『人民の星』 5875号1面 2014年3月30日付

名古屋東別院「原爆と戦争展」 安倍戦争政治への危惧語る

 一八日から二四日までの一週間、名古屋市中区の東別院会館で第八回東別院「原爆と戦争展」がひらかれた。主催は原爆展を成功させる会・名古屋で老若男女四五〇人が参観した。春のお彼岸の時期にあわせてひらかれる毎年恒例の取組ともなってきたが、今年は特定秘密保護法の強行採決や集団的自衛権の行使容認の動きなど、安倍政府の独裁的な戦争政治への危惧(きぐ)があいついでだされた。とくに戦争体験世代から当時の痛苦な経験が怒りをこめて、せきを切ったようにだされた。

参観者、スタッフが交流
 八二歳の男性は中学一年のとき、学徒動員先の名古屋市・大曽根の三菱発動機で爆撃にあい、なんとかたすかったが、自宅が爆撃でやられ母と兄姉の五人が死んだという。かれは「安倍さんに危険を感ずる。集団的自衛権がいわれるが、子や孫をよろこんで戦争におくるのか。アメリカのために最前線におくられることになる。また戦争をやっていいのか、といいたくなる」と痛苦の戦争体験をふみにじることにはげしい怒りをだしていった。
 「この展示は読みやすい。字も大きいし。息子や娘に見てもらいたい」とはなしていた八四歳の婦人も学徒動員で飛行機の無線機をつくっていたという。空襲で市電がとまり、歩いて帰宅したこともたびたびあったといい「幸いに自宅は焼けなかったが、兄はサイパンで戦死した。絶対に戦争は反対だ。いまの政府の方針に危惧をおぼえる。若い人たちにささやかな体験でもぜひ伝えていかなくてはと感じた」とあらためて戦争体験を語りつぐことの大事さをふりかえっていた。
 七〇代の男性はパネルを時間をかけてみたあと「戦争をめぐり、いろいろ論争を聞いたりするが、さまざまな資料を取り出して、どっちがどっちか分からなくなるところがある。ここのパネルは自分の経験と照らしても納得する。アメリカがバックで仕組んでいる。アメリカが日本をどうするかきめて動いている。上のほうできまっていたのだ」と得心するように語っていった。
 四二歳の男性はパネルに衝撃をうけた様子で「アメリカと支配階級の利権のための戦争だった。アメリカの支配をあきらかにしている。このようなことははじめて知った。教科書でも書けないことがあきらかにされている」とはなしていた。
 おなじく現役世代の四三歳の婦人は戦争体験を語りつぐ大事さを訴えていた。「ついさいきん義父が亡くなったが、その数日前にはなしてくれた。一七歳で志願兵となり、広島の呉で特攻隊として訓練をしていたが戦争がおわり命びろいしたといっていた。爆心地から離れたところに住んでいたので家族は無事だった。もう義父の話も聞くことができなくなった。貴重な記録が失われていくが、世代をこえて伝えていかなくてはならない」とのアンケートをよせていった。

みな戦争反対だ
 「原爆と戦争展」のスタッフでもある元予科練の八〇代の男性は何度も会場につめて数多くの参観者との交流をかさねた。かれは「戦争体験者はみな経験もちがうし、いうこともちがうが、みな戦争反対だなあ」としみじみと語っていた。
 おなじくスタッフでもある七〇代の男性はNHKの朝ドラ『ごちそうさん』が「アメリカ憎し」だったのが、案の定「アメリカにもいいところがある」といいはじめ、進駐軍を利用して商売をやるとか、アメリカの政策を利用して生きのびるのだ、といった調子にかわってきたところにNHKの本音がでてきた、と批判し、「昭和二二年ごろだったか、アメリカ進駐軍が小牧空港の近くに兵舎をかまえていたが、そのフェンスごしにチョコレートをもらうために片道四`を歩いていった。ものすごい数の子どもらがおしかけていたが、チョコレートがなくなると、米兵はジープまでとりにもどってまたくばっていた。しっかりとチョコレートを用意していた。宣撫政策そのものだった」とアメリカの日本侵略支配について論議になった。
 今回はじめてスタッフとして協力した婦人は参観者との交流も経験し「ふだんはいえないことが、しゃべれる空間であり、貴重な場ではないか」といっていた。
 会場では痛切な戦争体験がこのようにたびたびだされたが、ポスター貼りや賛同の呼びかけのなかでもおなじように安倍政府の戦争政治への怒りと重ね、さまざまに体験が語られてきた。終了後のポスターはがしのときもそうである。ある自営業の年配の婦人は展示会が盛況だったことによろこびをあらわにし「空襲で東別院が焼け落ちるのを見ていた。小学生のとき焼けだされてから有松のほうに疎開した。親戚が人間魚雷にのって戦死している。戦争中に海軍で亡くなった人の法事があり、小学生は行列をくんでお詣りをした。はなしだしたら一時間でも二時間でもかかるが、戦争だけはしてはいけない。近所でもなにかと争いがあるが、戦争はいけない」とくりかえした。