それは。
在りし日の思い出がたくさん詰まった、1つの小さな箱。
「――あれ?」
居間の模様替えをしている最中、リビングに置かれていた本棚を動かしたとき、その後ろから1つの小箱が出てきた。
明らかに『忘れ去られた』というように埃をかぶっているそれは、菓子の折り箱のようなもので。結構な時間が経っているのだろう、僅かに外側は変色していた。
だから、はじめは『ゴミとして捨てようと思っていたものが、棚の裏側に落ちてしまったのだろう』と、単純に思った。
けれど、持ったときになにやら『かさり』という音がして。中に何かが入っていることが、わかった。
だから、何気なくその蓋を開けてみると。
「……これ」
出てきたのは、数十枚の写真たちだった。
箱に入っていたために変色は免れたらしい。それでも結構な時間が経ったものだと、すぐにわかった。
何故なら。
その一番上の写真に写っていたのは、まだ幼い少年を中心においた男女の姿で。
その少年の顔に、見覚えがあったから。
多分、少年の父であろう男性の顔に、面影があったから。
「――紅葉、紅葉!」
龍羽は箱を手に立ち上がると、別部屋の掃除をしているはずの同居人の姿を探しはじめた。
気配を感じるのは、彼の自室の方。
勝手知ったるという風に、ノックもなくドアを開けて。見つけた彼――壬生に、駆け寄った。
「どうしたの? 龍羽」
不思議そうに自分に視線を向けるその表情に、『やっぱり』と思う。
だから。
「ほら、これ!」
手にしていた写真を、彼の前に突き出すと。彼は予想通り目を見開いて――ついで少しだけ微笑んで、写真に手を伸ばした。
懐かしく、また愛しいものを見つめるように、その写真に写る幼い頃の自分自身と、父母の姿を指先で撫でる。
「ああ……よく見つけたね」
幼稚園の入園式だろうか、園の制服らしい上着を着て立つ彼の表情は、少しだけ強張っていて。その両側に立っている2人は、満面の笑みを浮かべている。
幸せそうな、家族の肖像。それは彼が今見ている写真だけではなく、箱の中にいっぱい詰め込まれていた。
「本棚の裏に落ちてたよ?」
龍羽もまた微笑んで、壬生の手元に移動した写真を覗きこんだ。
暫し片付けの手を休めて、2人で写真に見入る。
行事はもちろん、日常のちょっとした写真などもたくさん混じっており。その全ての裏にメモがあって、それがいつどのような状況で取られたものなのか、すぐにわかるようになっていた。
春――実家の庭で花見をしている風景。宙から降り注ぐ雪のような花びらの中で、母の膝の上で眠っている少年。
夏――海水浴に行き、初めてみる海に驚きつつも、楽しげに波打ち際で遊んでいる少年。
秋――名前と同じ紅い葉に囲まれて。不思議そうに両手にもったそれを掲げている少年。
そして冬――近所で飼われていたらしい犬と、一緒に雪降る道を走っている少年。
それらは全て、今の彼からは想像もできないような、純真な少年時代の思い出で(こらこら)。
同時に――今は亡き父との、病に倒れた母との大切な思い出だった。
「……いっぱいあるね」
「父が、好きだったんだ」
「そうなんだ……」
確かに、父の姿が映っているのは少ない。そのほとんどが母と壬生のもの。
それでも。ファインダー越しに覗いている父の姿が――その嬉しそうな笑みが想像できるような2人の笑顔が、その写真には残されていて。
心がほわりと、あたたかくなると同時に……ちょっとだけ、羨ましいとも、思った。
龍羽にも、家族との写真はある。
けれど、そこに写っているのは実の父母ではない。
叔母と、叔父。そして従兄。血の繋がりはあるとはいえ、またとても可愛がってくれている(現在進行形)とはいえ、その真実を知ったときは、『何故本当の両親の写真はないのか?』と泣いて尋ねたことがあった。
それこそ当時の自分は、今写真に写っている彼と同じくらいの年齢で。もちろんまだ、死の概念や理屈がわかるはずもなく。ただ、泣いて叔母にあたったこともあった。
今となっては、叔母にも悪いことを言ったと思っている。
結局、自分を産んですぐ亡くなった母と父との写真は、ついぞ見つからなかった。
だから。今はそこまで気にはしていないつもりだけれど、こういう写真を見るとちょっとだけしんみりしてしまうのは、仕方の無いことだろう。
「……龍羽?」
そんな自分の気持ちを察してくれたのか、壬生は軽く髪を撫でてくれた。
その手のぬくもりが優しくて。でも、ちょっとだけ子ども扱いされているみたいで。慌てて、笑顔を作って顔を上げた。
そうして、この写真を見たときに一番最初に思い浮かんだ言葉を、口にした。
「……ねね、紅葉ってお父さんに似てるんだね」
恐らく、あと数年――いや10年ほど後だろうか? 多分、ここに写っている彼の父と同じようになるだろう。そう想像がつくほど、2人は似ていた。
既に外見は、ほとんど同じ。その漆黒の髪も瞳も、そしてすらりと伸びた身長も。
ただ惜しむらくは、2人を包み込む雰囲気が微妙に違った。
若干、写真の人のそれは落ち着いている様子が強く。まだ今の壬生には持てない(笑)穏やかさを持っていた。
急激な話題転換は、少々強引で。自分でもわざとらしいと思った。
