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リベンジケーキ・・・3/12/28 22:34:29
 今年のX'masは結構頑張った。まず、X'masケーキを自分で作ってみた。しかも、ガトーショコラ。くすっ、スポンジのショートケーキだってマトモに作れたことのない自分がだよ。22日に材料を一通り買い込み、23日の夜はそそくさと帰宅した。最近は、複雑な料理だって、レシピがネットで簡単に手に入っちゃうから、気軽にトライしようって気になるのだ。スポンジ生地を型に流し込んでオーブンで焼くまでは、かなり段取り良く進んだ。オーブンの中で景気良く膨らんでいるスポンジを確認したところで、私は大成功を確信したものだ。ところが、レシピ通りの温度と焼き時間で出来上がったケーキを出してみると、上部が真っ黒コゲだった。しかも、オーブンから出した途端、スポンジはしおしおと縮こまっていく。流しにはドッチャリとボウルや泡だて器等の、汚れ物の残骸がある。落胆した心に、その洗い物の山はズッシリと重かった。それでもリベンジを心に誓い、翌朝は、朝食や弁当の仕度もそこそこに、またもガトーショコラに再挑戦だ。
 今年はX'masツリーだって飾ってみた。ゴールドクレストという樅の木に似た鉢植えがあるので、それにオーナメントを付けるのだ。しかし、去年買っておいたはずの電飾やオーナメントを何処に仕舞ったのか、捜せど捜せどちっとも見付からない。ようやく捜し当てて、母がひょっこり押入れの奥から出してきたのは、クリスマスイブの、私が正にリベンジケーキを作っている最中だった。ヤレヤレ。
 そのリベンジケーキの出来具合は、まずまずだった。多少焦げたけれど、チョコクリームを塗りたくって隠してしまったし、お味は、手前味噌ながらバツグンだった。しかしウチでは、両親が甘い物をちっとも食べない。いくらケーキを作ったって、食べるのは私ひとりなのだ。ただただ、X'mas気分を味わいたくて、あれこれとやってはみたものの、終わってしまえば、そのツケは体重に回る。フゥ(溜息)。 【My Boom INDEX】 【Page Top】

雲の上の自分・・・3/12/16 20:32:18
 年に何回か東京に行く。私は飛行機に乗るのが好きだ。着陸態勢に入った時、徐々に高度を下げていくあの気色悪い感触は苦手だけれど、非日常的な景色を見られる面白さが恐怖感に勝るのだ。
 山口宇部空港を飛び立つと、眼下には、山口県東部の良く知った海岸線が見える。豆粒のような街並みを見ながら、「ああ、この地上には数え切れない程たくさんの人達の、いろんな人生が詰まっているんだな」と思う。そして自分は、そんな中のちっぽけな存在なのだと思い知るのだ。世界は限りなく広い。
 帰りの飛行機もまた面白かった。いつもの航路とは違っていて、内陸寄りだったので、富士山が左手に、南アルプスの山々が右手に見えた。富士山は機内から何度も見たことがあるから、さほどの感激もなかったが、南アルプス連山を上空から見るのは初めてだったので、その厳しい美しさに感動した。切り立った尾根に朝日が当たり、その陰影が神々しさを増していた。山頂から中腹にかけては雪を被り、人間がそう簡単には分け入ることの出来ない秘境を息を詰めて見入った。
 中国地方の山中上空を飛んでいる時、ふと思った。このままいけば徳地町を眼下に見れるかなと。徳地に住んでいた時、私はしょっちゅう上空を飛んでいく航空機を見上げていたっけ。あれは多分、北九州や福岡を目指す飛行機なのだろうと思う。この度も結局、大原湖や徳地インターチェンジを見つけることは出来なかった。でも、いつか上空から自分の家を見つけてみたい。その時はいったいどんな気持ちになるのだろうか。
 問題の着陸態勢に入る時、雲の絨毯の真上を飛んでいると、朝日に当たった機体の影が、その雲の絨毯に映っていた。その機体の影をずっと目で追い続けた。非日常的な光景の中で、自分がその影にも居るような気がして、私は一瞬自分自身を見失った。 【My Boom INDEX】 【Page Top】

