、捜査員たちは首都圏 女性連続殺人事件の最有力容疑者だった小野悦男を思い出した。

調べてみると、この現場は現在小野が住んでいる家からわりと近い。付近の住民からの聞き込みによると、小野と同居していた女性が最近姿を見せないという。

「しょっちゅう部屋から喧嘩をしている声が聞こえていたから、あの女の人、出ていったんじゃない?」という証言もあり、駐車場で発見された死体は、仮に小野が犯人であれば、小野と同居していた女性の可能性もある。

だが、捜査員や警察側の判断だけで小野にうかつに手を出すわけにはいかなかった。かつてTVで大々的に報道された小野には多くの支援団体がバックについており、安易な行動はたちまち世間から非難を浴びることは目に見えていた。


警察はひそかに小野を最有力容疑者としてマークした。

駐車場で発見された焼死体をくるんでいた布団からは男の体液が発見されていた。この体液を分析してDNAが割り出された。

(※DNA:デオキシリボ核酸 = 遺伝情報を持った物質であり、その人物固有のもので、人物の特定や親子鑑定にも使われる。)

次に小野のDNAを調べて照合する。唾液(だえき = ツバ)からもDNAの鑑定は出来るため、捜査員たちは清掃業者に変装し、小野がゴミを出す時を待った。ゴミの中にはペットボトルや割り箸など、何か小野が口をつけたものがあるはずだ。

捜査員たちは小野の住居のゴミ収集場の近くに隠れ、小野がゴミを出して立ち去るのを見計らってから小野のゴミを回収した。唾液のついたものを鑑定にまわすためである。


▼もう一つの事件・小野再び逮捕

そうした捜査が続いている中、また新たに事件が起こった。

平成8年4月21日、東京都内の公園で5歳の女の子が連れ去られ、イタズラされた上に首を絞められて失神していたのだ。幸いこの時には目撃者がおり、女の子は殺されずに一命をとりとめた。

この時目撃者は逃げて行く男を見ており、特徴を聞くと小野とピッタリ合う。体格、髪型、顔の特徴もまさに小野だった。

4月26日、この少女の殺人未遂で小野は逮捕された。

同じような時期、かつての駐車場の焼死体から発見されたDNAと小野の唾液から採取したDNAが一致したという結果も出されていた。少女の殺人未遂で逮捕された小野であったが、駐車場の焼死体に関しても追求され、更にDNAの鑑定結果も聞かされてついに観念し、この二件に限っては犯行を認めざるを得なかった。

小野逮捕のニュースは、たちまちのうちに世間にも支援団体にも広まった。講演の予定を組んでいた支援団体の人々も一様に耳を疑った。

小野の住居の近辺を警察犬を使って調べた結果、小野の自宅の裏庭から、腐敗した女性の頭部と切断に使ったと思われるノコギリが掘り出された。更に家の中を調べると、冷蔵庫から切り取られた女性陰部の肉片が発見された。

完全なる証拠が揃い、今度は否定は出来なかった。これまで小野を信じてきた支援団体たちは完全なる裏切りに合った。怒りの渦巻く中、全員が小野から離れていった。


殺されていた女性は41歳の女性で、家出をしていた最中に東京足立区内の公園で小野と知り合い、同居するようになったという。しかし一緒に暮らしてはいたが、家事をしないことを小野に責められた女性は小野と口ゲンカになった。

「口論になったので、バットで頭を殴ったら死にました。頭はノコギリで切断して、アソコの部分は刃物で切り取って・・。体は空き地で燃やしました。」

逃(のが)れようのない証拠を突きつけられて小野は自白した。かつて無罪を勝ち取ったヒーローは、一転して完全なる殺人犯として世間の注目を浴びることとなった。

この首なし焼死体と少女殺人未遂に関しては、平成10年3月27日、東京地裁で無期懲役の判決が出された。控訴するも翌年の2月に東京高裁で控訴が棄却され、無期懲役の判決が確定した。小野62歳の時である。

マスコミも小野の今回の殺人と、以前の冤罪事件での無罪判決を大きく取り上げ、
「以前の首都圏 女性連続殺人事件の犯人も小野だったのではないか?」「検察や裁判所は殺人鬼を世間に解(と)き放った。」などと各社は報道した。

日本の法律では確定判決がある場合、その事件をもう一度審理することは出来ない。首都圏 女性連続殺人事件(10件・被害者12人)に関しては、一件だけは真犯人逮捕、小野については冤罪だったという判決が出ている。

小野自身も「あれは絶対やってません。」と言っており、結局残りの事件は未解決のままとなっている。果たして首都圏女性連続殺人事件の犯人は本当に小野だったのか、あの時の判決は正しかったのか、真実を知るのは真犯人だけである。

全事件が小野であるか、何件かは別の犯人がいるのか、それが明らかにされることは今後もない。



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