ぽてぽてと ――――

 

 そんな擬音語が似合う歩き方。否、やや小走り。

 時折、ふと立ち止まって何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回しては、視界に目的物を見つけられず再び移動する。

 途中小石につまずいて、へちゃりと転んだりもする。
 それでも、すぐさまがばりと身を起こすと、ちょっとだけ涙が零れそうになるのをどうにか堪えながら、服についた土をぱたぱたと払い、つと歩き出した。

 

 緩やかな傾斜が、だんだんとその角度を変えていく。
 けれどそれにも負けず、ずいずいと先に進む。
 木々が生い茂る道を行き、双羅山の中腹まで差し掛かったとき。

 何か ――― その明るい表情からして、おそらくは探していたもの ――― を見出して。

 ぱたぱた、そちらへと駆けていく。

 

 山の中程に二、三畳分ほど。休憩所のように少しだけ開けたそこに木々の影はなく、遮られることのない陽光を受けて草が茂り、小さな小さな原っぱになっていて。
 そこには、何をするでもなく、ただ下の様子をぼんやり眺めるように座っている青年が一人。

 細く束ねた長い髪が、静かな風に小さく靡いているのが見えた。
 独特の色と模様に染められた羽織の背は幅広。背筋をぴんと伸ばして、片膝を軽く抱えるようにして地面に腰を下ろしている。

 

 とてとてと、その傍に寄る。

 言葉はない。微動だにしない。

 そのまま彼の隣、左側にぽすんと座ってみる。

 やはり、言葉はない。

 

 その視線の方向を確かめて、同じ場所に目をやる。

 木々の間隙はそこだけ広くて、下の様子が見下ろせた。
 なだらかな斜面の下、森の向こう。鬼哭村が一望できる。

 と。
 青年が、その傍らに置いていた自らの刀に手をやる。
 刀には鎖が丁寧に巻かれてあって、少し動かすと、ちゃり、と金属の音がした。
 そしてそれを、どうするのかと思えば。
 先程とは反対側 ―――― 自分の右側に置いた。

 その一連の動きを不思議そうな顔をして見上げたが、他に何か変わった様子がある訳でもなく。

 再び、二人同じ場所へと視線を放(ほう)った。

 

 

 四半刻。

 

  ―――― 半刻。

 

 

 次に動いたのは、青年の隣。
 とん、と何かが当たるような感触に、青年がふと自分の左側に視線だけを落とすと。

 隣の少女、その肩が触れていた。
 ほんのちょっとだけ、もたれかかるように。

 大した重さは感じられない。別段気にすることもない。
 そのまま放っておけば ―――― 何を言うでもなく、ただそのまま。

 まるい、大きな瞳。
 何度か瞬(しばたた)いているところを見ると、眠っている訳ではないらしい。
 こちらの視線に気付かない様子で、山の下から遠い山の端にかけて、呆(ぼう)と見つめている。
 表情は ―――― 何だか、妙に嬉しそう。

 それも、別に構わないから。
 彼はまた、遠くに視線を投げた。

 

 そしてそこは再び、そよ風だけが五感を掠めるのどかな空間に戻った。

 

 

 


 

 

 

 夏が、近づいてくる。
 まだ陽の光は強い熱を帯びておらず、ただ心地よさだけを風に乗せる。

 さわ、と草がそんな風を浴びて鳴る。
 

 と、それを合図としたように。

 

「何を、している? ‥‥‥ 緋勇」

 初めての言葉は、青年の方からだった。
 その目は、話しかける相手を向いていなかったが。

 

「楽しいですか? ‥‥‥ 壬生さん」

 少女の方も、相手の方を見やることなく。
 しかも、会話として成り立っているかどうかすらあやしい、そんな言葉を返す。

 

「どうか ‥‥‥ な」

 少し上向いた視線で。
 何か更に遠くを見るように、或いは眩しさに耐えるように、壬生は心持ち瞳を細めた。

 

「とりあえず、朝餉(あさげ)や昼餉(ひるげ)よりは、壬生さんの興味をそそるものなんですね」

 

 にこにこ、と ――――
 景色と飯とを天秤に掛けてみる、そんな少女の思考に、笑うことも呆れることもなく。

「‥‥‥ かも、知れないが ‥‥‥」

 むしろ自分のことすら分からない、といった、そんな不可解そうな顔をする。

 

 なぜ自分がここにいるのか、それさえも分かっていなかったのだから仕方ない。
 単に、何も考えていなかっただけなのだが ――――

 少しだけ、記憶の糸を半日分だけ手繰り寄せてみる。

 