けれど、今日の壬生はどこか違って。いつもならば容赦なくツッコミを入れてくるであろう(苦笑)をそれを、素直に受け止めてくれた。
「そうだね……外見は父似だと、よく言われるよ」
「『外見』は?」
「ああ、内面は母似らしいから」
言われて、不意に脳裏をよぎったのは彼の母。
長期入院中の彼女は、外見上は外見的には儚げで(注・あくまで外見上の話である)。
けれど、その外見からは想像できない内面をもっていて。非常に……なんというか、壬生と彼の母は似たもの親子(笑)だということは、確かだと思う。
とりあえず、現実を理解していることは、よしとしておくべきか。はたまた開き直らないでほしいと嘆願すべきか。
そんな思いが、複雑な表情としてついつい表に出てしまったらしい。
――それこそ、あとの祭り(というより、いつもの墓穴?)。
「どうしたの?(にっこり)」
それまでの、ほんわりとして、それでいて少しだけしんみりとした雰囲気は何処へやら。
いつもの、実に彼らしい――この笑顔のときだけは、父より母に似ていると思える笑みを浮かべた壬生は、そのまま顔を近づけてくる。
端整で美形な彼のそれに、いつもであれば見とれるであろうけれど(龍羽、面食いだからね……)。
今は、その笑みに一気に顔から血の気が引いた。
全身を、嫌〜な予感(笑)が襲う。
経験上、多分その予想は外れていないだろう。
いや――ほとんど、絶対に(大笑)。
「いっ、いや! 何でもないです!!」
無駄な努力と知りつつも、慌てて両手と頭ごと思いきり首を左右に振って否定する。
けれど、それくらいでは壬生を止めることはできないらしい。
というより、彼には届かなかったというべきか。
こういうとき、彼は非常に自分勝手な耳を持っていて。聞いて欲しくないことは、『地獄耳』で拾い上げるくせに、大事(?)なことはザルのように綺麗に聞き逃す。
いや、聞き逃すということは間違いだろう。いうなれば、わかっていながらあえて無視するということか(それもどうかと思うけれど……)。
それがまたタチが悪いと思いつつ。
「大丈夫、心配することはないよ」
「……は??」
何が大丈夫なのやらわからなくて、つい直前の否定すらすっかり忘れて、壬生を見つめる。
すると。
彼は、実にさわやかな笑顔で、次のような言葉を口にした。
「龍羽が子どもを産んだら。多分、似ているだろうから」
……一瞬、目の前が真っ暗になりかけた。
それはけして、先ほど思いきり頭を振ったから、という理由だけではないはずだ(ただし、それも半分……いや3分の1くらいはあるだろう)。
思わず聞き間違いかとも思ったけれど、目の前にはあいかわらずいつも通りの彼の笑顔があって。
だから、それが夢でも幻でもなく、現実に目の前の彼が言った言葉だと気がついた。
ただ。
気がついたからといって、「はい、そーですかv」とすぐには納得できない問題も、世の中にあって。
今回のそれも、そのひとつ(というより、壬生の言葉のほとんどはこれに含まれると思われる)で。
だから。
「……ちょっと、聞くけど」
「なんだい?」
「その場合、誰に似ているんでしょーか……?」
馬鹿丁寧な言葉になったのは、龍羽の動揺の表れだろう。
けれど。
そんな彼女の思いは聞き入れられなかったらしい。
またしても、壬生は極当然とばかりににこりと笑った。
「僕に。ああ、もちろん君にもね」
思わず言葉を失って――いや、顔色すらなくして壬生を見上げてくる龍羽。
それがまもなく紅く染まるであろうことは、今までの経験から知っている(ついでに、叫ばれるのも)。
それを見るのも、いいけれど(え?)。
今日は思いがけない写真を発見して。父と母と過ごした時間を思い出したから。
そんな――穏やかで幸せな時間を、思い出すことができたから。
過去だけでなく、今も幸せであることを、実感したくて。
これからも、幸せな時間が待っていることを、想像したくて。
「そうなったら、今度は僕が写真をとってあげるとよ。そうすれば、君にも家族の写真がたくさんできるだろう?」
龍羽が叫ぶより早く、そう壬生はすぐに次の言葉を口にして。
先ほどまでの笑みとは若干違う、それこそ父によく似た穏やかな笑みを浮かべて。
目の前の愛しい――いずれ、この写真のように隣に立ってくれるはずの少女を、見下ろした。
彼女にとって、家族という言葉がどれだけ大切で――また重たいものか、知っている。
それは、自分にとっても同じこと。
だからこそ。
彼女と――龍羽と、築きたいと。そう、思うし。
自惚れでなければ、彼女もまたそう願ってくれると――すぐにではなくとも、いずれは――。そう、願いたいから。
叫ぶ言葉を失い、真っ赤な頬のまま黙り込んでしまった龍羽を、壬生はそっと抱きしめた――。
その背後のテーブルの上には、幸せそうな家族の肖像。
それと似た写真を写せるようになるのは、はたして何時のことだろう。
それまでに、カメラの腕をあげる必要があるかもしれないと考えたのか、壬生がカメラを持ち始めるのは、これ以後のこと。
その腕があがるのが先か、2人が『家族』となるのが先か。
答えは、意外に天国の父たちが知っているかもしれない。
END
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