「奴隷」とは、人権も自由も一切認められず、家畜以下の扱いを受けていた人々のことである。毎日のように強制労働を強いられ、虐待され、ミスがあると簡単に命を奪われた。
アメリカのジョージア州・オーガスタ市は、19世紀以前、「奴隷市場」があった街である。ここでは多くの黒人奴隷たちが、白人たちによって品物のように売買され、モノ同然として扱われていた。
そしてその奴隷市場の中には、一つの大きな「石」があった。「石」といっても、ただの石ではなく、反抗的な奴隷をこの上に立たせ、白人たちが寄ってたかってムチで叩き、制裁を加えていたのである。いわば見せしめのためのステージとして使われていた石であり、多くの奴隷たちがこの石の上で命を奪われた。
奴隷制度が廃止になった後、この街の長(おさ)たちは、昔の奴隷制度をしのばせる遺品として、この石を別の場所に移し、記念碑として街に残していこうと決定した。
移動させる場所も決まり、さっそく石の移動を始めることになった。だが、作業を行うことになっていた二人の作業員は、その日のうちに原因不明の食中毒になってしまい、二人とも死亡してしまった。
翌日、別の二人が作業にとりかかることになったが、今度は作業中に石が倒れ、一人が下敷きになって、圧死。またもう一人は心臓発作を起こしてまもなく死亡した。
またたく間に四人が死んでしまった。街の人々は、「虐待され、恨みを抱いて死んでいった奴隷たちの怨念が、この石にはとりついているのだ。」などと口々に噂しあった。
この作業の責任者であるジェム・トーマスは、次の作業員を募集したが、この一件が広まってしまい、誰も名乗りを上げない。
それなら自分がやるしかないということで、自分が中心となって、なんとか三人ほど都合をつけ、作業にとりかかった。だがちょうど作業に入ったその日、近くを流れるサヴァンナ河が、先日からの大雨で決壊し、付近一帯に大洪水が起こってしまったのである。
作業の方は、石を数十センチ動かしたところであった。その瞬間、河からあふれ出た水が一気に現場を襲った。三人の作業員は濁流(だくりゅう)に飲みこまれて溺死してしまった。そしてトーマス自身もその1~2週間後に肺炎を起こして死亡してしまった。
石の恐怖はますます広まり、とうとう石の移動は中止されることになった。
そして時は流れて20世紀に入り、今度はオーガスタ市の都市計画の話がもちあがった。その計画の一環で、再び石の移動を試みることになったのだ。以前の事件を知っている人々は反対をしたが、それでも「そんなものは偶然の事故さ。」と、恐れを知らぬ人たちの手で作業は始められた。
だが今回も事件は起こってしまった。作業をしていた二人を雷が直撃し、二人とも死亡してしまったのである。再び石の移動は凍結状態となった。
そしてそれからしばらくして、この街に一人の行商人が現れた。行商人はこの石を見て、店を出すのにちょうどよいから、と、この石にいろいろな物をもたれかけさせるように店のセッティングを始めた。
石を利用した、彼の店はまもなく完成した。だが、街の人々はこの石の噂を知っている。
「あんた、悪いことは言わないから、この石を使って店を出すのはやめた方がいい。この石には奴隷の怨念がとりついている。もう、何人もこの石のために死んでるんだ。」
そういって再三忠告したのだが、男は全く耳を貸さない。
「怨念とか幽霊なんてのは俺は全く信じないね。奴隷だって?あいつらは生きてたって苦しいだけで、死んでこそ幸せだったのさ。」
などと、人々の忠告を一笑に伏した。
一日二日と経ったが、特に男に変わった様子はない。四日くらい経つと、ぼちぼちとお客も増え始めてきた。このまま商売も順調にいくかと思えたのだが、男の方はだんだんと言い知れぬ恐怖を感じるようになっていた。
何が・・とは言えないのだが、何か嫌な感覚がする。すぐにでもこの場所を去りたいのだが、身体がいうことをきかない。
そして一週間も経たないうちに男は衰弱し、原因不明のまま死亡してしまったのである。
その後、1910年には、この石に車が衝突し、運転手が死亡した。そして1940年ごろにも、この石に車が突っ込み、乗っていた四人全員が死亡するという事故が起こった。
また1951年には、石の噂を聞いたハイラム・シャーフという男が「そんなものは迷信だ。」と言い放って石の移動を引き受けたが、作業に入る前に階段から転落し、首の骨を折る重症を負った。彼は一命を取りとめたが、それ以来、石の移動を試みた人物は現れていない。