便秘のワケ・・・3/12/1 22:03:30
 私は、ここ2年くらい便秘に悩まされてきた。まあ元々毎朝必ず出るというタイプでもなかったけれど、最近では踏ん張っても踏ん張っても出なかったり、出てもコロコロの兎のフン状態だったりで、結構辛かった。
 やーっぱ、そろそろ歳だから、胃腸の働きも鈍くなってきたのかなぁ。それとも何か病気の兆候か?と思い、ネットで便秘について検索すると「過敏性腸症候群」だとか「痙攣性便秘」などの言葉が引っ掛かってくる。ストレスにより自律神経のバランスが崩れ〜なんちゃらかんちゃら。そうか、ストレスか、やっぱりなぁと納得してみたり・・・。
 ところがここ数日で、便秘の原因がほぼ解明した。それはカリカリ梅だった。私はカリカリ梅が大好きで、ここ2年くらい、自家で取れた梅でカリカリ梅を漬けたり、それがなくなったら市販のカリカリ梅を買ったりと、毎日朝晩食べなくては気が済まないほど食べ続けていた。先日から、ちょっと心配事があり、食欲を失った私は、カリカリ梅を食べるのをパッタリと止めた。すると突然、一気に快便になってしまったのだ。深い深い霧の中を延々と彷徨いつづけ、何の前触れもなく急に視界が開け青空を見た気がした。実は以前から薄々感じてはいたんだ。カリカリ梅のストックを切らすと、快便になったりしてたのだ。私は自分の便秘の理由を確信した。
 それからカリカリ梅は一切口にしていない。あれだけの好物を食べられなくなるのはちと辛いかなと案じてみたけれど、意外とそうでもなかった。大して苦しむこともなく、スッコーンとキレの良い○○○が出る快感の為なら切り捨てられると思った。そして、自分はストレスで便秘になるほど過敏ではなく、結構図太い性格もしとるんだなと思った。良いような悪いような・・・。(下ネタでゴメンナサイ) 【My Boom INDEX】 【Page Top】

ワールドカップあれこれ・・・3/11/20 20:08:49
 今、ちょいと熱くなっているのは、ワールドカップバレーボール2003だ。早く帰宅すると、ついつい手を止めてTVに見入ってしまう。女子が大熱戦だったから、「ニッポンチャチャチャ魂」(なんだそりゃ?)が湧き上がってきたんだな。きっかけは単純で、アイドルグループのNEWSを見るためだったけれどね(笑)。
 男子はどうだろ?と思っていたが、これが女子以上に面白い!ゲーム内容もいいんだけれど、まず最初に、山本と加藤のイケメン振りが目を引いたんだな。山本は極楽とんぼの加藤浩次に、加藤は、竹之内豊に似てるなぁ〜と思った。特にワタシのイチオシは、加藤さん(ハート)。イタリアのセリエAで、スーパーサブとして活躍したというし、あの甘いマスクとクールな出で立ちにグッときたのよね。私はどうやら、クールってのに弱いらしい。女子も、山口県出身で大活躍だった栗原恵よりも、佐々木選手が好きだった。ひょうひょうとプレイするところが好きみたいだ。加藤もどちらかというと感情を表に出さず、ひょうひょうとプレイしていると思う。広島、福岡と試合があるから、こりゃ応援と加藤サマ観賞に駆けつけるか?とまで考えたほどだ。(NEWSはどこいったんだ?)
 その加藤が代々木の最終戦で、勝利後のインタビューを受けていた時のことだ。最後のほうで、加藤選手の手に、ひょいと乳飲み子が手渡された。(はっきり判らないけれど)どうやら加藤選手の子供らしい。なんだ、結婚してんのか。ガッカリ。というか、ああいう公共で戦いの場において、自分の、まだ生まれたばかりの子供をTVに映されるってのはどうだろう?有無を言わせずに、ひょいと手渡されて、加藤選手の表情からは何もくみ取れなかったけれど、私自身は、とてもガッカリした。大接戦をモノにして大感動している最中に、プライベートの彼を見たいとは思わない。広島、福岡行き、即座に却下(笑)。
 もう一つ、私が男子バレーに見入る理由がある。それは、田中幹保監督だ。その昔、彼が現役だった頃、結構夢中になって見ていた。かなりオッサンになってしまわれたけれど(笑)、こうやって全日本の監督として活躍されているのを知って、嬉しかった。そういえば田中幹保選手も、ひょうひょうプレイヤーだったっけ。 【My Boom INDEX】 【Page Top】

