▼一機だけの残骸(ざんがい)

1963年8月28日に、アメリカ・フロリダの空軍基地からKC135給油機2機が飛び立った。このKC135給油機は旅客機で有名なボーイング707を改造したもので、B52爆撃機に空中給油をするために作られた機体である。

2機のKC135はこの日、バミューダ島近くの上空でB52に空中給油をした後、基地へと帰り始めた。この時、1号機の機長・アレンス大尉は
「視界良好、快晴。現在位置はバミューダ島から南西500km。ただ今2号機と並んで飛行中、これより基地に帰還する。」
と報告している。

しかしそれから30秒も経たないうちに、今度は2号機のリチャード大尉から「こちら2号機。針路(しんろ)不明。現在位置を知らせろ。ああっ、見ろ!この世界は!」と叫ぶような報告が入ってきた。

この後、管制塔がいくら応答を求めても2号機からは返事がない。また、1号機からも応答はなくなり、2機とも行方不明となった。

次の日、大がかりな捜索が行われ、空軍機がバミューダ島南西500kmの海上で2号機の残骸を発見した。海上に浮かぶ油と救命具、そして海底に沈んだKC135の2号機の残骸を調べた結果、1号機と2号機が空中衝突したことが判明した。

しかし謎として残ったのは、空中衝突すれば2機とも墜落するはずなのに、残骸が発見されたのは2号機だけであり、1号機の方は機体の破片も5人の乗員の死体も発見されなかったことである。

また、海中で発見された2号機の中にはパラシュートがそのまま残っており、6人の乗員は脱出した様子がなく、ならば機内に死体が残っているはずであるが、死体は一体も発見されなかった。人間だけがいなくなっていたのだ。そして高度計は10万メートルを指しており、スピードは0を示していた。

2号機は高度10万メートルまで急上昇し、速度が0で、その瞬間1号機と衝突したということであろうか。

▼飛行機の行方不明事件

世界的に有名なミステリーゾーンであるバミューダトライアングルは、北アメリカの南東、バミューダ諸島とプエルトリコとマイアミを結ぶ三角形の海域である。この海域では400年前から船舶の行方不明事件がたびたび起こっており、飛行機が発明されてからはこの上空を飛ぶ飛行機までもが行方不明となる事件が発生するようになった。

沈没や墜落という事故の発生件数そのものが飛び抜けて多いわけではないが、その中において不可解な事故の発生件数が他の海域に比べると随分と多いのである。不可解というのは、事故の原因が不明、機体が見つからない、生存者がいない、死体が発見されない、といった点である。

上記のKC135以外の不可解な行方不明事件として以下のような事件もある。

●1963年9月22日、アメリカ空軍大型輸送機C133カーゴマスターが10人の乗員を乗せて大西洋のアゾレス諸島から飛び立った。15時ごろ「本機はただいまマイアミビーチより南東150キロの海上上空を飛行中。」

と報告はあったものの、このままカーゴマスターは消息を絶った。いくら呼んでも応答がない。この後、アメリカの空軍や海軍が一週間の間、200機の飛行機や30隻の艦艇で考えられる全ての地域を探し回ったが、機体の破片も乗組員の死体も、パシュートや救命具も発見されなかった。

<C133カーゴマスター>


●1947年、アメリカ陸軍C54輸送機がキューバ上空を過ぎた後、機長のホーガン大尉が「こちらホーガン、視界ゼロ、針路(しんろ)を失う。現在位置を知らせよ。」と、無電を入れてきた。

そしてその後に大声で操縦不能だとかSOS信号を叫び、そのまま無電は切れ、その後管制塔がいくら応答を求めてもガーガーと雑音が聞こえるだけで音信不通になった。C54輸送機はそのまま行方不明となった。

●1947年、アメリカ空軍カーチスC46輸送機は、32人の乗員を乗せてバハマ上空で行方不明となった。後日、C46輸送機の機体がジャマイカのブルー山脈で発見されたが、機体だけであり、乗員32人の死体は一体も発見されなかった。

●1947年にはスーパーフォートレス機、1950年にグローブマスター機、1952年にスーパー・コンステレーション機、1954年ロッキード・コンステレーション機、1956年マーティン型水上艇がそれぞれ行方不明となってる。

