『人民の星』 
  5991号2面 2015年5月20日付

長周新聞社の総括報告
編集長 森谷建大


 長周新聞の創刊六〇周年にさいして、記念祝賀集会をこのように盛大に準備してくださった実行委員会のみなさん、ならびにお忙しいなかを遠路はるばる参加していただいた読者・支持者のみなさんに心から感謝します。
 長周新聞は敗戦後一〇年目の一九五五年四月、福田正義主幹を中心とする山口県の有志によって創刊され、半世紀以上ものたたかいを経て六〇周年を迎えました。この間、定められた発行を一号も欠かすことなく発行し、通算七七三五号となります。
 いかなる権威に対しても書けない記事は一行もない人民の言論機関として創刊された長周新聞が、この資本主義社会のど真ん中で、あらゆる弾圧、迫害、妨害、攪乱を乗りこえて六〇年を迎えたことは、平和で豊かな社会の実現を目指す人民の事業が、必ず勝利する展望を示していると考えます。
 長周新聞は創刊以来、五周年ごとに記念祝賀集会を開き、読者・支持者のみなさんとともに、その間の活動を総括し、前進してきました。今年二月に七人の呼びかけ人によって実行委員会の結成が呼びかけられ、三回の実行委員会が開催されてきました。新聞紙面では読者・支持者による総括意見がのべ六〇人掲載され、活発な論議がくり広げられました。総括意見は歴史的な経験に根ざす重厚なもので、戦後七〇年、長周創刊六〇年の歩みとみずからの人生を重ねあわせ、なんとしても戦争を阻止しなければならないという気迫のこもったものでした。第二次大戦の痛切な体験を今こそ蘇らせて、戦争情勢に立ち向かっていかなければならないこと、そのなかで長周新聞が真実の報道に徹し、人民を団結させ、独立、民主、平和、繁栄の日本を実現していくために役割を果たすこと、読者のもとへさらに有用な紙面を届けていくことが期待されています。新聞の編集・発行を担当する側として、これらの意見に学んで活動報告させていただきます。
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 六〇年前の「創刊の訴え」は人民言論紙としての性格と任務について次のようにのべています。
 「戦争は、われわれの生活のうえにいいしれないいたましい傷痕を残し、われわれの郷土に無残な荒廃をもたらした。人人は荒廃のなかから立ち上がり、平和で豊かな美しい郷土を建設してゆくために、不断の努力をつづけてきたし、いまもつづけているが、しかし、一〇年もたった今日、いぜんとして明るい展望はひらけない」
 「労働者、農漁民、市民のすべてに生活の困難はいよいよ加わってきた。そのうえ、植民地的退廃がまき散らされ、民族文化の健全な伝統をむしばみつつある」「軍国主義の妖怪がまたしてものさばりはじめ」「原子戦争の危険すらが、民族の運命と関連をもちつつ、身近に不気味にただよいはじめている」「われわれはこのような状態を黙ってみていることはできない」とのべています。
 そして「大部分の商業新聞は、いずれも資本の支配下にあり」「ことの真実がゆがめられ、大衆の死活の問題がそらされる」「大衆はいおうにも口に鉄をかまされた馬のように、語るべきなんらの機関ももたない」「これでは、真実は泥沼の底におしこめられ、ウソがはびこり、歴史は偽造されてゆくばかりである」「われわれは真実を泥土にゆだねてはならない。いいたいことをあからさまにいい、欺瞞のベールをひきはがし、そのことをつうじて、真に大衆的世論を力強いものにしなければならない。そのために必要なことは、いかなる権威にも屈することのない真に大衆的言論機関をみずからがもつことである」とのべています。
 そして編集綱領として、「勤労人民の新聞として、政党、政派や宗教的信条、職業などに関わりなく、真実の報道と正しい世論の組織につとめ、平和と独立と民主主義を守る。また労働者、農漁民、市民の生活を擁護し、民族文化の擁護と発展のためにつとめる」と規定しています。
 この基準に照らして長周新聞のこの五年間の活動を総括したとき、不十分な点は自覚しつつ、基本的にその任務を実行してきたと報告できると思います。