吉田治美さんを偲ぶ・・・3/11/12 19:17:55
 最近、私の中で一番ショッキングだった出来事は、吉田治美さんの突然の死だ。県外の方は、吉田治美といっても誰だかわからないだろうが、山口県内で活躍されたアナウンサーだ。自らを治美姫と命名し、山口弁バリバリでラジオのパーソナリティをしたり、七色の声と称して、モノマネで全国版のTV番組に出演もされたと思う。実に多彩で花もあり、保守的風潮の山口県にあって常に前衛的でアナウンサーと言えども独特の世界を持った人だったと思う。まだまだ働き盛りで、いつも賑やかな印象しかなかったその吉田さんが、ある日突然この世の中からいなくなってしまう。信じられないような、しかし生きる者の上にいつかは平等に訪れる死について、考えられずにはおれなかった。
 私も、人生の折り返し地点をそろそろ過ぎて、自分の死については、ほぼ毎日漠然と考える。自分は何歳まで生きるだろう?どんな死に方をするんだろう?病気だろうか、事故だろうか?どこで死ぬんだろう?誰に看取られるんだろう?とか。自殺でない限り、死に方は選べないから、恐ろしくもあり、不安でもある。母は、周囲に迷惑をかけたくないから、ポックリと死にたいと冗談半分に言うけれど、私は、ある日突然ポックリ死ぬのは嫌だ。人生の終焉を迎える前に、きっちり反省会をしたいんだな。自分の人生は、幸せだったか。思いっきり生き抜いたか。やり残したことはないか。気持ちの上でケジメをつけて、この世にサヨナラしたい。だから、不慮の事故や、突然死より、ちょいと長患いがいい。私はヘンだろうか?(笑)
 でも何より、元気で過している今を、一生懸命生きなければね。それが一番大事なのだ。吉田治美さんのご冥福を心からお祈りいたします。 【My Boom INDEX】 【Page Top】

私のアップルパイ・・・3/11/6 21:45:59
 ここのところお菓子作りに励んでいる。収穫の秋で、サツマイモとかリンゴとかが沢山あるので、ヘタクソながらも創作意欲が湧いてしまうのだ。しかし我が家は、両親が甘い物が苦手なため、出来上がっても食べてくれる人がいない。そこで、スイートポテトやら、アップルパイを会社に持って行って食べてもらう。
 そこであれこれと思うのは、人にモノを差し上げるということの難しさだ。畑でとれた野菜や、山でとってきた松茸をご近所にお裾分けする時にも思う。数に限りがあるものだから、会社の同僚やご近所に、まんべんなく配るというわけにいかない。あげない人に気付かれずに、こっそりと差し上げるのに気を遣う。相手が忙しそうだったり、留守だったりすると渡しそびれてしまったり、何度も足を運んだりしてしまう。何より、人にものを差し上げて、相手が喜んでくれるかという心配もある。頂くとお返しを考えなくてはいけないと考えると、それを負担に思う人もいるだろう。あげる、貰うということに心理的上下関係も生じると思うし、それを不愉快に思う人だっているかもしれない。貰うのがキライな人もいるだろうから、あり難迷惑ということだってあるのだ。私は考えすぎだろうか?
 徳地にいた頃は、地区や部落、ご近所といった付き合いがとても密接だったような気がする。昔ながらの習慣を色濃く残しているから、相互扶助の精神からか、貰ったりあげたりということが当り前のように行われていたと思う。都会の人からみると、干渉しすぎたり、煩わしかったりする程にだ。
 どちらが良いとは、一概には言えないけれど、私自身は周囲に対して開放的でありたいとは思う。貰うのも差し上げるのも、とても気を遣うことだから、相手のその厚意をちゃんと受け止める人でありたい。お世辞にも美味しくてホッペが落ちそうだと言えない私のアップルパイを、「ありがとね」「ごちそうさま」と言ってくれる人に感謝せねばネ(^^) 【My Boom INDEX】 【Page Top】