今度はトイレに篭ってしまった(……)龍羽に。壬生はいつもの通り、声をかける。
「龍羽。ビーフシチュー温めたよ。出ておいで」
ノックは、軽く2回。
それ以上は何もせず、黙って背を向ける。
すると。かちゃりと小さな音が背後で響いて。
数歩進んだところで立ち止まっていた自分の背中に、そろりと龍羽が手を伸ばしてきて。
シャツを掴んで、少し引き寄せると。
そこに、額を寄せる。
それは、猫が甘えるときの仕草によく似ていて。
でもここで笑ってしまっては、また彼女の機嫌を損ねてしまうことは、今までの経験上わかっていたから。
思わず緩んでしまいそうになる頬を、必死で押えて。
彼女を背に張り付かせたまま、リビングへと戻る。
これが。
2人の、いつもの仲直り。
そうして、仲良く食卓について、遅くなった夕食をとりながら。
「――それで、何で遅くなったの?」
余り責める口調にならないように気をつけながら、壬生は改めて龍羽に問う。
照れて、パニクって、慌てる彼女は、可愛いから(酷)。ついつい見たくなって、からかってしまうけれど。
それは、1日1回(?)で充分で。
それ以外は、はやり『恋人同士』として、べたべた甘えていたい(……)。
でも。そうするには。1つだけ、気になることがあったから。
遠回しに、それを確認する。
龍羽は一瞬、びくりとしたけれど、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「えっと、ね……そうそう、芙蓉に会ったの!」
「……芙蓉、さん?」
「そう! それで、浜離宮に行ったら、遅くなっちゃったの。ゴメンね」
両手を顔の前で合わせて、ぺこりと頭を下げて。おまけに、ウインクを1つ。
そんな龍羽は、思わず抱きしめたくなるほど可愛かったのだけれど。
まだまだ自分の知りたいことは、聞けていないから。
危なくそのまま流されそうになったけれど。咄嗟に堪えて、誤魔化されないように注意しながら、話を続ける。
「ふ〜ん。浜離宮ね」
「ほ、ほら。あそこはいつでも桜が見れるでしょ? 久々に、見たくなって」
「――で? 綺麗だったかい?」
「うん! とっても、綺麗だった!!」
「よかったね」
「今度は、紅葉も一緒に行こうね〜」
自然に流れる会話に、気をよくしたのか、はたまたもう安心と踏んだのか。龍羽は笑顔で誘いかけてくる。
そんな彼女に。
「そうだね」
こちらも自然に笑顔で答えて。
彼女にけして気付かれないように、罠を仕掛けるタイミングを謀る(こらこら)。
穏やかに、甘い空気が周囲を満たす。
彼氏に、今日の出来事をにこにこと報告する彼女。
優しく、彼女の話を聞く彼氏(ただし、こちらは一部演技)。
それは表面的には、『恋人同士』のらぶらぶな会話で。
「でね。話こんで、遅れちゃったの」
甘えるように、謝る龍羽の言葉を受けて。
絶妙のタイミングで。
壬生は次の言葉を口にした。
「――村雨さんと?」
「そうそう! たまたま、帰ってきてたから……っ!!!」
そこまで口にして、はっと我に帰り。
龍羽は、やっと壬生がこの話題を振って来た本当の理由に気がついた。
しかし。既に口から出てしまった言葉は、最早戻すことなどできないから。
一気に顔から血の気が引いて。背筋を、冷たい汗が流れる。
それでも、何とか勇気を振り絞って。『ギギ……』と音が鳴りそうなほど不自然な首の動きで、顔を上げて。
恐る恐る、彼のほうを見ると。
「…………」
実に『にこやかな笑顔(=はっきりいって、そうとしか表現できないほど怖い笑顔)』が、目の前にあった。
それがまた、なんとも言いようがなくて。
無言の彼の笑顔が、とてつもないプレッシャーになって。
「……く、く、くれは、さん……?」
思わずどもってしまったのは、仕方のないことだろう。
「何かな、龍羽?」
再びにこりと。
何も知らない女の子達なら、一目で視線と心を奪われてしまいそうな、魅惑的な笑顔のまま。壬生は龍羽に問い返す。
しかし。
その瞳がけして笑っていないことに。
その《氣》が。ものすごく不機嫌になっていることに。
そして。穏やかに甘やかになりかけた空気が。再び、ぴしりと音を立ててひび割れたことに。
龍羽は、もちろん気がついていた。
つまり。先程の口ゲンカの原因の真相は、こうだ。
自宅に帰る途中、たまたま帰国していた村雨に会って。
本当に久々だったから、一緒に浜離宮までついて行って。御門やマサキ、芙蓉にも久しぶりに会えたから、ついつい時間を過ごしてしまった。
そして気がついたら、かなり遅い時間になっていてしまい。
慌てて帰ると、玄関で壬生が仁王立ちで待っていた。
そのとき初めて、『今日は早く帰るから、ビーフシチューが食べたいなv』などという、今朝の自分の言葉を思い出して。顔から血の気が引いたのを、憶えている。
でも、本当のことは(なんとなく)言えなくて。のらりくらりと逃げていると。
遅れた時間についての文句から、何故か最近の世界情勢や昔戦闘中に呼んだメンバー構成の文句(?)まで言われて。
さすがに、カチンときた――というのが、真相だったりする。
別に、悪いことはしていないし、ヤバイことも(?)していないから、精錬潔白の身なのだけれど。
龍羽は壬生に真相を話せなかった。
理由は、ただ1つ。
言えば。
絶対に。
壬生は村雨に対して、嫉妬するからだ。
壬生は、自分に近づく男には容赦がない(……)。
それはそれで、彼に愛されている証拠なのだろうけれど。
とにかく、少しでも自分に近づき。しかも、肩を抱いたりしようものなら。本気で殺し(!?)かねない。
過去、その対象の筆頭とも言えるのが、自分の相棒であった蓬莱寺京一であり。
そして、今回の話題の中心人物――賭博師・村雨祇孔だった。
しかし、2人とも高校卒業と同時に、さすがに長い壬生の脚でも届かない海外へと旅立っていたから。
とりあえず、知り合いの死体発見者(!?)になることはなくなったと、安心していたのだけれど。
逃がした標的を見つけたように、危険な色を瞳に浮かばせながら微笑む壬生に。
はっきりいって、龍羽はかけるべき言葉を見つけることができなくて。
「……ふ〜ん。村雨さんと、ね」
「……え、えっとね……」
「僕が君のために、一生懸命心をこめてビーフシチューを作っていた頃。君は村雨さんと、仲良く遊んでいたわけだ」
「……遊ぶっていっても、」
「まあ、ビーフシチューは煮込んだ方がおいしいから。時間と手間がかかっても、そんなに気にならなかったけど」
「……う」
「ねえ、龍羽? 楽しかった?」
にこにこと。
実に、綺麗で見事で。それでいてどこかイジワルな壬生の笑顔に。
「……ゴメンナサイ……」
龍羽には、謝ることしかできなかった。
しかし。
「――言葉だけ?」
そう言って。言外に『とある行動』を求めている壬生の真意を理解して。
心の中で、涙を流しつつ。
――そっと立ち上がって、壬生の隣の席に座ると。
彼の首に腕を絡めて、自から彼を抱きしめて。
『ごめんなさい』の、キスをした。