『人民の星』 
  6027号1面 2015年9月23日
人民の強大な力しめす 
安保法案反対運動の経過と特徴

 「戦争法案廃案」「戦争反対」「安倍退陣」の世論と運動の高まりに包囲されるなかで、安倍政府と自公連立与党は一九日未明、参議院本会議で安保法制案を成立させた。安保法制案の廃案をめざしたたかってきた人たちのなかでは、いささかの敗北感もなく、「たたかいはこれからだ」「未来はあかるい」の声があがり、斗争意欲をいっそう高めている。それは、大規模な青年学生のたちあがりに象徴されるように日本の人民運動が段階を画して発展し、歴史的な戦争体験をうけつぎ、平和な未来をきりひらくためにはアメリカの植民地のようになっている日本社会をかえなければならないとの認識を高め、歴史を動かす人民の力へのたしかな手応えを得ているからである。

戦争体験が斗いの根拠に 明らかになった対米従属

 安保法制案に反対するこの間の斗争の発展はめざましいものがあった。
 安倍政府が発足していらい、戦争体験者を中心にして「きなくさいにおいがする」と危機感が高まり、また消費税率引上げや年金削減への怒りが充満していた。
 安倍政府が安保法制案を閣議決定し、国会に上程した五月中旬から、国会議事堂前での市民団体などの抗議行動がはじまっているが、最初は一〇〇〇人ほどであった。学生団体が抗議行動をはじめたのが六月五日からで、やはり参加者は一〇〇〇人であった。
 だがそれから一カ月あまり、衆議院での強行採決がせまる七月一四日、国会に近い日比谷野音でひらかれた反対集会には二万人以上があつまり、特別委での強行採決直後の国会前抗議行動には六万人がおしかけた。七月三一日には学生と学者の共同集会・国会前行動がとりくまれ、二万五〇〇〇人以上が参加した。六月一五日にだされた「安全保障法案に反対する学者の会」のアピールへの賛同者は一カ月半ほどで一万二六〇〇余となり、一般賛同者は二万七〇〇〇人におよんだ。
 参議院での審議が緊迫するなかで八月三〇日におこなわれた国会前抗議行動には一二万人が参加し、大阪での二万五〇〇〇人をはじめ全国一〇〇〇カ所以上で集会・デモがたたかわれた。参議院での強行採決がたくらまれた九月一四日からの週では連日、三万~四万人が抗議行動に参加し、怒りの声をあげた。
 労働組合関連では八月下旬に全国港湾が全国各地で反対集会をひらき、九月一八日には全港湾が戦争法案と辺野古新基地建設反対で時限ストや抗議集会をたたかった。全日建は一一日、戦争法案廃案、安倍内閣退陣で全国統一ストをたたかった。下部からの強いつきあげで、連合も八月二三日に労基法改悪阻止とあわせて国会前抗議行動をとりくんだ。
 安倍政府が参議院で強行採決したあとも、全国各地で抗議の集会・デモが三〇カ所以上(九月二一日時点)でとりくまれ、たえることなくたたかいはつづいている。
 反対運動の急速なひろがりは、既成の政党や団体の枠をはるかにこえた人たちがいっせいに行動にたちあがったことをしめしている。多くの人たちから「潮目がかわった」などの声があがり、日本の人民運動があらたな発展局面にはいったことを実感し、斗争意欲を高めている。

大きく貢献した知識人 真っ向から政府批判
 この運動の急速な発展に大きく貢献したのは憲法学者や大学教員など知識人・文化人である。
 憲法学者は六月二日、憲法違反の戦争法案の廃案をもとめる声明を発表し、六月四日にひらかれた衆院憲法審査会では自公与党、民主党、維新の党がそれぞれ推せんした三人の憲法学者すべてが安保法制案を「違憲」と断言したことは安倍政府に大きな政治的な打撃をあたえた。著名な学者が抑圧をおそれず安倍政府を指弾したことは、多くの人のたちあがりを激励した。
 三人の憲法学者の一人である小林節氏は、翌五日におこなわれた学生団体の国会前抗議行動に雨のなかかけつけ、「わたしはもはや、君たち世代のために良きものをのこさなければとたたかっていますけれども、君たちも、永遠とつづく民族のなかで、さらにつぎの世代に責任があります。そういう歴史の流れのなかで、つぎの世代に責任をとるという思いでたたかっていただきたい」と学生らに訴えて激励した。
 半官製団体である弁護士会も、会をあげて全国で行動にたちあがり、抗議集会を主催するなど、人民運動の発展に貢献した。
 「学者の会」は安保法制案に反対する態度表明にとどまらず、学生との共同行動をよびかけるなど、人民運動に直接かかわり、その発展をうながす役割を意識的にになった。「学者の会」は発足のアピールのなかで、「戦争する国」へすすむ安全保障関連法案に反対し、「米国の侵略戦争に日本の自衛隊が参戦する可能性」を指摘するとともに、かつて侵略戦争に多くの学徒を戦地へおくった大学の戦争協力の痛恨の歴史にたち、「二度とふたたび、若者を戦地におくりださない」との決意をあきらかにしている。
 「学者の会」の大学教員は、各大学で学生らと抗議集会をひらき、反対声明をつぎつぎにだした。このなかで政府・文科省がたくらむ教員養成や人文系廃止の策動と、文系の学生を戦地にかりだした学徒出陣の経験をかさね、反対運動をよびかけている。防衛省がたくらむ軍学共同研究推進にも反対行動がひろがっており、大学のあり方を問いなおすたたかいをすすめている。