<スーパーフォートレスB29>


また、以下の事件は地図上に場所が記載してあった。(灰色の三角形がバミューダトライアングル。)


01・・1945年07月18日 アメリカ海軍PB飛行艇・乗員15名
02・・1945年12月05日 アメリカ海軍TBM機5機(フライト19)とマーチン飛行艇・乗員計27名
03・・1947年07月03日 アメリカ陸軍C54輸送機・乗員6名
04・・1948年01月30日 イギリス旅客機スター・タイガー・乗員乗客31名
05・・1948年12月28日 アメリカ旅客機ダグラスDC3A・乗員乗客30名
06・・1949年01月17日 イギリス旅客機スター・エーリアル・乗員乗客19名
07・・1954年10月30日 アメリカ海軍スーパー・フォートレスB29
08・・1956年11月09日 アメリカ海軍マリーンP5M飛行艇・乗員10名
09・・1962年01月08日 アメリカ空軍KB50大型給油機2機・乗員9名
10・・1963年09月02日 アメリカ空軍C133カーゴマスター・乗員10名

<ダグラスDC3A>


など、これらを含めて記録に残っているだけでも船舶70隻以上、飛行機が50機以上行方不明となっている。

これらの事件では共通したいくつかの点がある。まず、機体の本体はおろか破片もほとんど発見されず、合計百数十人の死体ばかりか、遺品さえ見つかっていない。飛行機が墜落した時に見つかるはずのパラシュート、救命道具、非常用信号装置、照明灯などはもちろん、飛行機が海上に落ちた時には必ず流れる油や燃料などの跡もなく、海岸に漂流物が打ち上げられたこともない。また、SOS信号を発する前に突然無電が切れる。

異常事態を知らせる無線はほとんどの場合、エンジントラブルを訴えるのではなく、白い霧や白い水などという言葉を発している。一般的な遭難が悪天候の中で起こることに対し、この海域では晴天の日でも事故が起きているということなどである。

また、異常事態に遭遇しながらも帰還した人たちもおり、例えば1964年にバミューダ海域を飛行していたチャック・ウェイクレーの体験によると、突然飛行機の両方の翼が光り出し、計器が狂って飛行機もバランスを失ったのだが、しばらくそのままの状態で持ちこたえていると、次第に翼の光も弱くなり計器も正常に戻っていったという。

1966年にはこの海域を航行中の船舶の羅針盤がいきなりぐるぐると回り出して航行不可能な状態となり、それと同時に船全体が濃い霧に覆われた。幸いにもこの後は機器も正常に戻ってこの海域から脱することが出来た。

行方不明事件が起こる瞬間を目撃した人もおり、白く光る霧か雲のようなものに機体が入っていってそのまま出てこなくなったと証言している。

▼船舶の行方不明事件

この海域では、飛行機だけでなく多くの船も行方不明となっており、特に1920年ごろから1966年までに50隻以上の船が消息を絶っている。その大半は漂流物や救命ボートも発見されていない。

●しかし1963年2月4日にフロリダ海峡(フロリダ半島とキューバの間の海峡)で消息を絶ったアメリカの大型タンカー「マリン・サルファー・クイーン号」の場合は、いくつかの残骸が発見された。

2月3日にクイーン号は、乗員38名と、積荷である液状の硫黄(いおう)15000トンを積んでテキサス州ボーモント港を出発した。翌日2月4日には「今、本船はキューバ沖合を通ってドライ島の北東10キロ沖を航海中。全て順調。」とジェームス船長は無電を打っている。

2月4日の13時30分に定期連絡があったが、その後いくら打電しても応答がないので会社の方も異変を感じ、すぐに沿岸警備隊や救助用飛行機飛行艇に探してもらった。確かにこの定期連絡の12時間前には、同じような海域にいる別の船から「海が大荒れで甲板にも浸水している。」という報告があったが、それは12時間も前のことである。

そして消息を絶ってから16日後である2月20日、フロリダ州キーウエストの沖合20キロの海上で、警備隊の巡視艇が2つの救命胴衣と板切れ、霧笛など残留物をいくつか発見した。それらには「マリン・サルファー・クイーン号」と書かれてあり、行方不明となっていた船のものに間違いはなかった。

