『人民の星』 
  5997号1面 2015年6月10日付

佐賀空港の軍事基地化反対
オスプレイ配備は戦争の道 川副町民たち上がる

 七日、佐賀市の川副体育センターで「佐賀空港への自衛隊オスプレイ等配備反対対策協議会」の第二回会合がひらかれ、町民約四〇〇人が参加した。会合では「反対する地域住民の会」を発足させ、自衛隊のオスプレイやヘリの配備による佐賀空港の軍事基地化、米軍基地化に反対し、署名や集会など住民主体の運動を強め、かならず撤回させることを誓いあった。

400人が参加し住民の会結成
 会合は安倍政府が日本を「戦争のできる国」にかえようとしていることに反対し、かつての戦争体験にたって戦争につながる空港の軍事基地化を断固拒否し、だれそれの力にたよるのではなく住民自身の力で平和な町、国をつくっていこうという熱気あふれる決起の場となった。
 会合ではまず、対策協議会の古賀初次会長があいさつにたち、つぎのように決意をのべた。
 「この間、数多くの反対の声がだされてきた。沖縄県でのことに見られるように安倍政府の民意を無視する態度はゆるされない。国策に翻弄されてはいけない。オスプレイの配備も、推進のためのごり押しを粛粛とやっている。われわれがはっきり意思表明しないと知事や市長は持ちこたえられない。
 わたしたちが生き暮らしている川副を軍事基地・川副にしてはならない。子や孫、子孫たちが二度と戦争の体験をしたり、死んでいかなくていいように、いま生きているわたしたちが声をあげ腰をあげなければならないときだ。先の大戦で、わたしの叔父も戦死した。戦争にまきこまれる恐れのあるオスプレイや軍用ヘリの佐賀空港配備に、わたしたちのできるかぎりの力で反対していく」
 会長のあいさつには何度も拍手がおこった。
 つづいて山口県岩国でのオスプレイの実態が報告されたあと、古賀会長が昨年八月の対策協議会発足以降のおもな経過と今後の運動についてつぎのように提案した。

歴史的体験ふまえた運動方針 出撃基地にさせない
 一四年七月に安倍内閣はつぎの三点をもうしいれてきた。
 ①新設する陸上自衛隊のオスプレイ(一七機)を佐賀空港に常駐させる。
 ②目達原(めたばる)基地にある対戦車攻撃ヘリ部隊(五〇機)を全部移駐させる。
 ③米軍普天間基地のオスプレイ部隊の訓練基地としてつかう。
 山口祥義新知事は「白紙の立場」をとっており、県民の声をよく聞いたうえで判断するといっている。態度をはっきりさせるときまでだまっていてよいのか、いまの段階で反対の立場をうちださなければわたしたちの明日はないと考える。行動にでるよう腹をきめるよりほかに道はない。
 秀島敏行佐賀市長は地元漁協と県がむすんだ「公害防止協定」で県が「自衛隊との共用は考えていない」と書いており、それをまもるのが当たり前、やぶってはならないと主張している。わたしたちが立ちあがらなければ市長は孤立する。そんなことは道義がゆるさない。
 昨年八月、佐賀空港自衛隊オスプレイ等配備反対対策協議会を結成した。説明会で防衛省が「地域のみなさんに賛成してもらえなければ基地をつくることはできない」といったことを忘れない。今年五月の議会報告会で、市議会特別委員会が三カ月後に一定の方針を見解にまとめる方針だということがあきらかになった。ここでわたしたちがだまっておれば、オスプレイ配備に反対しないとうけとられる。いま反対の声を大きくあげなければ将来、子子孫孫の代まで悔いを残す。
 安倍内閣は軍備を増強し、基地機能を増強することは「国民の安全」と「戦争抑止のため」必要だといっているが、わたしたちはこれまでに為政者が「自衛のため」「東洋平和のため」と言って戦争に突入し、拡大していった過去の歴史を忘れない。安倍内閣は昨年七月の閣議で集団的自衛権の容認をみとめ、「アメリカといっしょになって世界のどこででも戦争をする国」に変えようとしている。「戦争する国」作りのために自衛隊オスプレイ部隊の新設と佐賀空港への配備計画がすすめられている。
 尖閣諸島で軍事衝突がおきることを考えて、佐世保市の陸上自衛隊相浦駐屯地に水陸機動団三〇〇〇人をあたらしく配備し、それを尖閣諸島にはこぶために佐賀空港に自衛隊オスプレイ部隊を配備するものだ。
 緊張状態を改善するには中国側との話し合いをすすめなければならないのに、首脳会談もなく険悪な空気がみなぎっている。中国とフィリピンとのあいだの南沙諸島の問題まで防衛省が反中国の発言をし対立を深めている。
 安倍内閣のすすんでいる道はいつか来た道、戦争に突入する道だ。七〇年前におわった戦争でもわたしたちの町は終戦間近になって空襲をうけた。
 中国とのあいだで戦争がはじまり、佐賀空港からオスプレイ部隊が沖縄や尖閣諸島に急ぐなら空港はミサイル攻撃の対象になる。わたしたちは政府が戦争準備をやめ近隣諸国との友好政策をとるよう要求する。
 佐賀空港の軍事基地化に反対するのはつぎのような理由からだ。
オスプレイはよく墜落する危険な飛行物体でかならず事故をおこす、いったん自衛隊基地になれば米軍オスプレイ部隊の訓練基地につながっていく。
騒音がはげしいうえにヘリの騒音もくわわり人間や海の魚介類にも悪影響がある。
空港の三〇㌶拡張による汚水流出や墜落によるノリ養殖業への被害は深刻で、また墜落の不安ではたらく農民やハウスへの風圧など農業の被害も深刻だ。
「公害防止協定」は自衛隊との共用をはっきり否定している。
佐賀空港は、あたらしい「戦争する国」日本のもとで、第一撃部隊の出撃基地化とされようとしている。これは世界とアジアの平和を大きくそこない、わたしたちの郷土が戦場となりかねない恐れが生じる。安倍内閣はすべての好戦的政策をやめ、近隣諸国と信頼関係を確立し、平和共存と相互繁栄の道をすすめるよう強くもとめる。
五年半前に普天間基地が佐賀空港に移転するという話が表面化したとき、県市議会は全会一致で「反対決議」を採択した。米軍基地との共用は沖縄とおなじように多くの問題をかかえこむ。反対決議を殺してはならない。
  *  *  *
 最後に古賀会長は、つぎのように提案した。
 対策協議会を「自衛隊オスプレイ部隊等配備反対地域住民の会」に改称する。全町的な配備反対署名をおこなう。町内外の勉強会や話し合いの機会を多くつくる。重要な事項がもちあがったときは全町的な集会をひらき、よくはなしあってきめる。川副町だけでなく佐賀市民、佐賀県民などによる空港の軍事基地化反対運動とも交流、協力し運動をひろげる。撤回させる日まで奮斗する。

