『人民の星』 5852号1面 2014年1月8日付

首相・安倍の靖国参拝 空空らしい不戦の誓い

 首相・安倍晋三は昨年一二月二六日、突如、靖国神社に参拝を強行した。かつての戦争に日本人民を「お国のため」として侵略戦争にかりだすための道具であり、東条英機をはじめとする戦犯をまつっている靖国神社への首相参拝には内外からの批判がふきあがっている。
 現職首相の参拝は〇六年いらい七年ぶりである。安倍が年末のどさくさにまぎれ、靖国神社に参拝したのは、かつての戦争で犠牲となったいく百万もの人人の「冥福」をいのるためでも、「不戦の誓いを堅持していく」(首相談話)ためでもない。近隣諸国から危惧の声や警告の声があがっているにもかかわらず、中国や北朝鮮、「韓国」の言うことなど聞く耳をもたないという強硬な政治態度をしめすことで、かつての戦争は正当だったのだという意図を露骨にしめしているのである。多くの人は「戦争を知らない安倍はなにをしでかすかわからない」「安倍は政治を知らない」と、はげしく怒っている。
 アメリカのオバマ政府は、安倍の靖国参拝に「失望した」という声明を発表しているが、日米同盟の行方を左右するものではないという態度をとっており、実際には安倍政府をもりたてている。かつての侵略戦争を肯定し、反共右翼の好戦主義者で悪名高い安倍を首相として復帰させたのはオバマ政府である。
 特定秘密保護法の強行採決につづく安倍の靖国神社参拝に、戦争体験者をはじめ日本人民からは怒りの声があがっている。安倍が表面上、いくらとりつくろってみても、日本人民はみずからの戦争体験や人民に犠牲をおしつける安倍政府の反動政治から、その狙いを見ぬいている。山口県内で人人の声を聞いた。
 年配婦人 安倍首相の靖国参拝はおかしい。なにを考えているのか。犠牲になった人たちのことを思ってのことではないのはわかる。安倍は、戦争のことを知らない。戦争で多くの若者が犠牲になった。江田島などに手記がのこっているが、涙なしには読めない。わたしも小学校一年生で、下関空襲の体験がある。爆撃でうちの隣まで燃えた。母親とにげまどった。防空壕はいっぱいではいれず、母は「この子だけは」とたのみこんでわたしをいれてもらい、自分は外の土手にへばりついてしのいだ。戦争には絶対反対だ。
 退職婦人教師 安倍首相が靖国神社に参拝したが、日本がまた戦争をするんじゃないかと心配だ。中国や「韓国」と波風をたてるようなことはしてほしくない。南スーダンで自衛隊の弾丸を「韓国」軍にわたすこともあった。
 首相・安倍の靖国参拝 空空らしい不戦の誓い わたしは明石で空襲の体験がある。空襲で死んだ人たちをこの目で見てきた。戦争には全体反対だ。いまでも、戦争にかかわる写真を見るのもいやだ。安倍首相の靖国参拝はおかしい。みんなが反対していた秘密保護法を強行しておいて、「平和のため」などといって靖国神社を参拝しても、だれも信用しない。
 年配婦人 安倍首相の靖国参拝について、むつかしいことはわからないが、国民のことを考えてのことではないことはだれでもわかる。戦中、戦後をいきぬき、戦後復興をささえてきたのはわたしらのような七〇、八〇代の人たちだが、年金をけずり、保険料をしぼり、生活できなくさせているのは安倍首相ではないか。その一方で、企業減税や外国への援助はやり放題だ。このままではいけない。なんとかしなければ。
 年金生活者 なぜ、いまの時期に靖国にいかなければならないのか。安倍は戦争でなくなった人の霊に敬意をあらわすためだとかいっているが、あの戦争で中国人がどれだけなくなっているのかということを安倍はまったく考えていない。わたしもわずかだが、兵役についたことがある。戦争というものがどんなものであるかということを身をもって体験している。だから二度と戦争をおこさせてはいけない。安倍はいかにも戦争について反省しているかのようにいっているが、いまの時期にいくことは逆効果だ。あいつは小泉以上に戦争を知らない世代だ。だからあんなことを平気でやる。
 タクシー労働者 戦争で死んだ人は東条をにくんでいた。けれど国と家族のために死んでいった。だから東条などはよそにまつってもらいたい、いっしょにはいたくない、と思っている。なぜいまの時期にいくのかわからない。問題になっているところに首相はいかなくていい。

安倍が戦争をやりたいことはすぐ分かる
下関 戦争体験者(88歳)

 わたしは戦前、学徒動員で鉄工所の金属加工の仕事に従事していた。兄は出征してすぐに戦死し、靖国にまつられた。母親が長男の死をとても悲しみ、「靖国にまつられなくても、たとえ不具になってもいきて帰ってほしかった」と泣いていた。わたしは「お国のためだから」と思って、がまんしてきたし、「靖国にまつってもらえたのだから、名誉じゃないか」とさえ思っていた。
 ところが戦後、A級戦犯も靖国にまつるというようになって、心底腹がたった。あの戦争はまちがった戦争だったということがいわれるようになっても、兄たちはお国のために犠牲になったと信じたいというきもちがあった。他方で、戦争をやったものが責任を問われないのはおかしいと思い、A級戦犯がおなじように靖国にまつられるとなったとき、こんなバカなことがあるかと思った。
 それに戦争でなくなったものはみなおなじ犠牲者であるはずなのに、兵隊で戦死したものは靖国で、そうでない犠牲者は靖国にまつられないこともあきらかになり、ようするに天皇のためにはたらいたものだけが、靖国にまつられるということだ。
 銃後で工場労働をしていたものは、食糧も満足になく、毎日ひもじい思いをしながら、朝から夜まではたらかされた。みんないいたいことがあっても、不平一ついわず。憲兵と五人組の制度で、いうにいえない抑圧があった。五人組の密告で、ずる休みをしていたといわれた同僚がしこたま殴られる制裁をうけたこともあった。空襲で焼け死んだ労働者もいた。そうした犠牲者にはなんの補償もない。
 靖国というのはそういう制度だ。すべて基準は「天皇のため」に貢献したかどうかだ。だから安倍がいくら戦争でなくなった犠牲者を悼むために参拝したといっても、「韓国」や中国が納得しない。わたしらでも納得しない。第一、なんでこんな時期に靖国にいく必要があるのか。(特定)秘密保護法が成立したから、つぎは靖国ということか。安倍は戦争をやりたいということだ。戦争を体験したものは、それぐらいすぐにわかる。