『人民の星』 
  6043号1面 2015年11月21日
知っていて真珠湾攻撃をさせたアメリカ
日米開戦74周年を迎えて

 一二月八日は「真珠湾攻撃」の日米開戦から七四周年である。当時の米大統領ルーズベルトは、「奇襲攻撃」だと非難し、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」とさけび、戦争動員の大号令をかけた。だが日本軍の真珠湾攻撃は「奇襲」ではなかった。米政府は日本の対米開戦、真珠湾攻撃を知っていた。わざと日本に引き金をひかせ、アメリカ国内を戦争推進にかりたてたのである。アメリカはまたそれを原爆投下や沖縄戦、日本全土空襲の正当化に使った。第二次世界大戦での日独伊と米英仏蘭の戦争は「ファシズムと民主主義の戦争」などではない。アメリカは帝国主義国であり、アメリカの参戦は、世界支配をやるためであり、日本を支配し、中国をはじめとするアジア諸国への侵略の拠点にするためであった。アメリカはこの戦争戦略をこんにちまでつづけている。アメリカは真珠湾の「奇襲」というようなでっちあげや謀略を常套手段としている。

事前にかわしていた“虎の子”の空母
 日本軍による真珠湾攻撃は、米太平洋艦隊の基地であるハワイ・オアフ島にたいし、日本時間で一九四一年一二月八日午前七時五〇分ごろ、アメリカ時間で一二月七日午前三時二〇分ごろからはじまった。
 日本海軍の空母艦載機による攻撃で、湾内に停泊していた米艦隊のうち、戦艦四隻が沈没したのをはじめ、一八隻の艦船が破壊・損害、航空基地にあった陸海軍機三四〇機あまりが破壊・損害をうけ、死者は約二三五〇人におよんだ。日本軍の損害は未帰還二九機、特殊潜航艇五隻、死者五五人であった。
 しかし、空母レキシントンとエンタープライズは航空機をミッドウェー、ウェーキ両島に移送せよとの米海軍首脳の指示で、一一月二六日に、新鋭艦一九隻の護衛で出港しており無傷だった。
 当時の米大統領ルーズベルトは翌日、上下両院本会議で対日宣戦布告を演説した。そこでルーズベルトは、日本とアメリカが太平洋の平和維持について交渉中であったにもかかわらず攻撃したこと、攻撃までの何週間にもわたって日本が「偽りの文言と平和維持の希望の表明によって、合衆国をだまそうと画策してきた」こと、日本大使が米国務省に交渉打ち切りの回答をわたしたのは真珠湾攻撃の一時間後だったことなどをあげ、一二月七日を「屈辱の日」とさけび対日開戦を宣言した。

日本の暗号電文はアメリカに筒抜け
 ルーズベルトは真珠湾攻撃を卑怯な「奇襲」とえがいたが、真っ赤なウソだった。当時、米政府は日本の外交暗号を解読しており、日本本国からワシントンの日本大使館への電文内容はアメリカにつつぬけだった。
 対米開戦にかかわる日本の電文は、日米交渉の最終期限をいつにするかというもので、当初は一一月二五日としていた期限を一二月一日に変更するというものであった。こうして一二月になればいつ日本が対米開戦してもおかしくないとルーズベルトらは判断し、その攻撃目標の第一が真珠湾の太平洋艦隊基地であることまで知っていた。
 日本艦隊が真珠湾攻撃にむけて出港するのは一一月二五日だが、米政府はこの日、アメリカおよび同盟国のすべての艦船にたいして北大西洋の航行を禁じる指示をだし、直後に真珠湾の空母を航空機移送の名目で出港・退避させた。
 当時の米大洋艦隊司令官キンメルは独断で「演習」名目でハワイ近海に偵察用の艦船を配置しようとしたが、「日本を刺激することになる」と米政府はわざと中止させた。
 対米開戦の一時間半前、日本軍はマレー半島への上陸作戦をおこない、英軍との戦斗にはいった。これはすぐにアメリカに報告され、米軍に戦時体制にはいることが指示されたが、ハワイの米軍には指示をしなかった。
 キンメルとハワイ軍管区司令官ショートは、真珠湾攻撃への防備責任の怠慢を理由に退役させられたが、アメリカ政府はわざと、戦時体制にはいることをハワイの米軍に指示しなかった。
 この二人は米政府首脳が日本軍の真珠湾攻撃を事前に知りながら、故意に現地司令官に知らせず、被害発生の責任をおしつけられたとし、えん罪をはらすようくりかえし訴えた。
 キンメルは真珠湾攻撃直後に「ルーズベルトなどの指導者たちは、真珠湾の米軍を故意に裏切った」(『ニューズウィーク』一九四一年一二月一二日号)と訴え、一九五二年に出版した回顧録のなかでも「攻撃にさきだつ一〇日間の受信された情報は、真珠湾にいる艦隊が日本の攻撃目標になっていることをあきらかにしめしていた。しかし、一言の警告、一片の情報すらハワイの指揮官にあたえられなかった」と米政府や米軍首脳を批判した。

