『人民の星』 
  6086号1面 2016年4月27日
熊本大地震 人民に冷淡な安倍政府
オスプレイ即認め 激甚災害指定しぶる

 熊本を大地震がおそって二週間がたつ。圧死や関連死で六二人の死者・行方不明者をだし、一三〇〇人もが負傷し、一万一〇〇〇棟もの家屋が全半壊し、いまだ六万七〇〇〇人が避難生活をおくる大惨事(二三日午後四時時点)に襲われながらも、被災した人たちは「みんなのため」という思いで心を一つにし、困難を切りひらいていこうとしている。それと対比して、安倍政府の被災地への態度は冷淡きわまりないものである。激甚災害指定の遅れ、現地派遣閣僚の破廉恥な言動、誤った屋内避難指示など、安倍政府の地震対応は、被災地人民にまったく心をよせず、国家支援をできるだけせばめ、その一方で政治利用にはおおいに活用しようとする。一国の指導部として見すごせない姿勢をとっている。

現地無視し屋内避難を指示
 政府の地震対応をめぐってはいろいろな問題がうきぼりになっているが、その一つが首相・安倍晋三による屋内退避指示だ。
 一四日に最初の震度七の地震がおこった。翌一五日午前、安倍はすべての屋外避難者を当日中に屋内の避難所にいれるよう防災担当相・河野太郎に指示をだした。それをうけて、一五日に現地にはいった内閣府副相・松本文明(政府現地対策本部長)は、蒲島郁夫・県知事に「青空避難の状況をはやく解消しろ」とせまった。松本は知事から「避難所が足りなくてみなさんがあそこにでたわけではない。余震が怖くて部屋のなかにいられないからでたんだ。現場の気持ちがわかっていない」と猛反発を食らった。
 それにたいしても松本は「大臣命令だ!」と、安倍の意向をふりかざして知事に青空避難の解消をせまった。一六日には安倍の現地視察が予定されていた。安倍は、屋外で毛布に身をくるむ被災者の姿を自分の目にいれたくなかったのだろう。
 地震が発生すれば、耐震が不十分な建物からは屋外に避難するのが常識である。余震で倒壊する可能性があるからだ。ところが安倍は真反対の屋内避難を指示し、NHKは一五日のニュースで「首相 屋外の避難者を今日中に屋内へと指示」と報道した。それを見て屋内にもどった被災者も多い。
 今回の場合には一四日夜の地震でガタがきていた家屋が一六日未明の地震でとどめを刺されたと話をする被災者が多い。一六日の地震の方が犠牲者が多く、そのほとんどは建物崩壊による圧死だが、安倍の屋内避難指示が犠牲者をふやさなかったとはいえない。

10日以上のばした激甚指定
 激甚災害指定についても安倍政府は、閣議決定を地震から一〇日以上たった二五日までひきのばした。
 地震直後の一五日、蒲島知事は電話会談で安倍にたいして、広範囲の被害がでているので早期の激甚災害指定をもとめた。ところが安倍は連休明けまでだめだと拒否した。その後も、各方面から激甚災害指定をもとめる声があがったが、安倍はしぶりつづけ、けっきょく閣議決定したのは二五日で、地震発生から二週間近くもたっていた。
 激震災害指定は、深刻な自然災害がおこったさいに政府がおこなうもので、指定されると自治体による復旧事業への国の補助率が通常の七~八割程度から八~九割程度までひきあげられる。
 蒲島知事は全県への指定をもとめたが、安倍政府は指定するにしても益城町や熊本市など一部地域に限定しようとした。そのために事態がおさまるまでとして、連休後まで時間稼ぎをはかろうとしたのだ。ところが今度の地震はいつ収束するかわからない前例のない地震となった。そのため政府は仕方なく連休前に指定せざるをえなくなった。復旧に使う国家資金をできるだけへらしたいというのが本音だろう。
 一三年七月二八日に、山口県と島根県で豪雨災害がおこった。死者・行方不明者四人、家屋全半壊一一五棟にのぼる大きな災害だった。
 このとき安倍政府は四日後の八月一日には激甚災害指定をおこなった。そのさい官房長官・菅義偉は「激甚災害の指定には時間がかかっていたが、できるだけ速やかに地元の要望に応えるようにと指示した」と迅速化のために指定の手続きをかえることを明言した。被害額が確定していない段階でも速やかに激甚災害に指定できるよう運用改善を指示した。
 ところが今回安倍は「事務的な数字をつみあげていかないと法律的にできない」「(激甚災害指定が)今日、明日、明後日ということになったとしても災害支援にはなんのかかわりもない」(一八日国会答弁)とまったく反対のことをいって、指定を遅らせている。
 この違いはいうまでもなく、山口県が安倍の選挙地盤だということにある。自分の票になる被災者には関心があっても、票にならない被災者には関心がなく、それよりもつかう税金をどれだけへらすかの方が大きな問題なのである。