自衛隊の後に米軍くる 「町民が主役」と活発な論議
 つづいて川崎直幸市議が補足説明にたち、なぜ「公害防止協定」に「自衛隊との共用否定」をもりこんだか、その経緯などについてつぎのように説明した。
 佐賀空港をつくるときに「この空港はかならず赤字になる。そうしたら防衛省が使わせろといってくるにちがいない」という話がでた。当時の漁協組合長など地域で対応した人たちは、みんな先の戦争にかかわった人たちばかりだ。わたしの父も「満州」に行き、ノモンハン事件などで苦労した。佐賀空港が自衛隊の基地になればまた戦争になったときここが火の海になる。だから自衛隊につかわせてはならないとこの一項をもうけた。
 防衛省は「用地の取得がむつかしくなっている」といっている。みんなが反対の声をあげたからだ。反対の声が強まり、政府はあわてている。政府は地元の反応を見ている。態度をはっきりさせなければ国は事をすすめて、条件斗争になる。条件斗争にしてはダメだ。反対の意思をいまはっきりさせなければならない。
 補足説明のあと会合では「主役は町民のみなさんです」として会場からの意見、質問がつのられた。
 一人の男性は「賛成の人もいる。政府は分断策で賛成の人と反対の人をいがみあわせるようなことをやってくる。そんなことにしてはダメだ。よく話しあって町内の総意として意見をきめるべきだ」とのべた。
 べつの男性は「政府は自衛隊先行でいっている。自衛隊で先にすすめてあとで米軍をもってくるというやり方だ。だからいま止めなければならない」と強調した。
 さらにべつの男性は「川副町を破壊するようなことをぜったいにゆるしてはダメだ。一丸となって川副町をまもろう」と訴えた。
 会合は最後に全員で「佐賀空港の軍事基地化(自衛隊オスプレイ部隊・ヘリコプター部隊の配備および米軍基地化)に反対し計画の撤回をもとめる決議」を採択した。
 古賀会長の音頭で「がんばろう三唱」をおこない、反対の会発足を確認して会合はしめられた。
 会合に参加した七〇代の農民は「国が一方的にやってくることにみんな頭にきている。県の空港なのに県や地元の意向を無視して一方的にやるのは沖縄とおなじだ。川副は平和な町だ。あんな戦争につながるようなものをもってきてはいけない」といった。
 おなじく商店をやっている婦人は「むしろ遅すぎた。もっとはやく態度をはっきりさせないといけなかった。でも麦刈りから田植えとこの忙しい時期にこれだけの人がよくあつまった。今度の集まりでみんな本気になるのではないか」とのべた。
 タマネギ収穫の真っ最中で会合に参加できなかったという七〇代男性は「このあたりも空襲があった。防空壕とかもおぼえている。あんなことを二度とさせてはならない。安倍はあぶない。アメリカは戦争ばかりの国だが、そのいいなりになって国の方向をまちがえさせようとしている。そんなことを絶対やったらいけない。ここがまた戦争になるような今度のようなことは、やらせてはいけない。みんな声をあげていくことが大事だ」と語った。