『人民の星』 
  6088号3面 2016年5月4日
沖縄原爆展成功させる会が定例会
八重山の反響に確信

 沖縄原爆展を成功させる会(比嘉幸子代表)は四月三〇日、浦添市内で定例会をひらき、被爆者、戦争体験者、退職教師、労働者、婦人らが参加した。会では、第二回八重山「原爆と戦争展」の報告をはじめ、安倍政府の暴走にたいする県民の怒りやそれを打破する運動方向について、今年六月に開催する第一〇回「那覇原爆と戦争展」、第一六回「沖縄市原爆と戦争展」の開催にむけての抱負などがだされ、昨年以上に県民のなかで「原爆と戦争展」運動を展開することを確認した。

戦争阻むため意義は大きい
 はじめに、さる四月二二日から三日間八重山平和祈念館でひらかれた第二回八重山「原爆と戦争展」の参加者の声や反響がくわしく報告された。スタッフから、二回目となる「原爆と戦争展」は地域で反響を呼び、約一八〇人の市民らが参加し、名蔵中学校から生徒一二人と教師らが参観におとずれたことや「戦争マラリア遺族会」の方方、尖閣列島戦時遭難事件の生存者・遺族ら戦争体験者や市民が多数参観に訪れたと報告された。
 また、南西諸島への自衛隊の部隊配備が計画強行されるなか、与那国島への配備強行についで、石垣島や宮古島でも配備強行が策動されるなか、石垣島でも予定地の自治会が反対決議をあげるなど反対運動が高まっており、地元の人人のなかでは「三度、殺すのか。戦争で米軍基地に土地を奪われて(沖縄本島の)玉城村からマラリアのある於茂登に(一九五〇年代に)開拓民として移住してきた。また、戦争のために土地を奪うのか。ミサイルのあるところにミサイルが飛んでくる」という声にあるように、ジャングルを切り開いてサトウキビやパインの一大産地の農地にかえ生活をたててきたのを根底から破壊しようとする安倍政府へのはげしい怒りが渦巻いていることが報告された。
 参加者からも「戦争体験者の体験を若者に伝えるなら反対運動も強固になる。“原爆と戦争展”の役割はますます大きい」との意見があった。

広島や長崎と一つながりだ
 多良間村で戦争を体験した婦人は「多良間島は明和の大津波での生存者の二人がその後の島の発展のもとだ。わたしは盲目の母と二人でグラマンの機銃掃射のなかをいきのびた。昨年、沖縄市で“原爆と戦争展”を見て、その体験が目の前によみがえってきた。戦争をおこさせないためにこの運動に参加した。きょうも認知症の集まりをことわって参加した」とはなした。
 サイパンでの戦争体験者は「サイパンでは日本軍は最後の一兵卒までたたかうと息まき、多くの住民や軍人が犠牲になった。南洋諸島のポナペでは軍の司令官が反撃しなかったので、ほとんどの人が生きのこった。“原爆と戦争展”をひろげていく意義は大きい」とはなした。また、「この運動は小さいが、どんどん大きくなると思う。広島、長崎、沖縄、サイパンとそれぞれ違いもあるが一つながりのものだ」とはなした。

小さな会を大きな会にする
 「戦前も、南西諸島は、防人として重視された地域だ。安倍内閣はウソつきで、地震列島のうえにある原発を止めないのは狂気の沙汰だ。それをゆるすわけにはいかない。小さな会を大きな会にしていこう」と語りあわれた。
 事務局から、昨年は、五〇〇人以上の人人からかつてないカンパが寄せられたことも報告された。