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潮 風 の 随 想


色に染まる美しき瀬戸の夕景‥‥
そんな黄昏のシーンを撮る為に、僕はある山の頂きを目指していた。

初秋の日暮れ時、それも人気の無い道程を中腹辺りまで登れば
無防備な軽装が禍してか、薄着の肌に風が冷たくつきまとう。

そんな肌寒さに上着を忘れた事を悔やみつつも、
休日を利用しカメラ片手に過ごせる事の幸せを噛み締めながらの
足取りは、一歩一歩がテンポ良く繰り出され自然と力強い。

緩やかだった登り勾配が徐々にその傾斜を強めるなか、
やがて逢えるであろう美しき情景への期待と孤独な状況が相俟って、
息急く僕の中ではある種の心地よい緊張感が漂い始めていた。


がて山道は螺旋の軌跡を描き始め、
その中心に位置する山頂の近い事を窺わせた。

行く手には大きな左カーブが延々と続き、僕はひたすら歩を早める。

木々に阻まれ見渡せぬものの、おそらくは右手に海を
見下ろせるであろう位置へと差し掛かかるたび、
薄暗き道は何故か不可思議な黄金の輝きを放った。

生い茂る木々の合間を容赦無く刺し貫く斜陽の光線が、
路面の荒れを際立たせていたからであろうか。

幾筋もの木漏れ日が色褪せた舗装の至る所を
色鮮やかに照らしだすその様が、とても綺麗で…
そしてほんの少し痛々しくもあった。


没迫る道すがら、まして頂上の近づく程に
より一層急がねばとの思いが頭を覆う。

足元ばかりに注ぎ疲れた視線を何気に脇へ逸らすと、
珍しく木立の途絶えた道端に眺めの良さそうな場所が
開けていることに気付く。

はやる気持ちを抑えながらも足早に駆け寄り覗き見る次の瞬間、
雄大なる瀬戸の眺望が不意に眼前を覆った。

僕が目指していたものは、既にそこに在ったのだ。

やがて沈まんとする夕日が黒雲を掻い潜り、
西空の彼方を今際の輝きに満たしている。

その姿を真似るかの如く、
眼下に眩き光彩を反射する瀬戸の海原が煌く。

海と空、両者の境を示すべく
大地と島のシルエットが泰然として横たわる。

あまりの驚きに一切の動きを奪われたかのように
僕は身動ぎもせず立ちすくんだ。

やがてハッと我に帰り、慌てて構えるカメラ‥‥
妙な焦りに強張りつつも夢中でファインダーを覗き込むと、
構図を上下に二分して、そこには確かに二つの‘夕空’があった。

暗澹たる山腹の斜面越しに水鏡然と空を映して広がる海の眺めは、
気紛れな大自然が偶然描いた壮大なる‘写し絵’を思わせた。

我ら人間には及びもつかないスケールで、その時確かに‥‥
海は天空へと変化を遂げたのだ。


自然が織りなす戯れの光景に暫し心を泳がせていると、
短い撮影を終えた僕の背中で薄暮の空がそっと囁く。

「急いで、さあ早く‥‥止まってるのは君の時計だけだよ」

気のせいには違いなかったけれど、僕には確かにそう聞こえた。

刻々と移り変わる情景が僕の肩をポンと叩き、
迫りつつある夕闇に先を急げと促してくれたような気がして‥‥
僕は再び夕陽を背負い、長く延びた自らの影が指し示す方へと
導かれるように、間近に迫った山頂へ向け次なる一歩を踏み出していた。




  そして海は空となった (絵画調作品より)

やがて沈まんとする夕日は黒雲を掻い潜り
西空の彼方を今際の輝きに満たしている。

その姿を真似るかの如く
眼下に眩き光彩を反射する瀬戸の海原が煌く

海と空、その境を示すべく
両者の間に大地と島のシルエットが
泰然として横たわっていた。

暗澹たる山腹の斜面越しに
水鏡然と空を映して広がる海の眺めは、
気紛れな大自然が偶然描いた壮大なる`写し絵'を思わせた。


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