マーク・トウェイン |
著 訳 刊 |
オーストリアの田舎の少年たちの前に、堕天使サタンの甥だという、天使サタンが現われた。 サタンは、奇蹟も起こせたが、病気の人を助けると言っては、殺してみたり、人を幸せにするといっては、気を狂わせてみたりする。 そしてサタンは、少年たちに、様々な人間の悪行、醜さを見せつけ、「この世の物は、全て馬鹿げた夢だ。ただあるのは、空虚な空間と、君の思惟だけだ」と言い残し、消えていく。少年は、その言葉に真実を感じていた。 |
正義と純潔の象徴である天使が語ることによって、人間の悪、醜さ、愚かさを風刺した作品。 後の研究により、この作品は、マーク・トウェインの未完の原稿の一部を使って書かれた贋作だということが判明。 |
天使サタンが自分の作り出した、たくさんの小人を顔色ひとつ変えずに殺し、「ぼくたちは汚れってもの知らないんだ。ぼくたちは、悪をしようにもできないのだよ。悪を犯す素質がない。だって、悪とはなにか、それが第一わからないんだからね」とか、「虫けらみたいなやつらじゃないか」「いくらだってつくれる」など平然と言ってのける。 だが少年たちは、小人たちに感情移入して、悲しむ。 |
残酷な天使ではあります。 でも、確かに言われてみれば、もっともな話。 聖書の中では、人を殺すためにつくられた天使もいるわけですし、神さまだって、たくさんの人を殺してますしね。 人の前に現われる天使は、天の使いであって、神さまが命令されて動いているだけなのかも。 |
サタンが少年たちを 拷問を受けている異教徒の前に連れて行く。 少年が「何という残忍で、獣みたいなやり方だ」と言うと、サタンは「あれこそが人間のやり口なんだよ。獣みたいだなんて、とんでもない言葉のはきちがいだな。獣のほうが侮辱だと怒るよ。あんなことは、獣はしやしない」と言い、人間の道徳や良心のいいかげんさについて罵る。 |
動物に悪はない。 殺すのは食べるため。 生き残るため。 生き物を、生で引き裂いて食べるからと言って、それが残酷だというのは、人間の勝手な思いこみ。 切り刻まれた死体を食べて生きている人間は、自分の手を汚さないだけの偽善者で、そんなことを言う資格はありません。 |
今度は少年達に、疲れきった労働者の群れを見せ、「この人間たちは、こんなひどい目にあうような、どんな間違いを犯したというのだ。あるとすれば、人間という馬鹿げた生物に生まれてきただけ。これに比べれば、拷問を受けていた邪教徒のほうが、死ねるだけまだましというもの」などと言う。 | 生きるためだけに働き、何の楽しみもなく死んでいく。 今の日本では、これほど酷い状況ではないでしょうが、お金や快楽のために、人の心が失われているという点では、似たようなものがあるのではないでしょうか? |
サタンは少年たちの頼みで、ある不憫な女性の一生を変える。 しかし、それと同時にその女性に関わった男の運命が変わり、地獄に落ちることになってしまったとサタンは言う。 |
ある1人の人生を変えるという事は、その人間に関るはずの人間の人生をも変えてしまうということ。 人間には、人の運命を変えるなんて力はありません。 ですが、下手な人生相談は、それに匹敵する影響力を持つこともあります。 ですから、その人だけでなく、その人に関わる人全ての人生を背負う覚悟がないなら、人生相談に乗るべきでも、するべきでもないのかもしれません。 今のテレビでやっている、見世物のような人生相談などは特に。 |
サタンは今度は、戦争の歴史を見せ、これがいったい誰の得になるのかと罵る。 「得をするのは、国王や貴族ばかり。しかもこいつらときたら、国民に養われている乞食同然なのに、逆に国民を乞食同然の扱いで見ている。国民にしても、主人に仕える奴隷そのものの言葉遣いだ」とあざ笑う。 |
国王、貴族までとはいかなくても、今の政治家や警察の腐敗ぶりは何でしょう? 自分たちの力、給料が、自分たちの力だけで稼いだものだと思っているのでしょうか? 全ては、私たち1人1人の信頼と税金から得ているものだということを忘れているのではないでしょうか? 公僕に力は与えられていても、それは人々の暮らしを豊かに、しあわせにするためのものであって、私腹を肥やすためや、支配欲を満たすものではないということを、決して忘れないで欲しいものです。 |
サタンは少年たちを、魔女の濡れ衣を着せられた女性が 処刑される場所へ連れていく。 その女性が処刑された後、見物人たちはその女性に石を投げ始める。 少年たちは、本当は石を投げたくはなかったが、他の人の目が気になって、石を投げてしまった。 その様子を見て、サタンは笑い始める。 「ぼくは人間ってものをよく知っている。羊と同じなんだ。いつもいつも少数派に支配される。多数に支配されるなんてことは、まずない。いや、絶対にないと言ったほうがいいかもしれんな。感情も信念も抑えて、とにかくいちばん声の大きな一握りの人間について行く」と。 |