 

 今朝目を覚ましてから、ここに来た。
 鍛錬をしようとしたのだ ―――― と、思う。けれどそれが俄に、虚しく思えて。
 一度だけ刀を抜いて構えてみるも、すぐに収めて山の下に目をやった。

 何を考えてのことか、自分でもよく憶えていない。

 視界には、“鬼”の住まう村。けれどそれはどこの村落とも何ら変わりなく、ごく普通の景色しかないから、何の感慨もあるはずがない。
 ただ何も考えずに、何も思わずに、様子を見ていた。
 しばらく見ているうちに、民家の群から、ところどころ煙が上がり始めた。その変化すら、ただの事象としか捉えられず。

 それが食事の準備によるものだと気付いたのは、ずっとずっと後のこと。

 

 隣りに少女がやってきた、その後のこと。

 

 そろそろ、日が南中する。
 空気や地面が、矢庭に暖かくなってくる。
 米粒のように見える人の動き、あれは ――――

 そんな風に考えるようになったのは。
 傍らに、一人の少女がやってきてからの、こと。

 

 

 魂がないと、言われてしまった自分。
 それが良いことなのか悪いことなのか、判別することすらも億劫だった。
 何に執着することもなく、何に熱中することもなく。
 それがどんな感情なのか分からないまま、空っぽの心を抱えていた。

 新撰組。
 それでも何か自分を示すものが欲しくて、唯一自分にある戦いの技能だけを頼りに、そして彼らの言う“誠”に自分の求めるところを見出そうとして、戦った。戦い続けた。
 けれど結局、だんだんと移ろうその正義がこの魂を満たすことはなく、隊を抜けた。

 別に、新撰組をはじめ幕府やら会津藩やら、そういった組織自体に不満を抱いている訳ではなかった。
 むしろ、何の感情も生じなかったから、離れた。
 以降、追っ手を躱し続けるだけの日々が続き、それ以外のことなど考えることはなかった。

 何かを深く求めること自体、元来あまりする方ではなかった。
 そして、生きるという最も根本的なことすら、どうでもよくなり始めた、その時に。

 

 彼女に、逢った。

 

 初めて逢った時からこんな調子で、無邪気な表情はまるで童(わらし)のよう。年が自分と一つ二つしか違わぬと聞いて、心底驚いた。
 戦う能力など、皆無に近かった。腕の力が強い訳ではなく、技に長けている様子もない。式神すらも、使いこなせていない観がある。

 けれどそんな外面とは裏腹に、彼女の魂は暖かく、優しく、時に熱く、激しく。
 言葉や仕草から、少しずつこの身に伝わってくる ―――― 占めていく。

 そんな彼女が、自分の力が必要だと言ってくれた。
 それを、何故か自然に受け入れることができた。

 

 

 そして、今は ――――

 自分を満たす、何かがある。
 満たしてくれる、誰かがいる。

 

 たった今、気付いた。
 彼女と共に見る景色と、独りで見る景色の差異。

 独りで見ていた時には何の変哲もない情景のように思ったものが、傍に彼女がいるだけで随分と違うように見えたのは、別の角度で物事が見えてくるからだ、と ――――

 だが逆に、彼女自体を正面から見ることが出来なくなる、そんなこともある。

 かつて“魂”は「ない」と断言された身。
 ならば、この胸の内を揺さぶられる感じ、これは何だろうか ――――

 

 

 

 

 

 

「壬生さん ‥‥‥?」

 再び、沈黙が訪れた。
 問いに対する満足な答えがないから、それを少し促すように一つ名前を呼んでみる。

 呼ばれた当人は少しこちらを向いて、驚いたような目で、しばらくじっとこちらを見ていたけれど。
 それもほんの少しで、「いや」と短い言葉を返すと、すぐにまたふいと視線を外した。

 相も変わらず、下の村を見つめ続ける。
 だからこちらも、同じ景色を眺めることにする。

 

 

 そして四半刻。

 

  ―――― 更に、半刻。

 

 

 太陽が与えてくれる光は、ぽかぽかと暖かくて優しい。
 だからつい、うとうとしてしまいそうになるけれど。
 少し体を傾けて触れた先の温かみは、眠りに就くにはあまりに勿体ない。

 