しかし発見されたものはわずかなもので、生存者も死体も発見はされなかった。非常事態であってもSOSを発する時間もなかったということはないであろうし、積荷の硫黄が爆発したのであれば硫黄が海上に漂うはずである。
また、爆発して船がコナゴナになったのであれば、救命ボートや救助信号ブイ、浮き輪などは自然に浮いてくるはずであるが、それらも発見されなかった。爆発にしては漂流物があまりにも少な過ぎるのである。


●1918年3月13日、アメリカ海軍の輸送船サイクロプス号は、西インド諸島のジョージ・タウンから出港してバミューダ海域で行方不明となった。重量14000トン、乗員は海軍兵士202名というこの巨大な船は全く消息を絶ち、一人の生存者も漂流物も発見されなかった。

<サイクロプス号>


他の代表的な船の消滅事件としては

1880年1月イギリス海軍の船アトランタ号。乗員300人と共にバミューダ島近くの海で行方不明。

1920年4月フランスの客船オブライエン号。乗員150人と共にフロリダ沖で行方不明。

1926年3月アメリカの貨物船サダフコ号。乗員26人。

1950年6月スペインの貨物船サンドラ号。乗員85人と共にハイチ近くで行方不明。

1966年12月メキシコの輸送船サザン・シティ号。乗員16人と共にカリブ海のハイチ近くで行方不明。

1970年 ミルトン・イアリトリード号(フランス貨物船)

1973年 アニタ号(ドイツ貨物船)

▼最も有名な事件・フライト19

1945年12月5日の午後、アメリカ・フロリダ州フォート・ローダデールの空軍基地から、5機のTBMアベンジャー型雷撃機が大西洋海域へ飛行訓練に出発した。隊長のエドワード大尉とウォルター伍長(ごちょう)は指令機に乗り、他の4機には3人ずつが乗り込んだ。全部で14名の「フライト19飛行編隊」である。

<TBMアベンジャー型雷撃機>


この訓練は、東へ250キロ、北へ60キロほど飛行し、フォート・ローダデールの基地へは15時42分に帰還の予定であった。しかし15時45分、基地のコントロールタワーの無線にエドワード大尉の慌てた声が飛び込んできた。

「管制塔に告ぐ!こちら指令機。緊急事態だ!我々はコースをはずれたらしい!陸地が全く見えない!」
「現在位置は?」とタワー側が聞くと、

「それが分からん。ここはカリブ海上空か?どこを飛んでいるのかさっぱり分からない。機の位置を知りたい!」

「ではとにかく西へ向かえ。」とタワー側は指示した。
「それがどっちが西か分からん。奇妙だ。何もかもおかしい。方向がつかめないし、海の様子もいつもと違って妙に白い。」

「西」とはこの時は、太陽の方向が西に当たる。コンパスが全部狂っていたとしても、太陽が分からないということはないはずである。タワー側もエドワード大尉の返事に首をかしげた。

「一体、何が起こったんだ?雲の中に入ったのか?他の4機はどこへ行った。」と、大尉も続ける。

だんだんと無線が途切れ始め、明らかに感度が低下し始めた。聞き取りにくい中で、他のパイロットたちも「計器がみんな狂った!」と怒鳴り合っている。編隊ごと嵐にでも突入してしまったのかと、タワー側もざわつき始めた。

しばらくして一人のパイロットがタワーに通信してきた。
「現在16時25分。現在地は不明。迷ってしまったらしい。・・・うわっ!白い水に突入した!」

また、エドワード大尉も通信してきた。
「ここはどこだ?いや、基地の北東360キロ・・」
この後、大尉は驚いた声で
「見ろ!我々がいるところは・・!」

通信はここで途絶えた。これ以降、フライト19編隊の誰からも応答がない。
タワー側も大変な騒ぎとなった。燃料がもつのは4時間ほどである。それまでに着陸しないと海に落ちる。


18時30分、隊員救出のため、今度は飛行艇マーチンPBMマリナー号が、13人の乗員を乗せて基地を飛び立ち、無線の途切れた地点へと向かった。

<飛行艇マーチンPBMマリナー号>


1時間後の19時30分、それまでの捜索を続けていたマリナー号から通信が入ってきた。
「フライト19はまだ発見出来ない。・・何かまわりの様子がおかしい。うわっ!何か白いものに包まれた!」