特に日本人は、その傾向が強いように思います。自分で考えることが面倒くさいから、他人の目が気になるから、右にならってついていく。 マスコミや、声の大きい偽善や、建前を振りかざす大人たちに踊らされ、よくわからないけど、正しいように見えるからついて行く。 確かに、他人について行くのは楽でしょう。 それが間違っていたとしても、他人のせいにできますから。 ですが、正しい選択ができなかったという事実、安易に他人に賛同してしまったという事実は変わらないのですから。 |
サタンは、盗みの罪を問われている神父の一生をしあわせにするといって、神父が自分を国王だと思うように気を狂わせる。 そして「正気の人間でしかも幸福だなんてことはありえないんだよ。つまり、正気の人間にとっちゃ、当然人生は現実なんだ。現実である以上、どんなに恐ろしいものであるかあるかは、いやでもわかる」などと言う。 |
人間のしあわせ、不幸せは、その人自身が決めるもの。 他人から見て、どんなに満たされているようでも、その人がしあわせと感じていなければ、しあわせではない。 気が狂っていれば、自分を国王だと思っていれば、世の中の雑事に悩ませられることはない。その点は、しあわせであるといえるでしょう。 でも、何も感じず、何も悩まず、それが本当のしあわせでしょうか? |
サタンが、唯一、人間のよいところを挙げた言葉。 「君たち人間ってのは、どうせ憐れなものじゃあるが、ただ一つだけ、こいつは実に強力な武器を持っているわけだよね。つまり、笑いなんだ。権力、金銭、説得、迫害――そういったものにも、巨大な嘘に対して起ち上がり、いくらかずつでも制圧して――そうさ、何世紀も何世紀もかかって、少しずつ弱めていく力はたしかにある。だが、たったひと吹きで、それらを粉微塵に吹き飛ばしてしまうことのできるのは、この笑いってやつだけだな。笑いによる攻撃に立ち向かえるものはなんにもない。」 |
人間をけなし続けたサタンが言うだけあって、確かに、「笑い」ってのは、すごい力を持ってますよね。 そして、人々の間の、憎しみや悲しみなど、全ての事を笑い飛ばせる日が来たら、どんなに素敵なことでしょう。 |
サタンが去る前に少年を絶望的にするセリフ。 「ぼくが見せてあげたもの、あれはみんな本当なんだ。神もなければ、宇宙もない人類もなければ、この地上の生活もない。天国もない。地獄もない。みんな夢――それも奇怪きわまる馬鹿げた夢ばかりなんだ。存在するのはたた君ひとりだけ。しかも、その君というのが、ただ、一片の思惟、そして、これまた根なし草のようなはかない思惟、空しい永遠の中をただひとり永劫にさまよい歩く流浪の思惟にすぎないんだよ」 |
この世界が自分の思惟、認識であるというのは、ある意味事実で、それは素晴らしくもあり、悲しくもあります。 ある1人の人間の世界というものは、地球全体、宇宙全体に比べれば、まったく小さいものです。 そして、その世界というものは、生まれ、育ち、生活環境、趣味嗜好、その他諸々によって、作り上げられています。 ですから、自分の目や耳に入らないもの、事件などは、自分の世界には存在しないことになります。 この自分の世界に情報として入ってくる出来事が、よいことばかりならば、世界は素晴らしいものとなるでしょう。 そして人は、そういうものを求めがちですから、各人共通の、世界の印象は「満足とはいかないものの、それほど悪くはない」といったところではないでしょうか? ですが、世界にある悲しい事件、事実を知ってしまったら、どうなるでしょう? 例えば、最近 増えてきた幼児虐待のニュース。 知らなければ自分の世界は変わらなかったのに、知ってしまったからには、過去に遡ってまで、その子供が虐待されていたという事実が、自分の世界の中に組み込まれてしまいます。 それを知ってしまったあなたの世界は、悪くなってしまったでしょうか? その悪くなった世界を良くするために、あなたは何をするのでしょうか? 他に素晴らしいこと、楽しいことを探して、よい世界の度合いを上げてバランスを保とうとするのでしょうか? それとも、自分に何かできることはないか探して、根本から世界をよくしようと努めるのでしょうか? それとも、ただ忘れてしまって、世界からその事実を消してしまうのでしょうか? どれを選ぶのも、自由です。 その人の持っている世界は、その人にしか変えられません。 ですが、他の人と共有する世界があり、お互いの言動が影響しあっているというのも、また事実です。 私利私欲に走って、自分だけが居心地のいい世界も、素晴らしい世界。 自分にも 他の人にも 居心地のいい世界も、素晴らしい世界。 全ては、自分の思うまま。 人は、自分の世界を 一生かかって、素晴らしい世界にすることができるでしょうか? |