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 第二次大戦から七〇年を迎えた世界は、資本主義の崩壊があらわとなり、恐慌と戦争と革命の大激動の情勢となっています。
 日本人民はあの戦争によって三二〇万人もの命が犠牲になりました。広島、長崎の原爆投下、沖縄戦の大殺戮、全国の大空襲、戦地における飢餓、病死、輸送船の撃沈などで無残に殺されました。それは七〇年たった今日なお、人人の胸の中にかき消すことのできない傷痕を残しています。この新鮮な怒りを若い世代に受け継ぐことがきわめて重要です。アメリカはこの間、中東やアフガンで空爆をくり返していますが、日本人こそ無差別じゅうたん爆撃の最初の残酷な経験者です。
 アメリカがこのような残虐な行為に及んだのは、日本を単独で侵略支配するという明確な計画によるものでした。戦後の革新勢力のなかで、米英仏蘭は日独伊のファッショ勢力とたたかった平和と民主主義の勢力とみなす潮流がはびこりました。かれらも日独伊から植民地を奪いとるという帝国主義戦争にほかなりませんでした。第二次大戦はまた日本帝国主義による中国、アジアへの侵略戦争とそれらの国国の民族解放戦争という側面があり、主にはこの力によって打ち負かされました。安倍晋三はアメリカへ行って対米戦争の反省をのべて持ち上げられましたが、他方で中国、アジアに対して開き直っているのは、他国に軍隊を送って戦争をすることの反省はしないということです。それは日本民族としては恥ずかしいことであり、危険なことです。
 戦争が終結すると、天皇をはじめ独占資本集団、官僚機構、新聞などの戦争指導勢力は、犠牲になった国民にはなんの謝罪も償いもせずに「一億総懺悔」といって国民に戦争責任を押しつけ、自分たちは平和主義者だったかのような振舞を始めました。かれらはアメリカの対日支配の協力者になって民族的な利益をことごとく売り飛ばすことで、自分たちの支配的地位を守ろうとする売国派にほかなりません。七〇年たった今日、日本社会は無残に崩壊し、富だけでなく命までも奪いとられるところへきました。
 戦後日本は平和で自由で民主主義だというのは欺瞞であったことがすっかり暴露されるところにきました。第二次大戦後、アメリカは圧倒的な経済的優位性を持っていましたが、ベトナム戦争を通じてドル危機が深まり、七〇年代に入ると金ドル交換停止のニクソン・ショックとなり、その権威はがた落ちとなりました。その後は金融・IT技術の優位性を武器にして新自由主義、グローバル化をとなえ、世界的なバブル経済とイカサマ金融、詐欺経済をつくって生き延びようとしてきました。それも二〇〇八年のリーマン・ショックまできて破綻しました。
 「市場原理」「新自由主義」「グローバル化」というものは、一九九〇年前後の社会主義陣営の崩壊から強くあらわれてきたものであり、表向きは「改革」などといって騒ぎながら、その実は金もうけのためにはなにをやってもよいというもので、社会的、公共的な利益、社会正義や真理真実、各国における地域の歴史や文化など平然と破壊していくものでした。これで社会が成り立つわけがありません。TPPは中国包囲網である経済ブロックに日本を組み入れ、アメリカの市場として丸ごと外資に売り飛ばしていくものです。安倍政府は「世界で一番の企業天国をつくる」といって、労働者、人民を残酷に搾取し、国内の農漁業生産をはじめ製造業、医療福祉、社会制度をさらにズタズタに崩壊させる事態を進行させています。
 リーマン・ショックにさいして金融資本は国家財政を投入させてきましたが、恐慌から抜け出せず、アメリカの衰退は隠しおおせなくなっています。そして市場争奪や覇権争奪はますます激しいものとなり、ウクライナや中東など、世界各地で争奪戦が頻発するようになりました。アメリカは資金もないが兵力も動員できなくなり、日本を身代わりとして戦争に動員することを要求しています。また日本の企業も国内の工場を閉鎖して海外に移転し、労働者を大量に首切りし、非正規雇用を増やす一方、外国でも残酷な搾取に対する強い反発をかっています。この海外権益を守るために、財界も軍事力の派遣を求めています。これは国内での民主主義の破壊、弾圧体制の強化と結びついています。