マリナー号の通信はここで途絶えた。そしてフライト19と同様、マリナー号もこれ以降応答はなくなった。

すぐに大がかりな捜索活動が行われ、大型空母ソロモンズを始め21隻の艦艇が海上を探しまわり、300機以上の飛行機が5日間上空から探し、陸上でも12の捜査隊が全ての海岸線を探しまわった。だが、死体もフライト19編隊もマリナー号も、破片さえ発見されなかった。

フライト19の5機14人とマリナー号の1機13人は全て行方不明となった。軍用機が6機も行方不明となった事件は、アメリカの新聞でも大々的に報道された。

▼フライト19事件の真実性

このフライト19の事件はバミューダ海域の中でも特に有名な事件で、様々な書籍やサイトでも引き合いに出されているが、大まかな流れは同じものの、細部になるとどこも微妙に違うことが書かれている。
<食い違う部分は全部省(はぶ)きたかったがそれでは文章にならないので、わりと似通っている部分を選んだり、違っているところは自分の判断で1つを選んで構成した。>

具体的には、
「隊長はテイラー中尉。」「隊長はエドワード大尉。」
「白い霧や水のことを発言した。」「通信記録にはそのようなものはない。」
「天気は晴天。」「かなりの雲がたちこめている上にすごい暴風。」
「パイロットは熟練者ばかり。」「大半が練習生。」
「フライト19は跡形もなく消滅した。」「燃料切れで全機墜落した。後年になって海底で機体が発見された。」「海底で発見された機体は製造番号を照らし合わせてみるとフライト19ではなかった。」
「捜索に当たったマリナー号も行方不明となった。」「マリナー号が消息を絶った時間に何らかの飛行機が空中爆発を起こすのを見たという証言がある。」
などである。

完全な事実を伝えているのはどれだか全く分からないのが正直なところである。昔起こった事件があちこちで紹介されると、一種の伝言ゲームのように伝わるのは仕方がないのかも知れない。

共通している部分は「5機の軍用機が消息を絶った。」「そして捜索に当たったマリナー号まで消息を絶ってしまった。」という点である。

バミューダ海域は「船や飛行機が謎の消滅をする」と紹介されるのが一般的であるが、全ての行方不明事件をすぐに消滅と考えるのは短絡的なので、これをあくまで現実的な事件として考えてみると、飛行機が行方不明になったということは最終的な結論は墜落以外にない。

だがそうであれば、相当謎の多い事件となる。フライト19の5機が全て何時間も音信不通となり、燃料が切れるまでの4時間、誰も自分の位置を把握出来ずタワー側でも把握出来ず、そしてコクピットに乗ったまま誰も脱出出来ずに全機墜落したとなれば、あまりにも不可解な事故である。結論は墜落と書いたが、墜落かどうかも分からない。

事故か消滅か、結論は何とも言えないが、問題は突然計器や機械類が狂い、立て続けに6機もの飛行機に異変が生じたということである。そのような異変や事故を誘発させる何かがこの海域にはあると言える。

▼その他の不思議現象

バミューダ海域では磁力が強くなったり弱くなったりすることがあり、更にラジオや無線が突然聞こえなくなったり時間的にずれて受信されることがあるという。

また、1975年には、バミューダトライアングルの上空で人工衛星の故障がたびたび起こっていると発表された。地上に向けての送信が、妨害を受けているようになって通信不能になることがあるという。

そしてこれも機械的に異常な事件の一つとなるが、1970年、ブルース・ガーノンという青年が軽飛行機を操縦してバミューダ海域を飛行し、マイアミへと向かっていた時のことである。途中、変な感覚のする雲に突っ込んだ。しかし機体も自分も別に異常は感じなかったのでそれほど気にも止めなかったが、マイアミへ到着した時、予測していた到着時間(最短到着時間)よりも更に30分速く着いたということが判明した。

彼の言う通りであれば、不思議な雲の中で、ある程度の距離を瞬間移動したということも考えられる。

▼行方不明事件の原因

船や飛行機の行方不明を誘発する原因として、いくつかのものが上げられている。まず考えられるのは、爆発事故、過積載、突然のハリケーン、悪天候の中での飛行、操縦ミスなどである。もちろんそれぞれのケースによって原因は違うだろうが、現実的に考えるとまずこれらが候補に上がる。

ただ、これらだけでは説明のつかない事件も多く、起こりうるであろう特殊な自然現象もそれらの候補としてあげられている。突風が発生するというダウンバースト説と海底から発生したメタンガスが原因というメタンハイドレード説である。