米国民動員のために先に日本に撃たす
 ルーズベルトは開戦演説で日本と平和交渉をおこなっているといったが、世界覇権のために第二次世界大戦に参戦する機会をねらい、日本を追いつめ、先に引き金をひかせようとしていた。
 第二次世界大戦は一九三九年九月、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ポーランドの同盟国だった英仏の対ドイツ宣戦布告ではじまった。
 アジアでも日本軍が蘆溝橋事件(一九三七年七月)で中国全面侵略にふみだしていらい、中国をめぐるアメリカとの争奪は激化し、米政府はドイツ軍のポーランド侵攻直前の一九三九年七月に日米通商航海条約の破棄を通告した。日本は戦略物資をアメリカからの輸入に依存しており、同条約の破棄で、アメリカからの航空燃料、くず鉄の輸入が制限された。
 米政府は第二次世界大戦に参戦したかったが、アメリカ国内の人民世論は戦争反対が圧倒的で、欧州にしろアジアにしろアメリカが戦争介入するのに反対が八割をしめていた。第一次世界大戦に参戦したアメリカの戦没者は民間もふくめ一一万人をこえており、この犠牲が圧倒的な戦争反対の基盤となっていた。
 このためルーズベルトは一九四〇年の大統領選挙で、「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にもおくりこむことはない」とうそ八百の公約をかかげた。
 裏で米政府は、第二次大戦に参戦するための具体策を検討していた。米海軍情報部極東課長の海軍少佐マッカラムは、日本に引き金をひかせるため挑発をおこなう提言覚書を一九四〇年一〇月七日に作成し、当時の米大統領ルーズベルトの軍事顧問におくった。
 覚書は「現在の世論の状況からは、さらにより多くの騒動が発生しないかぎり、アメリカ政府が対日宣戦布告をできるとは思えない」とし、八項目の施策を提案した。
 覚書の内容は米政府中枢の共通の認識だった。日本に「最初の一発」をうたせることができれば、アメリカ国内の戦争反対世論をおしきって参戦でき、日本との戦争になれば三国同盟のもとにあるドイツ、イタリアなどとも戦争となり、ヨーロッパ戦線にも参戦できるとふんでいた。

