1951年の5月、フィリピンのマニラ。ある裏通りをパトロール中だった警官に、いきなりある女性が走り寄って来て腕にしがみつき、助けを求めてきた。「助けて下さい!誰かが私に噛みついてくるんです!」
助けを求めてきたのは18歳の娘で、クラリータという女性だった。だが警官がよく聞いてみると、噛みついてくるといっても相手の身長も顔も服装も分からない。男か女かさえ分からない相手が噛みついてくるというのだ。
聞き終わった警官は、クラリータを麻薬中毒患者かいたずらだと思い、まともに相手をしなかった。だがクラリータは必死で訴え続ける。
「嘘じゃないわ!ほら!この傷を見てよ!8カ所も噛んだ傷があるでしょ!」クラリータがあんまり熱心に訴えるので、とりあえず警官は警察署へ連行した。
ところが、警察署の一室に入ると、クラリータがまた叫び声を上げた。
「ほら!またあそこにいるわ!黒い何かが私に噛みつこうと迫ってくる!助けて!助けて下さい!」
言い終わった瞬間、クラリータは床の上につまづいて倒れ、そして今度は警官の見ている前で、肩と腕に噛み傷がいくつも現れ始めたのである。その傷からは血がにじみ出て、唾液のようなものがべっとりとついていた。
さすがにこの光景を見ては警官も信じざるを得ない。その場にいた全員が青ざめて、すぐに警察署長と検察医が呼ばれた。署長も検察医も、最初は全く信じなかったが、クラリータの身体を見てみると全身に10カ所以上の噛み傷があり、しかもそのそれぞれに血がにじみ、首の後ろにまで噛み傷があったことから、「これは狂言や芝居ではない。」と悟ったようだ。
事件を目撃した警官たちが熱心に主張することもあって、クラリータはこの晩、警察署に泊まることになった。
そして翌朝、クラリータはまた悲鳴を上げた。
「キャー!! またあの怪物が噛みついてくるわ!!」叫びながら逃げまどうクラリータを警官が飛びついて両側から押さえつけた。しかし、次の瞬間、クラリータの手に傷跡が現れ、そしてついには、首筋から血がにじみ始めたのだ。警官達も見えない怪物に挑みかかってみたが、まるで手応えがない。
あちこち噛まれたクラリータは痛さと恐怖のあまり、そのまま気を失ってしまった。見えない怪物のことは、たちまちマニラ警察署内で大騒ぎとなり、ついにはマニラ市長までが駆けつけて来た。
そして検察医も、一流の検察医が呼ばれ、クラリータの調査に当たった。全身いたる所にある、赤いアザや青いアザ、血や唾液の跡・・。これらを丹念に調べたが、まぎれもなく何かに噛まれたような傷跡であった。
警察はクラリータを独房の中に入れ、完全に一人の状態にした。しかしこの怪物はまたしても襲って来たのだ。「キャー!! また黒い怪物が入ってきた!!」
クラリータの叫び声を聞いてすぐに署長や検察医、市長などが駆けつけてきた。そしてやはり今度も、全員の見ている目の前でクラリータのノドに歯形が食い込んだかと思うと、次の瞬間、血が流れ始めた。署長が、クラリータに噛みついているであろう、透明の怪物を追い払おうとしてクラリータの前で攻撃を加えたが、全く手応えがなかった。
そしてクラリータの身体には、腕、肩、脚などに次々と歯形が現れ、そして鮮血が吹き出していった。見えない怪物の攻撃がおさまるまで、5分くらいであったろうか。その怪物が去った後、署長も市長も全身にびっしょりと汗をかき、脚はガクガクと震えていた。
この攻撃を最後にクラリータは、怪物からは解き放たれたようだ。その後、クラリータは精神病院に半年ほど入院して何とか全快し、やっと普通の生活に戻ることが出来た。しかし、あの時の心の傷は癒えることはない。
身体に噛み傷が出来るというのは、ポルターガイスト現象の一種とも考えられるが、クラリータが見た、「黒い怪物」とは一体どんなものだったのだろうか。この事件は、当時のマニラ警察署の事件報告書にも、特殊事件簿No.108号として記載されているということである。