▼ダウンバースト説

ダウンバーストは下降噴流とも言われ、雷雲などから降りて来た突風が地面に激突して放射状に広がる現象のことである。その速さは秒速40メートルから80メートルにも達する。原因不明の航空機事故には、こういった突風を原因とするものも多く含まれていることが近年の研究で明らかになっている。

船舶や飛行機の事故の要因として確かに突風ということも考えられるが、ダウンバーストは低空のみで発生し、高空では発生しないとされているし、機体が見つからないということについてはダウンバーストでは説明出来ない。

▼メタンハイドレード説



メタンハイドレードは、深海に存在する、圧縮されて氷状になったメタンガスのことで、次世代のエネルギーとして採掘が検討されている海底資源でもある。

海流には寒流と暖流があるが、暖流がメタンハイドレードに当たると、氷状になっていたものが解けて爆発的にメタンガスを発生させる。海底で発生したガスは海面まで上昇して、海を激しく泡立てる。そこへ船が通りかかると泡に巻き込まれて浮力を失い操縦不能になったり、転覆して沈没してしまう。

また、海面から蒸発したメタンガスは飛行機の空気取り入れ口などから吸い込まれて、エンジンが酸欠状態になり、出力が低下して失速・墜落する。残骸は泡立つ海の底に沈んでいき、メタンハイドレードの解凍によって海底が激しく変化しているわけだから、残骸の上にすぐに堆積物が積もり、発見されにくくなる。

メタンハイドレードは世界中に分布しており、アメリカ大陸では太平洋沿岸に沿って分布している。バミューダ海域では陸地を取り巻くように密集して存在していることが明らかになっている。

また、暖流についても、バミューダの海域は暖流であるガルフストリーム(メキシコ湾流)の通り道にあたる。この海流は南から暖かい海水を運んでくる強い海流である。

つまり、バミューダ海域にはメタンハイドレードと暖流という二つの条件が揃っており、メタンガスを噴出しやすい環境にあると言える。

メタンハイドレードを消滅事件の原因とするならば、突然の操縦不能や機体の残骸が発見されないことにも説明はつくことになる。

しかしこの説の欠点は、世界中でこの二つの条件が揃っているところならばどこでも同じように消滅事件が起こるはずであるが、他に地域ではそのようなことはない。

消滅事件がゼロというわけではないが、バミューダ海域に比べればはるかに少なく、メタンハイドレードと関係かあるのかどうかも分かっていない。

▼UFOの誘拐説

異星人が地球人の標本や機械類を採取するためにさらっているという説。標本採取が目的ならわざわざ移動中の飛行機や船を狙う必要もなく、だいたい巨大な船が1隻入るほどの大きなUFOが必要であるし、そのようなものが出現すれば目撃者も多数いるはずであるからこの説の可能性は低い。

▼四次元へ移動したという説

強烈な重力と磁力が同時に働いた時、そこには空間に裂け目が出来て、その中へ周囲のものが吸い込まれ、四次元の世界へ移動するという説。吸い込まれたものは四次元の世界で永遠にさまよったり、過去や未来の時間の概念を超えた世界へ突然出現したりする。

自然現象から説明しようとする説とは一線を画(かく)す説であり、超常現象として解釈している説となる。

次元の観念とは、理論上の話ではあるが、以下のようにされている。

0次元・・点だけの世界で、その一点以外移動は出来ない世界。
1次元・・直線だけの世界で、その直線の間だけ移動可能な世界。高さというものは存在しない。
2次元・・面だけの世界で、面の上だけは自由に移動可能。1次元と同じく高さは存在しない。
3次元・・我々のいる世界で、「面」に高さを加えた世界。面の上だけ移動可能な2次元の世界に加えて上空にも移動可能。つまり空間の移動が自由に出来る世界。
4次元・・3次元に時間の概念を加えたもので、3次元は空間的に自由に移動出来るが、4次元は空間に加えて時間的にも自由に移動出来る。つまり過去にも未来にも簡単に移動出来る世界。

あくまで理論上の世界である4次元の世界へバミューダ海域がつながっていると考えるのは極めて非科学的ではあるが、だいたい科学というのは、これまでの人類の歴史の中で人類が知り得た知識の範囲内のことを言うわけだから、それ以外のことは全て「非科学的」ということになる。