地震規模小さく見せる 消費税引上げの為に必要
 安倍が官邸でたちあげたのは「非常」災害対策本部であって、「緊急」災害対策本部ではなかった。前者は「非常災害が発生した場合」に設置され閣僚が本部長をつとめるが、後者は「いちじるしく異常かつ激甚な非常災害が発生した場合」に閣議決定で設置され、首相が本部長をつとめるより格上のものだ。東日本大震災の場合には地震発生から三〇分後には緊急災害対策本部が設置されている。
 今回の地震は熊本から大分にかけて震度七が二回、震度一以上は八六〇回をこえる前例のない大地震だ。一六日未明の地震はマグニチュード七・三にのぼり、阪神大震災級の規模である。被災家屋や避難者など被害の実際をふくめ中部九州大震災と命名してもいいほどの大災害である。ところが気象庁は熊本地震と命名したままだ。政府も、テレビや新聞も「熊本地震」といいつづけている。被災したある婦人は「安倍首相は、死亡者の数で考えているのかと思いたくなる」といっている。
 安倍は一八日の国会審議で「リーマン(・ショック)級あるいは大震災級の事態にならないかぎり、消費税は予定どおりひきあげていく」とのべ、今回の地震が大震災ではないと言明した。菅も「大震災級という状況ではない」とのべた。
 地震の規模を小さく見せたいのは、激甚災害指定を渋るのと同様、国家資金をできるだけ使いたくないためである。
 安倍は一八日には衆院TPP特別委員会を開催し、地震対策よりTPP審議を優先した。その委員長である西川公也は一五日の夜、国会近くのホテルで政治資金パーティーをひらいている。
 また安倍は一六日に現地視察する予定だったが、一六日未明に大地震がおこったのにふるえあがったか、二三日まで被災地にちかよろうともしなかった。これにたいしても被災した男性は「首相からは直接、がんばってくださいといってほしかった。高みの見物ではなく、自分があずかっている国民のためにという気持ちをもってほしかった」という批判の声をあげている。同日、現地入りするはずだった国交相の石井啓一も視察をとりやめた。
 ところがさきの山口・島根豪雨災害のさいには、安倍はまだ一部で避難勧告がでていた八月四日に現地視察し、「激甚災害指定に向けた作業を加速化させるよう関係閣僚に指示した」といっているのである。
 また安倍は一七日午前、記者団にたいして「店頭にきょう中に七〇万食をとどける」と見得を切った。その一方で、熊本県がおこなった三八万食を送ってほしいとの要請は後回しにした。安倍は「きちんと買いにいける状況をつくりたい」と説明したが、現金をもたずに避難した人たちは眼中にない。被災者への無償の食料提供より、有償の食料配送によるコンビニの利益確保の方を優先したのである。
 政府はスーパーやコンビニに食品を配送することを優先指示したが、現金や車などがなく買いにいけない被災者も多い。きょう食べる食料にもことかく被災者が多くいる一方で、イオンモール熊本のように売れ残りの弁当を大量に廃棄するところもでている。
 安倍個人の冷淡さもめだつ。一四日午後九時二六分の地震発生直後、午後一一時半すぎに安倍はツイッターで「福島の炎天下で五㌔をこえる重い防護服は欠かせなかった」など地震とは無関係のとぼけた自慢話をつぶやいた。