戦争体験を学ぶ学生 新生の運動に参加続出
 学生らは抗議行動をつうじて、学者や労働者、退職者、戦争体験者と交流をかさねるなかで、その思いをうけつぎ、みずから戦争体験を聞いたり、勉強したりして、たたかってきた。戦後七〇年の前夜、八月一四日の国会議事堂前の抗議行動のなかでは、多くの学生が戦争体験を学び、その志をうけついでいく決意を表明した。このなかで学生らの抗議行動に感動した特攻隊をこころざした予科練生(八六歳)の投稿がよみあげられた。「特攻隊で死んだなかまがいまここによみがえった。うまれかわってたちならんでいるように感じた」という投稿は学生らの心をゆさぶった。
 「学者の会」や青年学生らの抗議行動のひろがりは、これまで集会、デモに参加したことがなかった人もふくめ行動へのたちあがりをうながした。多くの人は、安倍政府への怒りをつのらせながら、党利党略にはしる既成政党や労働官僚どもへの強い批判をもち、形式的な集会やスケジュール斗争をいみきらってきた。しかし新生の運動が前面に登場してきたことで、それを歓迎し行動にたちあがっていった。
 国会前の抗議行動に参加した人たちに運動の高まりについて聞くと、第一にあげるのが学生のたちあがりである。もう一つは、労働組合や団体に所属しない人たちが大量に参加するようになったことである。国会前の抗議行動がはじまる午後六時半を前後して、地下鉄などからぞくぞくと列をなしてつめかけてくる。そのなかには背広姿の人もいれば、スカートにヒール、パンプスの青年婦人もいる。夫婦や子どもをつれた若い母親も数多い。
 退職したいわゆる“団塊の世代”は大きな層をなしている。この層が昼間での抗議行動などで大きな役割をになっている。六〇年代、七〇年代にさまざまな斗争の経験をもち、八〇年代以降の運動の停滞に忸怩(じくじ)たる思いをいだいてきた人たちが、戦争をはばみ、つぎの世代に平和な社会をひきついでいかなければならないという決意をあらたにしている。こうした思いは安倍政府の戦争策動のなかで、学者などにとどまらず労働者、勤労人民のなかにひろがっている。
 国会前の抗議行動に参加してきた人たちが、安保法制案の強行成立にさいし、いっそう斗争意欲を高め、だれもが「たたかいはこれからだ」というのは、みずからの意志で行動にたちあがり、認識を高めているこの間の運動の発展への確信があるからである。

政治的認識高まる 独立と平和求める人民
 運動をつうじた政治的な認識の高まりの第一の点は、アメリカ言いなりの安倍政府の戦争法案強行をつうじた、対米従属の日本社会への批判である。安保法制案をめぐって、安倍が四月末の訪米で「夏までに成立させる」とちかったことへの批判は強い。「アメリカのための戦争動員だ」「アメリカが日本をまもるわけはない」と語り、辺野古新基地建設に反対する沖縄県民の世論を無視して強行しようとする安倍政府を批判する。
 圧倒的な人民世論にまったく耳をかさず、アメリカ言いなりで憲法さえ無視して戦争法案を強行する安倍をまのあたりするなかで、いったい日本の政治はだれのためのものかということが問題となった。国会前の抗議行動や交流のなかで、「民主主義」や「主権」「民意」についてくりかえし語られ、安倍の政治は圧倒的多数の日本人民の世論や要求をまったく無視したものであり、いったいだれのためのものかということをとおして、対米従属が大きな問題となってきた。
 この問題とかかわって認識の高まった第二の点は、平和をまもるのも、政治をかえるのも人民の力だということである。安倍は、日米同盟や「日米安保条約」があったから日本が平和であったかのようにいい、アメリカの戦争動員にこたえる安保法制案の必要をとなえた。これにたいしてこの間の運動の発展のなかで、六〇年「安保」斗争をはじめ歴史的な戦争体験に根ざした戦争反対、原水爆禁止などのたたかいがあったから、平和がまもられてきたことが鮮明にされた。それは憲法に「戦争放棄」の条文があるから平和で戦争がなかったわけではないということでもある。
 この人民斗争への確信は、安保法制案が成立しても斗争意欲をいっそう高め、人民の力で安倍をひきずりおろし、日本の政治、日本社会をかえていけばいいという認識をうみだしている。

益々重要な「原爆と戦争展」
 安保法制案をめぐる斗争の発展のなかであらためて重要なことは、歴史的な戦争体験に根ざした人民斗争の発展をうけつぎ、発展させることであり、戦後七〇年たってもまるでアメリカの植民地のような状態にある日本社会についてかつての戦争にまでたちかえって暴露していくことである。斗争のなかで「安倍は岸の孫」ということが何度も語られたことは、その一端をしめしている。
 人民斗争の現状にてらし、二〇〇〇年代をつうじて全国にひろがった「原爆と戦争展」のはたしてきた役割をあらためてはっきりさせる必要がある。アメリカの原爆投下の犯罪をあばき原水爆禁止運動のきりひらいた広島での一九五〇年八・六平和斗争の路線をうけつぐ「原爆と戦争展」は、日本人民の歴史的な戦争体験を発動し、戦後一貫したアメリカの対日支配をあばく武器となり、こんにちの人民斗争の発展への土台をつちかってきた。それは、いく千万の日本人民の戦争と戦後の体験を発揚し、日本の人民世論の大きな変動をもたらしている。
 安保法制案に反対する人民運動の発展を明確にし、戦争反対斗争を日本の真の独立をめざす斗争とかたくむすびつけたたかいを発展させ、安倍政府を追撃しよう。「原爆と戦争展」運動を圧倒的にひろげよう。