サン・テグジュペリ |
作 訳 刊 他 |
砂漠に墜落した作者の前に、遠い小さな星からきた王子さまが現われる。 王子さまは、自分の星であったこと、途中でまわってきたいろいろな星で出会った人たちのことを話す。 |
作者が子供のころに、象を飲み込んだ大蛇の絵を、大人に見せても誰もわかってくれない。 これが何かを、その度にいちいち説明するのも、疲れてしまい、絵描きになるのをあきらめてしまったというお話。 |
子供のころは、何でもない石ころでも、いろんなものに見える。子供には、大人にはわからない世界があるんですよね。 この世のすべてのものが新鮮で、喜びと輝きに満ちあふれている。 でも、歳をとるにつれ、世界は見なれたものになって、どんどん輝きは失われ、石ころは、ただの石ころにしか見えなくなってしまう。 |
おとなというものは、数字が好きです。新しくできた友だちの話をするとき、おとなの人は、かんじんなことはききません。〈どんな声の人?〉とか、〈どんな遊びがすき?〉とか、〈ちょうの採集する人?〉とかいうようなことは、てんできかずに、〈その人、いくつ?〉とか、〈きょうだいは、なん人いますか〉とか、〈目方はどのくらい?〉とか、〈おとうさんは、どのくらいお金をとっていますか〉とかいうようなことをきくのです。そして、やっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。 | 頭の硬い大人は、想像力がないから、誰にでもわかる「ものさし」でしか、そのものの意味を理解できないのでしょうね。 最後の「子どもは、おとなの人を、うんと大目にみてやらなくてはいけないのです。」というのも面白いですね。 |
だけど、もし、あんだが、おれと仲よくしてくれたら、おれは、お日さまにあたったような気もちになって、暮らしてゆけるんだ。足音だって、きょうまできいていたのとは、ちがったのがきけるんだ。ほかの足音がすると、おれは、穴の中にすっこんでしまう。でも、あんた足音がすると、おれは、音楽でもきいてる気もちになって、穴の外にはいだすだろうね。 | 他の十万の人たちと同じではなく、たった1人のかけがえのない人になる。 友達に、親しくなるってことは、そういうことなんですよね。 |
この王子さま寝顔を見ると、ぼくは涙の出るほどうれしいんだが、それも、この王子さまが、一輪の花をいつまでも忘れずにいるからなんだ。バラの花のすがたが、ねむっているあいだも、ランプの灯のようにこの王子さまの心の中に光っているからなんだ・・・ | 本当の美しさ、輝き、魅力というのは、その内面に持っているものの輝きなんでしょうね。その人の心が、豊かで、優しく、輝きで満ちているほど、そこから溢れ出す光が、その人を魅力的に、美しく輝かさせるんでしょう。 |