用意周到に日本を対米戦に引き込む
 当時、日本とアメリカの国力の差は歴然としていた。日本の国民総生産(GNP)はアメリカの二四分の一、年間の鉄鋼生産でみるとアメリカが七五〇〇万㌧、日本はその一〇分の一にみたない七〇〇万㌧だった。日本の輸入総額の約三分の一がアメリカからのもので、石油の七五%、工作機械類の五三%、鉄の五〇%をアメリカからの輸入にたよっていた。
 真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六が「それは是非やれといわれればはじめ半年や一年のあいだは随分あばれてご覧にいれる。しかしながら、二年三年となればまったく確信はもてぬ」と発言した。日本がまけるとわかっている対米戦争に日本をどうひきこむか、それがアメリカの周到に準備した戦争挑発であった。
 アメリカ政府は戦争挑発計画にそって、米軍事顧問団の派遣もふくむ中国への軍事・経済援助を実施し、イギリスやオランダとともに在外日本資産の凍結、日本への石油輸出停止をすすめた。一九四一年八月にはアメリカの日本への石油輸出はすべて停止した。いわゆるA(アメリカ)B(イギリス)C(中国)D(オランダ)包囲網である。
 ハワイの真珠湾への主力艦隊の配置は、一九四〇年五月からはじめている。通常はアメリカ西海岸に常駐していたが、ルーズベルトの命令でハワイに常駐した。対日開戦となれば、日本軍の真珠湾攻撃は必至で、米太平洋艦隊を危険にさらすことになるとして米太平洋艦隊司令官は常駐に反対したが、一九四一年二月にその司令官を更迭した。その後任がキンメルである。
 日本を開戦に追いこむためにABCD包囲網をしくなかで、ルーズベルトはイギリス首相チャーチルと会談し、このたたかいが「ファシズムにたいする民主主義防衛の戦争である」と宣言し、第二次世界大戦に勝利したあとの世界支配の枠組をしめす「大西洋憲章」を発表した。
 会談でルーズベルトはチャーチルに、「いかにしたら日本がさきに、アメリカに攻撃をしかけるか検討中である」と言った(イギリス議会の秘密会議での証言)。
 日本海軍は一九四一年初頭から真珠湾攻撃を検討しはじめた。同年九月の御前会議で、「対米交渉が妥結しない場合、武力を発動する」とし、米英仏蘭との戦争準備を一〇月下旬をめどに完成するとした「帝国国策遂行要領」をきめ、真珠湾攻撃の準備にはいった。
 こうした日本側の動きを米政府はつかんでいた。同年一一月二五日、戦争に関係する閣僚があつまったなかで陸軍長官スティムソンは「敵が攻撃してくるとわかっている場合に、手をこまねいてまっているのも賢明ではない」とのべたのにたいし、ルーズベルトは「たしかに日本軍に最初の一発をうたせるということには危険がある。しかしアメリカ国民の全幅の信頼を得るには、日本軍をさきに攻撃させて、だれが考えてもどっちが侵略者であるか一遍の疑念もなくわからせるようにした方がいい」とこたえた。

いまも変わらぬ米帝国主義の本性
 世界支配の帝国主義的野望のために、どんな手段もつかうことは凶悪な帝国主義の本性をあらわにしたものである。開戦から一年あまりで、日本の敗戦が必至となり、一九四四年秋からは、世界支配、対日単独占領・支配のために、米軍は日本人民の大量殺りくを開始する。広島、長崎の原爆投下、東京をはじめとする都市空襲、みな殺しの沖縄戦などでなん百万人が殺された。
 日本の支配階級は敗戦がさけられなくなると、人民の反抗・革命をおそれ、意図的に兵隊や国民を死地においやる作戦を実施し、他方では凶悪なアメリカにひざまづいて延命をこいねがった。
 アメリカがでっちあげた真珠湾の「奇襲攻撃」という謀略はけっして過去のことではない。戦後七〇年たった現在、こんどは安倍政府を中国にけしかけ、日本を戦場にすることをたくらんでいる。戦争になれば米軍はにげ、その間、日本中がミサイルの標的になるという作戦構想である。安倍政府はその作戦構想にそって中国との戦争につきすすもうしている。それは、日本人民を何百万も犠牲にする亡国の道である。そしてそれが第二次大戦でのアメリカの凶悪な戦争計画の継続なのである。真珠湾の「奇襲」というでっちあげは、アメリカ帝国主義を徹底的に暴露し、日本支配階級の対米従属を徹底的に暴露し、斗争することが戦争に反対し恒久平和をめざす出発点であることをしめしている。