 初めて見たその顔に浮かんでいたのは、微かな厭世観。
 見た目の印象は、この上ないくらい冷めていて。
 名前の真名は ―――― 更に冷たかった。

 けれど、幾重か重ねた布の下からは、確かな人の温もりを感じ取ることができた。

 それがまた幸せを運んでくるから ―――― どうも、離れられない。

 拒まれないなら、尚のこと。

 

 自分の中には、溢れてくる何かがある。
 それは“力”なのか、“情熱”なのか、はたまた“魂”なのかは分からないけれど。

 ときに持て余す程のそれを、どうすればいいか分からなかった。

 

 けれど、自ら「魂が無い」と言う彼に触れて、初めて“それ”の遣り場を知った気がした。

 飽和以上の自分と、空っぽの彼と。
 差し引き零、補い合える存在なのかな ―――― と、思った。

 傍にいたい。だから、追いかける。

 

 今日も、追いかけて。本来の目的をも、忘れてしまうほどに。

 

 それを思い出させてくれたのは ―――― くぅるるる、と情けなく鳴いた、腹の虫。

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

 そこにあるはずもない音だから、何ぞあったかと、こちらを向かれると。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ えへへ ‥‥‥」

 笑って誤魔化すしかない。

 

「‥‥‥‥‥‥ そういえば私、壬生さんを昼餉に呼ぶために、ここに来たんでした ‥‥‥」

 小さく肩を竦めて、照れて紅潮した頬を隠すように手を頬に添えると。

 その拍子に、触れていた肩がふと離れる。

 あ、と小さな声を漏らした隣の表情が、幾ばくか名残惜しそうに見えたのは気のせいだろうか ――――

 

 

「‥‥‥下りる、か」

 言ってゆっくりと腰を上げる青年を、じっと見上げる。
 右手には、刀。

「お前にいつまでも、ひもじい思いをさせる訳にはいかないからな ‥‥‥」

「え‥‥‥って、壬生さんは、お腹空いてないんですか ‥‥‥ !?」

 上目遣いの瞳をぱちくりさせると。
 問われた側はほんの一瞬呆然とした後、「そういう訳ではないが ‥‥‥」と生返事。
 そしてまた、視線を外すように半身を翻す。
 その動きに小さな風が生まれ、髪が微かに靡いて揺れた。

 刀を背負い、着物を整え、下山する準備をする。
 そんな一挙手一投足に、ちょっぴり見入っていると。
 

「‥‥‥ 行こう、か。緋勇 ――― みい」

 すっと、目の前に差し出されたのは右手。
 その手を取って、立ち上がる。

 直接触れた手は、先程よりもずっと確かな温度を伝えてきて、つい頬が緩んでしまう。
 そして何より ――――

 

「壬生さん、私の名前、憶えててくれたんですねッ」

 

 新たな発見に、彼女 ―――― 緋勇 みいが満面を笑みで染めると。
 つられるように、うっすらと、けれどはっきりとした笑みを零す ―――― 壬生 霜葉。

 

 それから、繋いだ手を決して離さずに。

 初夏の暖かい風の中、ゆっくり、ゆっくりと坂を下りていった。

 

 

 ―――― 了 ―――― 

 

 


 

という訳で。キリ番12221を獲得された白様のリクエストで、
「壬生 霜葉と女主」のSSです。
そしてリクエスト内容は
「ほのぼの」だったのですが。

ここまでほのぼのしてていいのか? ‥‥‥ってくらいほのぼのです(笑)。

女主の名前、ずっと決まりませんでした。最後の最後でやっと登場。
変な名前‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(笑)。
外法帖での女主の名前は、基本的に
平仮名にしてるので。真名(漢字)だと「未衣」
今年は未年なので♪(え)。
それに1847年も未年で(
単純計算ではそうなる‥‥‥ハズ。本当は違うのでしょうけれど)。
そしてこの娘は
「緋勇 和衣」ちゃんのご先祖に当たるので、「衣」を付けました。
でも平仮名だと、なんかネコの鳴き声みたい‥‥‥‥‥‥。
愛称は「ひーちゃん」でなくて「みーちゃん」ですか?(笑)。
呼ぶのが
こっぱずかしいですね(笑)。
そして何より、
同期入社の同僚の娘さんと同じ名前なんですが(漢字が違いますけれど)。
‥‥‥‥‥‥それはどうでもいいコトですね。

このみいちゃんのお話は、続く‥‥‥のかな? リクエスト如何です。
出身地は‥‥‥‥‥‥‥‥‥どこだろう‥‥‥、やっぱり
播磨国でしょうか。

こんなのですが。リクエストして下さった、白様に捧げます♪