現実を受け入れ、インスピレーションの赴くままに
職人としての腕はもちろんのこと、木の持ち味を最大限に生かすこと、本物の音を追求する意識、フラットな精神状態、これらがうまく影響し合って始めて1本のギターが完成する。作る工程を全て見せてもらえると思っていた自分の甘さが恥ずかしい。
阿部さんが始めてギターの洗礼を受けたのは兄が腎臓を患って入院したとき。兄はクラシックが好きでギターを弾いていた。その影響で高校時代にギターを弾きはじめ、できれば演奏家になりたいと思った。
しかし「やはりサラリーマンか」という漠然とした諦めの気持ちがどこかにあった。とはいえ、音楽から離れたくはなかったので東京経済大学卒業後、音楽関係の会社に経理として就職。仕事の合間にスピーカーのボックスづくりをしていた2年後、雑誌の『ギターづくり弟子募集』を見てこの世界に飛び込んだ。
以後9年間、東京でギターづくりに専念。しかし訃報の数々が見舞う…兄の交通事故死、父母の死。15年前母の看病で故郷に帰った時、父は脳梗塞で倒れボケが始まっていた。ガンと闘う母、徘徊する父。
「社会の縮図を一度に見ましたね。」
ぽつりとでたその言葉、阿部さんの優しさはこんな辛い現実の中からも生まれていたのだ。
阿部さんは、居間にしつらえた弾き語り用の椅子に座って、
『禁じられた遊び』『アルハンブラ宮殿の思い出』を披露してくれた。阿部さんの弾く音色には人の心を癒す不思議な響きがある。人生経験の深さは作品づくりの栄養になる。それは製作家の精神性・人間性に深みと優しさを加えてくれるから…。
ギターづくり=自分の生き方、挑戦