『人民の星』 5898号4面 2014年6月18日付


山口県に伝わる「白河踊り」
山口県萩市 中原正男

 「白河踊り」を長年調査されている萩市の中原正男氏が、二〇一〇年に雑誌に載せた文章を一部割愛して紹介する。

 二〇年くらい前、山口県萩市の北東に隣接する阿武郡阿武町奈古(なご)に、奥州白河の盆踊りの「白河踊り」があるという話を聞いた。なぜ阿武町に奥州の盆踊りが、と不思議に思ったが、「戊辰戦争に行った兵士達が持ち帰った」と言う話を聞き、歴史の重さと共に納得した記憶がある。
 近年、萩市佐々並(旧阿武郡旭村)の公民館に行く機会があり、そこにも「白河踊り」があって毎年みんなで踊っている事を聞いた。同時に山口市内や旧むつみ村等にも「白河踊り」がある事を聞いた。そこで関係各市役所、支所、役場、公民館等に問い合わせをして、各地域の歌詞(口説き)、テープ、由来等の資料を集め始めた。県内の資料が集まれば福島県白河市の本場の歌詞、テープとも比較したくなり、お願いして入手することも出来た。
 一四一年前の旧暦の盆に、兵士達が奥州白河の地で亡くなった双方の兵士達や巻き添えで亡くなられた一般庶民の方々の供養の為にと、見よう見真似で踊った「白河の盆踊り」。それを山口県各地に持ち帰った。「白河踊り」は、それまであった地元の盆踊りの中に地域の長老の方々の理解をもらって根付いていったものだと思われる。
 山口県内の「白河踊り」の分布状況は、県のほぼ中央部を日本海から瀬戸内海へと南北に縦断するように分布しており、西の旧豊浦郡(下関市)方面と東の熊毛郡方面は、昭和五七年(一九八二年)の県の調査時にはあったものの、残念ながら今回は確認できなかった。(図参照)
 県内で確認されている各地の踊りは、「白河踊り」「白川踊り」のように、「河」と「川」とが使用されている。地域により唄い始めの歌詞(口説き)や合いの手、合いの手の入る位置が異なる。歌詞(口説き)は、昔からの歌詞に加え、後世に作られた地域の歌詞でうたわれているが、本来は即興で唄っていた。
 地域によりメロディーもテンポも踊りも違い、踊る方向も白河市の矢倉に向かって左回りに対して、県内では左右どちら廻りも存在する。一四一年もたてば変化するのも当然と思う。
 唄い始めの歌詞が白河市では「イヤハー」「ハアハー」から始まっているのに、山口県内は「ヤンサエー」「ヤレサー」などと全て「ヤ」から始まっている。幕末の時期に「白河の盆踊り」の唄い始めが「イヤハー」だったと仮にしたら、長州人の耳には「ヤ」のみが強調されて聞こえたと云うことなのだろうか?
 かつて山口県ではその年に初盆を迎えられた家の前に近所の人が集まって、太鼓を叩きながら「白河踊り」を踊って、故人の供養をする事が県内多くの地域で行われていた。子供が顔が分からないように変装し化粧もして、今日はこの町内、明日はあそこの町内でと地域を渡り歩き、お菓子や飲み物等をもらって帰る地域もあった。仮装は別としても、現在でも初盆を迎えた家の前で踊っている小さな地域が複数あることが確認できた。
 多くの地域では参加者が減少傾向にあり、高齢化も進んでいるが、中には小学校で教えて運動会で発表している地域もある。後継者育成の為にと「白河踊り」を後世に残すために「白河踊り保存会」が、阿武郡阿武町や、山口市平川地区に昔からできていて、毎年盛大に「白河踊り」が踊られている。昨年(二〇〇九年)は宇部市にも「白河踊り保存会」が発足した。

伝承者不詳の時代的な要因
 これだけの地域に「白河踊り」を持ち帰るには、一地域に複数の人間が持ち帰ったに相違ない。歌詞は字の書ける者に書き取ってもらえるが、曲と踊りは身体で覚えて帰るしかなかった筈だ。武士だけでなく農民や町人達も参加した奇兵隊をはじめとする諸隊。死と背中併せの戦争の中での「白河踊り」は、束の間の心休まるひとときだった事に違いない。
 現在山口県各地で踊られている「白河踊り」は、地域の誰によって伝えられたのかまったく伝承されていない。山間部等の小さな地域でも同様である。これは、明治のはじめに現在の山口市で一部の奇兵隊をはじめとする諸隊が反乱を起こした。生きてやっと帰ってきたのに、その報酬が極めて安かったり、身分の高い者から新政府に雇われたり等々、結果的に使い捨てにされてしまった為だといわれている。その反乱を新政府の木戸孝允(元長州藩士)は武力鎮圧して百数十名を処刑した。この事件が伝承の無い要因かも知れない。
 萩市内で、我が家の先祖は奇兵隊をはじめとする諸隊にはいって四境戦争で戦ったとか戦死したとか、奥州まで行って生きて帰って来たというような話は聞いた事がない。諸隊に入隊していた事を、前記のような事情で公には言えない状況にあったのかも知れない。なのに現在でも県内四四箇所の地区で踊り継がれている事実。太平洋戦争中に軍から中止するように通達された盆踊りも、「亡くなった人の霊をなぐさめる為の行為をなんで中止するのか」と、無視してまで踊り継がれた地域も数箇所あり、何か考えさせられる。
(注 二〇一四年一月時点では複数集落や未確認地域を含めると八〇箇所をこえる)