『人民の星』 5909号2面 2014年7月26日付

第二次大戦の真実(下) 人民を殺しながら米国に命乞いした支配階級

 アメリカ帝国主義が日本を単独占領するために沖縄戦や本土空襲、広島・長崎への原爆投下によって大量の日本人民を殺戮(さつりく)していたとき、日本の支配階級はどのような動きをとったのか。
 一九四四年六月一五日、マリアナ群島のサイパン島に米軍が上陸し、七月七日に日本軍守備隊三万人が「玉砕」し、一万人もの住民が命をうばわれ、陥落した後、大本営はつぎのようにきめた。
 「今後、帝国は作戦的に大勢挽回のめどなく、しかもドイツの様相もおおむね帝国とおなじく、今後逐次“じり貧”におちいるべきをもって、すみやかに戦争終結を企図すとの結論に意見一致せり」(大本営戦争指導員の日誌)。
 元駐日米大使グルーがいっていたような日本の支配階級のなかの一部が動き、東条内閣を引きずりおろした。一九四四年七月一八日、東条内閣は総辞職した。
 宮中グループの前首相・近衛文麿、元首相・米内光政らの海軍グループが画策した。近衛らは「敵側は東條(東条)をもってヒットラーと相並び戦争の元凶なりとし、攻撃を彼一身に集中しつつあり」(一九四四年七月二日)といい、アメリカが東条内閣に批判の的をしぼり、天皇批判をさけていることに気づいていた。
 東条内閣の末期、特高警察高官がいうように、日本の社会情勢は、「枯れ草を積みたる有様なれば、之にマッチで火をつければ、直に燃えると云うことなり」と語るほどになっていた。
 日本支配階級は、天皇制による人民支配があやうくなるとの危機感から、あくまで「国体護持」をおこないつつ、アメリカに降伏し、延命することを考えていた。

戦争完遂叫び裏で降伏工作
 東条内閣のあと一九四四年七月二二日に成立した小磯国昭内閣は、「戦争完遂」をさけび、「特攻」「玉砕」など、日本の若者を戦場にひきだしながら裏でアメリカへの降伏工作をすすめた。
 兵士や非戦斗の民間人の犠牲は一気に拡大した。戦争での犠牲者の八割以上が一九四四年以降に集中している。
 日本の陸海軍の兵員数は日米開戦の一九四一年で二四一万人、四二年二八三万人、四三年三八一万人だったが、敗北が決定的となった四四年は五三七万人、四五年には七一九万人へ急拡大した。徴兵年齢も二〇歳から一九歳にひきさげ(一九四三年一二月二四日、勅令で特例交付)、一四〜一五歳の以上の少年を海軍少年兵や練習兵としてつのった。
 四三年一〇月二日には勅令で、生徒・学生の徴兵猶予停止の特例を交付して、一二月一日に学徒兵が入隊する学徒出陣を開始した。
 また、兵役服務年限の四〇歳から四五歳への延長、予備役兵、補充兵の大量召集をおこなった。兵隊にはまともに武器もなく輸送船は撃沈されるがままであった。
 ところが、米大統領ルーズベルトが一九四五年四月一二日に急死したとき、その直前四月七日に内閣を組閣した首相・鈴木貫太郎は、国民にかくれて追悼談話を英語短波放送で流した。
 追悼談話は「こんにちの戦争においてアメリカが優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力がきわめてすぐれているからです。その偉大な大統領をうしなったアメリカ国民に、深い哀悼の意をおくるものであります」というとんでもないしろものだった。
 日本の支配階級はアメリカへの降伏工作をすすめつつ、たくさんの兵隊を戦場におくったり、アメリカによる爆弾の雨をあび放題という状態にした。
 そのために大都市、地方の中小都市が焼夷弾で焼き払われ、たくさんの人が焼き殺されたし、米軍機の機銃掃射をうけた人がたくさんおり、男手を兵隊にとられたなかで、のこされた夫人たちが子どもを育て、なれない農作業で苦労し、出征した一家の大黒柱や兄弟、息子が遺骨となって帰り、その白木の箱のなかにはなにもなかったというような状況があり、前線では、マラリアにかかったり、飢餓で毎日毎日、骨と皮だけになって日本に帰ることを念じて死んでいく兵隊がつづき、最後の突撃でたおれた兵隊もあった。