 安倍がアメリカへ行って大歓迎されましたが、この間のTPPや尖閣騒動、集団的自衛権、安保法制、憲法改定などはアメリカの要求であることを暴露しています。「戦後レジームからの脱却」といっていますが、対米従属が戦後レジームの根幹であって、「脱却」という中身はアメリカの国益のために武力参戦するという意味にほかなりません。「自主憲法」など大嘘です。
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 多くの人が「知らぬ間に戦争になっていた」といわれています。海外に自衛隊を派遣したなら、一発の銃弾が抜き差しならない長期の戦争に引きずり込んでいくことは目に見えています。また、かつてビルマの戦場に立たされた学徒兵が悔恨の思いを込めて「あのとき反対しておけばよかった」といっていたといわれます。現在はまさにそのような情勢にあります。このようななかで、どうやって戦争を阻止して平和で豊かな日本を建設する展望を開くかが最大の課題となっています。
 日本の平和運動は強力な力を発揮した伝統があります。一九五〇年八・六斗争で切り開かれた原爆反対・朝鮮戦争反対のたたかいは、沖縄の基地撤去・祖国復帰のたたかいをはじめ全国の基地撤去のたたかいを激励するなど、たちまちにして全国に広がり、五年後には世界大会が開かれ、世界の平和運動をリードするものとなりました。そして朝鮮での原爆使用を押しとどめました。また六〇年の安保改定阻止も全国的な巨大な政治斗争となり、アイゼンハワーの来日を阻止し、岸内閣を倒壊させました。日本人民のたたかいは、戦争を引き起こす敵としてアメリカと正面からたたかうときに、巨大な政治斗争になるということです。
 現在、国会の野党勢力はまったくあてにならない姿をさらしています。旧社会党であれ、「日共」集団であれ、戦後アメリカを平和と民主主義の進歩勢力とみなした潮流だということです。小集団の利益や個人の地位、金が第一で、苦難にあえぐ人民には関心がないか、関心を寄せたふりだけするというものです。「日共」集団は尖閣問題や朝鮮問題で排外主義の悪態をついていますが、まさに我が身を守ること第一で戦争協力者の役割をはたしています。長周新聞は創刊以来、さまざまな形であらわれる日和見主義、修正主義裏切り者潮流とたたかうことを通じて、広範な人民大衆と結びつき勝利してきました。とりわけ「日本共産党」の看板をかけた宮本修正主義裏切り者集団の欺瞞は徹底的に暴露してきました。
 福田主幹はかつての戦争をなぜ阻止できなかったかという問題とかかわって、「傲慢な支配階級の思想を一掃し、人民に奉仕する思想に徹して、大衆の中に入り、大衆の生活と斗争に学び、大衆の先頭に立って敵とたたかうこと」「人民に奉仕する立場を貫けば勝利できる」と指摘されました。歴史を創造する主人公は人民大衆だからです。われわれの経験によれば、自分の側からみるか、大衆の側からみるかは根本的に違います。このような思想で一致した福田型の政治勢力が全国的に結集するなら、巨大な力になることは疑いありません。
 この五年、大衆的な基盤を持った新しい型の運動が確実に発展しています。この十数年来、下関、広島、長崎、沖縄をはじめ全国で、原爆詩人・峠三吉の詩をベースにした『原爆と戦争展』が開催され、被爆者の方方の気迫あふれる体験の伝承によって、原爆反対、戦争反対の強力な力を発揮しています。広島の八・六集会は旧勢力とはまったく違うものとして広島市民の圧倒的な支持を集めるものとなっています。長崎でも同じ様相ができており、沖縄では祖国復帰斗争の経験をよみがえらせ、基地撤去・日本の独立要求のたたかいを激励しています。
 上関原発阻止斗争では、中国電力は反対派の内部に推進派を配置して運動を破壊するという仕掛けを施し、三〇年に及ぶたたかいとなりました。それは基本的に打ち破られ、祝島島民が全国との団結のもとで下から決起して漁業補償金の受けとり策動をはねつけ、新規立地を押しとどめてきました。山口県では豊北に続いて上関でも撃退し、原発は一基も建てさせませんでした。豊北斗争は漁業婦人が中心になって全県全国と団結して国策を打ち負かす新しい型の運動のはじまりといえます。