更迭された現地対策本部長
 被災地への政府の冷淡さを体現したのが、政府現地対策本部長として現地に派遣された内閣副相の松本文明だった。松本は犯罪的な「青空避難の解消」を県知事にせまっただけではない。
 一六日の地震後、松本はテレビ電話で防災相の河野に「食べるものがない。これではたたかえない。近くの先生(国会議員)に差し入れをお願いしてほしい」と差し入れをねだった。熊本県関係の四議員の事務所からおにぎりが届けられたが、それにたいしても「こんな食事じゃ戦(いくさ)はできない」と不満たらたらだったという。しかも被災地にくるときに「酒と缶コーヒーは買った」と酒をもちこんだこともみとめた。おにぎり一つで空腹をしのいでいる被災者にはまったく心が動かず、「おれの飯」がいちばんの心配事のような人間が、政府の対策本部長なのである。
 松本はまた、被災自治体の職員にたいして「物資は十分もってきている。被災者に行き届かないのはあんたらの責任だ。政府に文句はいうな」と怒鳴りつけた。行方不明者の生存率が極端にさがる「七二時間」がせまるなかで、「みなさん、自衛隊の人がきましたよ」と現場で必死になって救援活動をしている人たちの手をとめさせ、自衛隊を拍手で迎えさせたりもした。
 被災自治体のなかからは「復旧に集中したいのに、迷惑な荷物を政府からおしつけられた」という批判の声が高まり、政府は五日で松本を更迭せざるをえなくなった。松本は、右派の創生「日本」に所属する。

輸送にオスプレイ使う 佐賀配備の為に災害利用
 安倍政府は被災地にたいして徹底的に冷淡な一方、その政治利用にはずいぶん熱心である。
 一八日には米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが熊本県内で救援物資を輸送した。米軍は安倍政府の要請だといっている。自衛隊は積載量が多く輸送能力の高いCH―47Jという大型ヘリをもっているが、それを使わずにわざわざオスプレイの飛行を演出した。オスプレイは離発着するのに広い場所が必要で空中でホバリングして物資をワイヤーでおろすような芸当はできない。もともと戦地投入用の軍用機であり、災害救援など想定した作りにはなってない。あきらかに隣県の佐賀空港へのオスプレイ配備をすすめるための演出だ。
 また官房長官・菅は一五日夜、憲法改定の一つの柱である「緊急事態条項(非常時に首相権限を強化できるというもの)」の必要性を強調した。どさくさまぎれに憲法改悪に言及したのである。
 東日本大震災の被災地自治体首長は、政府の災害対応について憲法改定が必要かという問いにたいして、一様に「必要ない」といっている。菅原茂・気仙沼市長は「緊急事態条項があれば、人の命が救えたのか。災害対策基本法のなかにある災害緊急事態条項で十分だ」としている。戸羽太・陸前高田市長も「震災時は、国に権力を集中してもなんにもならない」とのべている。災害時には現地に精通している地元組織が救援・復旧の主力となるのがもっとも合理的であって、現地事情を知らない政府に権限をあつめてもかえって妨害になるだけなのを、五年前の大震災の経験からよく知っているためである。
 二三日に安倍が現地視察にいったさいも、まず訪れたのは自衛隊の拠点や警察、消防の指揮本部だった。そのあと災害対策本部などにいき、南阿蘇村の被災者を訪れたのは最後だった。まず被災者を慰問しないのは、歴代首相ではじめてである。
 さらに政府は、九州電力川内原発の停止も拒否している。今回、地震をひきおこしている布田川断層帯や日奈久断層帯の延長線上には川内原発の近くを走る活断層もある。地震が他の断層帯にも影響するのが今回の地震の特徴であり、川内原発近くで大地震が起こる可能性は否定できない。今回の地震の揺れは一五八〇ガルにのぼった。川内原発は六二〇ガルの揺れに対応できる設計というが、今回のような大地震がおこればとてもたえられない。福島第一原発事故の二の舞いとなる危険性もある。ところが一八日、原子力規制委員会は川内原発を現状では停止させない方針をきめたのである。
 経験したことのない大災害のなか、熊本や大分の人たちは、支援者の手も借りながら、協力しあって避難生活をおくり、地震が一日もはやくおさまることを願いながら、後片付けや修復作業など復旧にむけ奮斗している。そこでは「みんなのため」というきもちが大いに発揮されている。
 それと対照的に、国民を代表すべき政府は、安倍を筆頭にすべて「自分のため」であり、困った人たちを見捨て、税金の支出をけちり、改憲、戦争訓練など政治利用ばかりに熱心である。こうした連中が国家の運営をつかさどることは、被災地のみならず全国の不幸であることを、今回の地震はしめしている。