『人民の星』 5914号4面 2014年8月13日付

佐世保の女子高生殺害事件 資本主義の冷酷な思想

 長崎県佐世保市の高校一年の女子生徒が同級生の女子高生に殺害される事件に、加害者の「人を殺したかった」との供述、猟奇的な殺害手口など、子どもをもつ親や教師など教育関係者、多くの人人は衝撃をうけ、なぜこのような事件がくりかえされるのかと心を痛めている。自分の願望、利益のためには他人を平気でおとしいれ、殺すことも辞さないという思想は、資本主義の私的所有制の思想であり、それが極端に進んだ結果、人を殺し、そこになんの痛みの感情もない冷酷そのものの行動までひきおこしているのである。

利己主義うちやぶる勤労者
 労働する人民とその子弟のなかでは、このような冷酷無比の利己主義をうちやぶる、「みんなのために」という思想が生き生きと発展しており、戦争体験者をはじめ、働く人人の生活、労働、歴史的な経験のなかでいとなまれる悲しみ、苦しみ、怒り、喜びに心をよせ、人人のきもちのわかる子どもたちがそだっている。それこそ、私的所有制からうまれる資本主義の思想―利己主義をうちやぶり、社会を発展させていく思想である。

恨みないのに「仲良し」殺す
 事件は、七月二六日の夜、佐世保市内の加害女生徒A子(一六歳)のマンションでおきた。午後三時ごろ待ち合わせをしたあと、二人で佐世保市内で買い物をし、マンションにもどってテレビなどを見てすごしたあとの午後八時ごろ、A子が女子生徒の後頭部をハンマーで殴り、犬をつなぐためのリードを使って絞殺した。A子はその後、首と左手首を切断。ほかにもからだの複数箇所にキズを負わせた。
 現場には、長さ三〇aほどのハンマー二本(コンクリートなどの打音検査用の金属製のものと、石を砕くときに使う石頭ハンマー)と、瓦やスレートを切断するときにおもに使用される刃渡り二五aののこぎりがのこされていた。A子は「自分で(凶器を)買った」と供述しており、事前に殺害を計画していたことをうかがわせている。
 A子は被害女子生徒に日ごろ恨みのようなものをもっておらず、トラブルもなかったという。接見した弁護士らの話では、A子は被害者を「いちばん仲良しの数人のうちの一人だった」と説明しているという。
 調べのなかでは「一人暮らしのマンションでいっしょにテレビを見るなどしていたら、がまんできなくなった」とA子ははなし、同級生でなくても「だれでもよかった」といった趣旨の話もしているという。
 資産家の家庭に生まれ、なに不自由なくそだてられ、県内有数の進学校にかよい、成績はつねにトップクラスで、スポーツや音楽、美術なども上手というなど、幼いころから「エリート・コース」を保証されていた。

小学生時代から異常な行動
 しかし、小学校六年生の一二月(二〇一〇年)に二人の男女児童の給食に塩素系漂白剤を五回にわたって混入する事件をおこした。担任が事情を聞くと、「給食のなかにいれた」とみとめた。そのさい、友だちにもいっしょにやってみないかと誘ったといい、クラスではなかば公然のことだった。
 中学生になると、複数回にわたって猫を虐待死させた。小動物の解体に夢中になっているという噂がひろがるほど、異常行動が多くなった。そして、「中学生のころから、人を殺してみたいという欲求があった」(A子)というところにまでエスカレートした。
 実の母親は昨年一〇月に膵臓がんで亡くなり、今年三月には寝ている父親の頭を金属バットで殴りつけ、重傷を負わせた。殺されるかもしれないと危機感をいだいた父親はマンションを用意して別居した。事件の数日前には父親が再婚した継母に「人を殺してみたい」と語ったという。
 八〇代の戦争体験婦人は「またこんな悲惨な事件がおきて、とても悲しい。佐世保で以前にもおきた女子児童の事件を思いだして、とてもいやな気分だ。わたしら戦中戦後の混乱期をいきてきた世代は、いきること、人を思いやることが第一だった」とはなしている。
 仲がわるかったわけではない。一番仲がよかった友人だという。しかし、それにもかかわらず、その友人も殺した理由は、「殺してみたかった」「解体してみたかった」ということだった。猫とおなじように、人間も解体してみたかったというのである。
 そこにまで極端にすすんだ利己主義、個人主義を見ないわけにはいかない。そこには働く人やその子弟ならだれもがもつような、生活や労働、歴史的経験からくる悲しみや苦しみ、怒りや喜びの感情のいとなみがないのである。そこでは友人さえ「解体」の材料である。他人がどうなろうと、人がどんな苦しい、悲しい目にあおうと、そのことは関係がない。自分はひたすら人を殺し、解体することに興味があるのである。

凶暴冷酷な支配階級の思想
 それは、日本を単独占領するために、原爆を広島と長崎になげつけて、幾十万を生きたまま焼き殺したアメリカ帝国主義となんらかわらない。その冷酷無比の思想とかわらない。
 それはまた、若者を戦地に派兵して死ぬことはなんとも思わず、アメリカのためにひたすら集団的自衛権の行使容認をごり押しで閣議決定し、ふたたび赤紙一枚で、戦争に何百万をひきだし殺していく安倍政府の思想とかわらない。
 A子を殺人と「解体」にみちびいたイデオロギーは、アメリカと独占資本、安倍政府のイデオロギーであり、私的利益のためには人の命などなんともおもわない資本主義の私的利益の凶暴なイデオロギーなのである。
 A子は米日独占資本の支配する資本主義の思想そのものを実行にうつしたのである。
 そのことは、資本主義の凶暴な思想にうちかつ人民の思想―人民の痛み、苦しみ、悲しみ、喜びが分かり、みんなのために奮斗する子どもをそだてなければならないこと、そして、そのような子どもたちは労働者、勤労者の家庭のなかで生き生きとそだっていること、そしてまた生産労働や戦争を体験した世代と子どもたちをむすびつけ、集団主義のなかではぐくまれることを「上宇部実践」がしめしている。
 そしてまた、こうした悲惨な事件をなくすためには、利己主義・個人主義がうまれてくる資本主義の私的所有制という根源そのものをなくし、公、集団、人民の利益を第一とする社会を実現しなければならないことをしめしている。