 下関では「三〇万市民のために」をスローガンにして市民運動が発展してきました。安岡沖では全国最大規模の洋上風力発電の建設計画が持ち込まれたのに対して、住民たちが反対運動に立ち上がり、一二〇〇人の市中デモをくり広げるなど、たちまち運動が広がり、国策との全面対決の様相を呈しています。
 教育運動も、鉄棒逆上がりの学年全員達成の実践など新鮮な感動を持って広がっています。これは子どもの教育は二の次で教師の狭い権利だけを要求する、また被害ばかり主張して建設がないという組合主義をとりのぞいて発展したものです。鍛えてはいけない、指導してはいけないという自由主義の教育と対置して、勤労父母の資質を身につけさせるという人民教育の路線が日本の教育の展望を示しています。
 七年になる劇団はぐるま座の再建は、修正主義の欺瞞と虚飾の劇団から人民劇団にとり戻したということであり、公演活動を通じて全国団結の大きな力を発揮しています。
 戦争に立ち向かう最大の力を持っているのは労働者です。多くの労働組合の停滞は、自分たち小集団の経済的利益だけが関心で、大多数の人民の苦労は関心がないとする組合主義、経済主義がもたらしたものです。労働者はこの社会の生産を担い、国を動かす最大の政治的な力量をもっています。したがって全人民の根本的利益を代表して、米日反動派の戦争に反対する政治斗争をたたかうよう促さなければなりません。
 戦争に立ち向かうにはイデオロギー面のたたかいが不可欠です。文化芸術については福田主幹の著作を学習することと文化活動の実際を知ることを結びつけて、抜本的に構え直してとりくむことを誓います。
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 長周新聞は創刊から六〇年、人民に奉仕する思想、自力更生刻苦奮斗することを根本精神とし、若い勤務員も先輩たちから指導されてきました。なにもないところから、自分たちの手と足を使って奮斗努力すること、不断に自己を改造し、現実社会に能動的にかかわって局面を切り開いていくという戦斗精神です。大衆の苦難を調べ、その手助けをしていく、社会発展の法則に立ってその意見を取捨選択し、整理して政策にして返していくことをくり返してきました。社旗にも掲げられた、この「幾千万大衆とともに」の路線を新聞活動に貫いていくなら、いかなる権力も長周新聞をつぶすことはできないし、人人の役に立っていけると確信しています。
 福田主幹が亡くなられてから一四年が経過しました。この間、現在の新聞発行に責任を負っている私たち自身がその事業を学び、創刊路線について勉強を深めることが、新聞活動を発展させる原動力になってきました。戦後七〇年がたったもとで、失業も貧困も戦争もない、すなわち搾取と抑圧のない自由な社会をつくるために、今度こそ挑まなければなりません。この五年の新聞活動はいくつかの前進を見ましたが、課題を鮮明にしてさらに五年後、一〇年後を見据えて奮斗努力することが迫られています。
 長周新聞は六〇周年を期して、自分たちを鍛え、これらの課題を突破しつつ、活動を全国に広げなければならないと考えます。そのなかで、いかなる権威にも屈することなく真実の報道をやるためには、経営上の困難も突破しなければなりません。大衆にとって有用な新聞をつくること、読者を拡大し、その経営基盤を強化することは、なにがなんでもやり遂げなければならないものです。新聞の編集発行すべてにおいて、私たち自身の能力の限界に挑んでいくこと、より高いレベルを目指して六〇年の歴史を引き継ぎ、長周新聞の発行に責任を負うことを決意しています。
 最後に、長周新聞が六〇年の間たたかい抜けた要因は、読者・支持者のみなさんのご支持ご協力の賜物であり、勤務員の家族のみなさんのご協力によるものです。また、福田主幹よりこの新聞事業を代代引き継いできた勤務員全体の奮斗がなければ六〇年の歴史はありません。支えてくださったすべての人人に感謝し、編集局の活動報告とさせてもらいます。