超常現象とは、それが存在しているのに現在の人類がそれを知らないだけで、人類の知識はまだ発展途上と考えれば、今は馬鹿馬鹿しいと思われる考えも完全に否定することは出来ない。

逆に超常現象を非科学的だと真っ向から否定する人は、人類の知識や進歩がここでストップすると信じているようなものである。現在の超常現象もいずれは一つ一つ解明されて、そのうち常識となる可能性も十分にある。

以上のように消滅事件に関していくつかの仮説は立てられているが、どれも決定的なものはない。事故や自然現象を核とした仮説は、船や飛行機という「機体」が水没したという点だけに絞られており、それぞれの現場には「生きた人間」が存在していたということが軽視されている。

飛行機が墜落しそうになれば不時着を試みるであろうし、それが無理ならパラシュートで脱出しようとする。全てのパイロットが乗ったまま墜落し、海中に沈んだとは考えにくい。

船が沈みそうになれば海に飛び込む者もいれば、浮き輪やブイにしがみついたり、救命ボートを出したりするだろう。メタンハイドレードで船が沈没したとしても、0コンマ数秒という一瞬で沈むはずもなく、その瞬間甲板にいた人間ならば死んだとしても浮いてくるはずである。

生きようとする人間の痕跡は、漂流物や生存者、あるいは死体という形で見つかるはずであるが、この海域の事件では生存者も死体も全く見つからないケースが多い。事故や自然現象によって説明する説では、どれもこれを説明出来ていない。

だいたいそれぞれの事件に生存者がいれば、その人にインタビューをすればいいだけのことであって、生存者がいないから第三者が仮説を立てなければならないという、すでにその点自体がこの海域の事故の異常なところなのである。

バミューダの最大の謎は、機体が消えたのは完全に消滅したのか通常の事故で水没したのかなどという点ではなく、生存者がいない、死体がないという点に尽きる。

▼消滅事件の数と事件内容の真実性

バミューダ海域で起きた消滅事件の数は、実際に起こった事件よりも水増しして伝わっていると言われている。

三角地域を少しはずれているだけならまだしも、はるか遠くで起こった事件がバミューダ海域で起こったことになっているとか、実際は通常の事故で沈没したと判明しているものでも謎の消滅をしたことになっているとか、消滅事件の中にはそういったものも含まれているという。冒頭に書いた事件にもそういったものが含まれるかも知れない。

しかしこういったことはミステリーの世界ではよくあることでもある。

それは「多くの偽物の心霊写真の中に、どうしても説明のつかない本物が何割か混じっている。」のと同じことであり、

「未確認動物を見たという報告の中の大半が、流木や現存の巨大化した動物を見間違えただけであり、だがその中にあってその何割かが本当に未確認動物に遭遇していた。」
というのと同じことだが、そういったことがバミューダ海域のミステリーを広げる際にも起こっていたとも言える。

ただ、本当に消滅しているとしか思えないような船や飛行機もあり、正確な消滅事件の数は不明であってもミステリーゾーンであることには違いない。

良い言い方ではないが、「ミステリーは金になる」というのも事実である。作家が自分の本を売りたいがために話を誇張し、それを参考に別の人が文章を書く。それが事実として定着していたところへ「いや、あれは間違いだ、デタラメだ。」と反論する記事を書けばその本も暴露(ばくろ)本として売れる。「あれは事実と違う。」と否定している人の方が、実は間違っている場合もある。

「バミューダで起こった消滅事件は全てでっち上げであり、著述家が創造したものである。」と断言する文献もあるが、遺体のないまま死亡を告げられた乗組員の遺族も多くいる以上、事件全てが「でっち上げ」という言い方をすることは出来ない。

バミューダの件に関しては「通常の事故が消滅事件としてその数に入ってはいるものの、機体も人間も完全に消滅したとしか思えないような謎の事件が多い海域。」という言い方になる。

現在でもこの海域は、一年間に延べ15万隻以上の船が行きかう重要な航路となっているが、その中で一年に100隻前後もの船が行方不明になっているという。もちろんそれらを最初から「謎の消滅」という先入観を持って見ることは間違いであって、大半は通常の事故による沈没であろうが、全ての行方不明が全て事故とも言えない。


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