人民決起恐れ降伏・延命
 そのようななか、アメリカ帝国主義による広島、長崎への原爆投下を支配階級は、「天佑」とまでいった。日本支配階級は、日本人民の命より、ソ連参戦によって、また人民がたちあがることによって、自分たちの支配がうしなわれるかもしれないことをおそれ、“原爆投下で降伏したのだ”という口実でアメリカに降伏し、延命しようとしたのである。
 日本支配階級は、日本は無一物になったといったが、無一物になったのは人民であり、財閥、官僚など支配階級は、戦時中に人民から徴発したぼうだいな物資や貴金属などを隠匿(いんとく)したし、財閥の重要工場・資機材・原料等は、ほとんど無傷のままであった。
 そして一九四五年八月一五日の日本降伏後、日本を単独占領したアメリカ帝国主義は、戦後の再編によって天皇から絶対的権力をはぎとって象徴にし、地主階級をなくし、日本独占資本から反米の牙をぬき日本人民支配の手下とした。そして日本独占資本を急速に復活させていった。
 戦争責任を問われたのは、東条英機ら一部の軍人だけで、天皇や財閥、官僚、政治家は、アメリカの対日支配の下僕となり延命した。
 このなかで、アメリカは日本支配階級を使い、戦時中に男手をとりあげて食糧生産を衰退させたなかでの何百万という兵隊・軍属・家族などの帰還を開始し、深刻な食糧不足と飢餓状態をつくりだしたり、兵隊や遺族を「軍国主義の加担者」として白眼視するなど抑圧をくわえたり、植民地的な退廃をひろげた。
 また、アメリカ占領軍は、四七年二月一日の二・一ゼネストを弾圧・中止させ、以後、全国の労働者のストライキをいっさいできないようにして戦後の労働者の運動を弾圧したり、農民からコメの強権供出をすすめた。
 ことに、アメリカ占領軍は、広島、長崎にたいする原爆投下について、ふれることを一切ゆるさず、厳重なプレスコードをしき、戦中は「誉れの家」といっていた戦争遺族にたいしては「戦犯の家」というような風潮をまきちらして迫害をくわえたのである。
 こうして、日本支配階級はアメリカの手先になり、この手先を使いながらアメリカ帝国主義は深刻な民族抑圧をくわえはじめた。

米の手先となり人民を抑圧
 
安倍晋三の祖父である岸信介は、東条内閣の商工相として、対米開戦に署名したうちの一人であり、A級戦犯として訴追されたが、アメリカの手先となることを誓って不起訴となり、アメリカが起用して首相になり、一九六〇年の「日米安保条約」改定を強行し、人民斗争で打倒された。
 第二次大戦をひきおこしたのは日本の支配階級とアメリカ帝国主義であり、犠牲になったのは日本人民だったが、アメリカは日本支配階級をすくいだし、日本人民を抑圧・支配した。そして日本を基地に一九五〇年には朝鮮侵略戦争をおこし、六〇年には本格的にベトナム侵略戦争を開始した。
 安倍政府は露骨に対米従属の道をはしっているが、それは、第二次大戦と戦後処理のなかで天皇をはじめ日本支配階級全体が、アメリカに命乞いし、アメリカの手先として生きのびる道をとったことに起因している。
 日本支配階級はそのために日本の独立を売りアメリカのためになんでもやることを誓った。おびただしい犠牲をうけた人民は解放されなかった。
 いま安倍政府は、日本人民の圧倒的な戦争反対世論をふみにじり、集団的自衛権の行使容認で日本をアメリカのための「戦争のできる国」にし、日本人民にまた犠牲をおしつけようとしているが、日本人民はかつての経験をわすれることはない。日本人民は米日政府の戦争策動をうちやぶる力をもっており、日本の独立をかちとるたたかいと深くむすびつけて平和・繁栄の日本をきりひらくだろう。  (おわり)