阿川毛利氏墓所

阿川毛利氏は、毛利元就のニ子吉川元春の次男伊勢守元氏を始祖して、初代の墓は周東町高森の通化寺にある。
阿川の地は中世から海上交通、産業安定の地として市場や屋敷がひらけ、本藩毛利氏の萩築城とともに、左翼の守りとして北浦の地に一門阿川毛利を配置した。点在する土壁は武家屋敷跡であり、寺川の丘一帯は郷校「時習館」「阿川毛利館」等の跡である。
實永2年から明治に至るまでの祿高は7、391石余で、家臣185人を抱え、滝部・阿川一円を知行し、宇部・高森・徳佐嘉万方面にも領地があった。2代から5代までは代々深川大寧寺に葬ったが6代広規から阿川に葬った歴史の墓がある。(ただし14代親彦の墓は萩市中津江にある)