「どうしても、行くのか」 最後の夜、最後の酒を酌み交わす。 もう何度、お前とこうやって酒を飲んだことだろう。お前と出会ってから、ずっとお前の傍にいたような気がする。 友情とは無縁だった俺に、助け合うことを教えてくれたお前。 情熱とは無縁だった俺に、自分の心にも宿るものがあると教えてくれたお前。 そして明日、俺は旅立つ。北の果てへ。かつての仲間がいる、護るべき者たちがいる場所へ。 「もう決めたのだ。俺は、俺の成すべきことをすると」 お前の傍にいたら、俺は甘えてしまうだろう。 安定した日々は、俺には似合わない。 そう言ったら、お前はきっと怒るのだろう。 「そうか。お前が決めたのなら、俺に止める理由はない」 酒を飲む手を休めることなく、お前は少し目を伏せる。 「だが、これだけは約束しろ」 「なんだ」 「必ず、生きて帰れ。そうでなければ、俺はお前を行かせることはできない」 お前の言葉に、俺はすぐに返事ができなかった。 できるわけがないだろう。俺は―――――死地を求めているのだから。 俺の決意をわかっているのか、お前は鋭い眼光で俺を射る。 この男に誤魔化しはきかない。 それでも約束を交わすことはできない。 約束とは、契約。 どんな些細なことでも、それの効力は絶大だ。 特に、お前と約束などしてしまったら、俺は。 俺は、何が何でも生き延びなければならない。 「なァ、霜葉。約束とは何だと思う?」 杯を一気に空にすると、溜息交じりに言葉を吐く。 「約束とは・・・重いものだ」 「重い?」 「あァ。特に、俺のような男にとってはな」 常に死を見つめていた。いつでも死ぬ覚悟ができるように、約束を誰かと交わすことなどなかった。 約束をしてしまえば、死に際、未練が残る。 そのような無様な死に方は、したくない。 それに、約束を交わした相手はどうなるのだろう。 きっと、未練が残るに違いない。約束に、縛られてしまうかもしれない。 だから俺にはできない。 相手を『約束』で、縛ることはできない。 そのような資格など、ない。 「俺はな、そんな重いものではないと思う」 微笑みながら、お前は言う。 まるで、俺の心を見透かしたように。 「龍斗?」 「約束っていうのはな、嘘をつかないことなんじゃないか?」 「・・・・・」 「お前が死ぬために、北へ向かおうとしていることはわかっている」 ―――――どうして。 「北で何が起こっているのか、わかっている。戦況が芳しくないこともな。敵対していたとはいえ、それでも時代に逆らい、己の信念を貫こうとする姿勢は畏敬の念を払わねばなるまい」 俺はしばし、黙って聞いていた。 「新撰組最強と謳われた壬生霜葉が参戦するとなれば、士気も上がるだろう。たとえ一時は局抜けをしたとはいえ、お前が誰よりも新撰組を愛していたことは、誰もが知っている。――――――以前、沖田が言っていた」 「沖田・・・」 俺を慕い、肺を患いさえしなければ俺を抜いたであろう、稀代の天才剣士、沖田総司。 その生涯を俺が閉ざした。俺が、切った。 「だがな、はっきり言わせてもらえば、お前が行ったところで多勢に無勢。動き始めている時代は、信念だけでは止められぬところまで来ている」 自分で酒を注ぎながら、唇を濡らす。 「その状況の中、お前が行く理由はただ一つ。死に場所だ」 「お前には、敵わないな」 心からそう思った。 京で出会ったときも、敵わないと思った。あのときから見透かされていると思っていた。 局抜けをしてからずっと、死に場所を探していた。局抜けをしても、新撰組を愛してた。 もしも、俺が死ぬとしたら、新撰組のために新撰組として死ぬ。ずっと心に決めていた。 それが俺が俺に対して行った契約。それが、約束。 「己に嘘をついてまで交わす約束など、なんの意味もない」 お前の言葉が、胸に響く。 「だから俺は、お前と約束を交わしたいのだ。霜葉」 「何故、そこまで俺に執着する?」 「別に執着しているわけではないさ」 そう言って、軽やかに笑う。 「友が、死ぬのは誰だってみたくないだろ?」 「龍斗・・・・」 「俺は、お前が死ぬのは嫌なんだよ。たとえ、それが男の花道に水を差す結果になろうともな。格好悪くたっていい。無様だっていいじゃないか。死んでしまうより、ずっといい」 「龍斗・・・俺はもう・・・」 「行くなとは言わない。言ったところで、お前が止まることはないと知っている」 本当は、誰にも告げずに旅立とうと思っていた。 だが、お前だけには告げようと思った。 何故そう思ったのは、俺自身でもわからなかった。 「忘れないで欲しいんだ」 呟くように、言葉を漏らす。 「俺は、お前を友だと思っている。お前が、俺をどう思ってるかは知らないが」 「お、俺は・・・・」 「もし、友だと思ってくれるのならば、約束をして欲しい。再会の約束を」 ――――――再会の約束。 どうしてお前に告げようと思ったのか、ようやくわかった。 新撰組しか頭になかった俺の心の中に、友として信じることを教えてくれたのは、お前だった。 「俺は、自分に嘘はつけない。だから俺は、お前の無事を願う。お前が戻ってきてくれることを願う。だから忘れないで欲しいんだ。お前には、帰る場所がある。待っている者がいるということを」 帰る場所。 待っている者。 この俺に。 あるというのか。 お前は帰る場所を護り、待つというのか。 この俺を。 約束とは、契約。 どんな些細なことでも、それの効力は絶大だ。 やはり、重い。約束とは重いものだ。 だが、己の中に、確かに息づく何かがいる。 そいつが生きたいと、友との約束を守りたいと叫んでいる。 約束とは、嘘をつかないこと。 己に嘘をついてまで交わす約束など、なんの意味もない。 龍斗―――――俺はある意味、お前と出会ったことを後悔している。 お前と出会わなければ、友の温もりなど知らずに死ねた。 帰る場所や待つ者がいるという幸福を知らずに死ねた。 お前の所為で、俺は無様に生き延びねばならない。 約束を守るために。 「約束は、守られる」 俺がそう言うと、お前は心底嬉しそうに頷いた。 「だが、死んでも恨むなよ」 「恨まないさ。もがいて足掻いて、それでも死んでしまうのならそれは天命。立派な墓を建ててやる」 「建てんでいい」 笑みが零れた。
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