1910年代。黒海に面したオデッサ湾で、不気味な噂が広がっていた。「オデッサ湾の海底に幽霊が現れる」という噂だ。港ではなく、海底に現れるというのは、当時の潜水夫たちが海にもぐって作業をしている時に何度も目撃しているからだ。
しかもこの幽霊は一人ではなく、潜水夫たちが作業をしていると、何体もの霊が行列を作って迫ってくるという恐ろしいものであった。中には驚きのあまりショック死してしまった潜水夫もいるという。
1917年、イギリスの駆逐艦がオデッサ湾に入港した。港について錨(いかり)を下ろしたところ、その錨は海底の泥の中に深くうずもれてしまい、引っ張り出そうとしているうちに鎖まで切れてしまった。
駆逐艦の乗組員たちが困っていると、マラディという名の潜水夫が名乗りをあげ、「俺が海底にもぐって錨を引き上げてきてやる」と言う。オデッサ湾の海底は、泥がとても柔らかく、作業しようにも足がずぶずぶと泥の中に埋まってしまって困難を極める。それに加えてあの噂・・。
もちろんマラディは、それらの全てを承知の上で名乗りをあげたのだ。それに「幽霊が出るならそいつを見てやろう」という挑戦の気持ちもあった。
作業は始まった。マラディは鉛入りの重い靴をはいて海中にもぐり、まずは錨を探した。思った通り、海底の泥は柔らかく、足がずぶずぶと沈んでいく。必死に動いて錨を探していると、前方に何か縦長の物体を発見した。
「あった!」錨を発見した・・と思ったが、それは探していた錨ではなかった。なんとそれは、人間の男たちで、男たちは潜水服も身に付けず、普段着のままで海底に立っていたのだ。しかも何人もいる。
男たちは異様に真っ白な顔をしており、髪はぼさぼさに四方八方に漂っている。そして二列に並んでマラディの方へ近寄ってくる!実際に近寄ってきたかどうかは分からないが、マラディにはそう見えた!
噂の幽霊にものの見事に出会ってしまったのだ。いくらマラディが自分から挑戦したといっても、心臓が張り裂けるほどに驚いた。手を震わせながら命綱を引っ張り、引き上げてくれるように合図を送った。海上に出るまでの時間がこれほどに長いと感じたことはなかった。
そして船に引き上げてもらうと、マスクをはずした瞬間恐怖で気を失い、そのまま病院へ運ばれることとなったのだ。
しばらくしてマラディは退院したが、彼はそのまま故郷であるアメリカへ帰ってしまった。時間の経過とともにあの時の恐怖も少しずつ癒(い)え、そしてそれから30年の歳月が経った。マラディはある会社の会長になっていた。
ある日マラディは縁あって、ロシア人の老医師と知り合った。しばらくしゃべっていると、その老医師は若いころオデッサの病院に勤務していたということがわかった。しかもその病院も、幽霊が出るという噂があった病院だ。
マラディも若いころの記憶がよみがえり、自分の経験したことを医師に喋ってみた。病院の幽霊と海底の幽霊と、何か関係があるのではないか、と。
そして医師から聞かせてもらった話は驚くべきものだった。
時は第一次世界大戦末期。ロマノフ王家の人々は次々と殺害され、革命政府が実質的に実権を握った。革命政府は各地で弾圧を行い、国内の反乱分子を次々と捕らえ、片っ端から投獄した。
だが捕らえた人間があまりにも増えすぎて、彼らが牢に入りきらなくなると、今度は二人一組にして足を鎖でつないで敷地内に放置した。だがそれでも反乱分子の数は多く、これまた収容しきれなくなると政府はついに最終手段に出た。
捕らえた人たちを射殺して、二人ずつ足を鎖でつないだまま、オデッサ湾に投げ捨てたのである。その数は膨大なものであったという。そしてオデッサ湾は、近くの科学工場の廃液がそのまま流れ込み、厚くよどんでいた。この廃液が海底の方に沈殿し、なぜか防腐剤の役割を果たし、死体を腐らせずにいたらしいのだ。
マラディが見たものは幽霊ではなく、大量に捨てられた死体だった。それからまもなくしてオデッサ湾の海底から大量の死体が引き上げられたという。