『人民の星』 
  6127号1面 2016年9月21日
激動発展する情勢に応えて
人民に奉仕する党の再建を 
第四回党大会後の歴史的総括に立って
日本共産党(左派)全国活動者会議の決議

三、対米従属への怒り根底にした人民世論の転換
 第二次世界大戦において天皇をはじめ政治家、官僚、司法機関、財界、大新聞、御用学者など、国民を戦争に駆り立てて言いしれぬ犠牲を押しつけ、アメリカに降伏した日本の支配階級は、戦後はまるで平和主義者であったかのような顔をした。そして民族的な利益のすべてを売り飛ばしてアメリカの対日支配に奉仕するしもべとなった。戦後の日本社会はブルジョアジーとプロレタリアートの矛盾のほか、アメリカ帝国主義と日本民族の矛盾が基本矛盾となり、日本社会を発展させる主要矛盾は米日反動派と人民とのあいだの矛盾となった。
 アメリカがベトナム戦争で敗北したのち、八〇年代から新自由主義を具体化する中で、レーガンに対応した中曽根政府、ブッシュに対応した九〇年代の小泉政府、そして現在のオバマに対応した安倍政府と、日本における構造改革を強行した。日本人民に貧困と抑圧を強いて、アメリカと大企業への富の集中をすすめた。それは人人が戦後のケインズ主義的で改良主義的な常識にとらわれている隙間に人人を欺いて推進したものであった。ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)の方式による構造改革であった。安倍はウソを塗りたくってアベノミクスを推進したが、この欺瞞は現在音を立てて崩壊している。
 小泉の構造改革は国民には隠しながらアメリカが出してきた「年次改革要望書」をそのまま忠実に実行したものであった。これはアメリカの一州の扱いであり民族主権の完全な放棄である。いまはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)について、国内では内容を隠し、また「抵抗する」などと欺きながら各国のあいだでは先頭に立って旗振りをし、アメリカ独占体の機嫌を取っている。貿易黒字ではいったドルはアメリカ国債の購入に回し、それは返ってくるめどのない紙切れになろうとしている。また金融緩和をしてアメリカのヘッジファンドなどに資金を流すなど、日本の富の大部分をアメリカに差し出している。日本の株価も、年金資金を投入して官製相場で支えているが、外資が日本の株の三分の一を所有して株価操作をし、暴利をむさぼるカモになっている。
 安倍政府はアメリカと財界の後ろ楯で再登板し売国と戦争の道を突き進んでいる。「アベノミクス」と称し、TPP、法人税引き下げのための消費税率引き上げ、原発の再稼働などを強行し、世界で一番の企業天国をつくるなどといって、労働者、人民の残酷な搾取をやり、日本経済の破局的な危機を引きよせている。そして尖閣、歴史認識問題で中国や朝鮮民主主義人民共和国を挑発し、アジアで孤立しながら「積極的平和主義」などといって集団的自衛権の容認、国防軍化、国家秘密法、そして憲法を改定するといっている。それはアメリカの国益のための戦争で日本の若者が死んでこいという政治である。そして日本を核戦争の盾にして再び原水爆戦争の火の海に投げ込もうという度外れた売国路線である。
 安倍政府の戦時国家づくりはアメリカの戦争の肩代わりと独占資本の海外権益を守るためのものである。自衛隊を米軍の傭兵にする策動は、日米ガイドラインなどをつうじて装備面からも共同訓練の面からも早くからすすめられ、安保法制化で合法性を持たせた。米軍が日本を守るためにいるというのはまったくの欺瞞であり、戦後一貫して日本はアメリカの盾であり、米軍を守るために日本があるという関係である。そして対中国、朝鮮民主主義人民共和国だけではなく中東など地球の裏側まで自衛隊派遣の対象としている。アメリカの権益を守るためにもともと親日的な中東にも軍事力を派遣しようとしている。まさにアメリカの尻馬に乗って国内は弾圧、対外的には侵略戦争に乗り出して国際的な孤立の道をすすんでいる。
 安倍政府の戦争政治は、市場原理・構造改革すなわち新自由主義に照応したものである。構造改革の中心は労働規制の緩和である。大企業とりわけ株主が儲かる源泉は労働者の搾取以外になく、労働者を貧困化させる以外にない。今や労働者の四割は非正規雇用である。ほとんどが手取り一三万円前後で子どもをまともに育てることができない。労働者そのものの再生産ができず働き手がいなくなる。そういう社会が成り立たないのは当然である。大手企業でも技術の継承ができない。三菱重工が客船の建造ができない。またシャープや東芝など、技術面でも新興国に負け経営が行き詰まって台湾企業に身売りをしたり、大銀行も地方銀行も合併を繰り返している。この延長線上に日本資本主義の未来がないことはあきらかであり、この先労働者の怒りが大爆発するのは必至である。
 規制改革は医療、教育、社会福祉などを営利の具にする流れを強めてきた。「患者のために」「子どもたちの未来のため、日本社会の発展のために」とか、「老人、弱者の安心のために」などクソ食らえで「金の切れ目が縁の切れ目」の社会にしている。こうして貧困化が進む中で犯罪が悪質化している。なかでも警察官や公務員の窃盗や強姦など、社会的な使命感の投げ捨てが拡大し、人人の不安をあおっている。
 昨年安保法制に反対する大きなたたかいになったが、沖縄のたたかい、原発再稼働に反対するたたかい、TPPに反対するたたかいなどが連動して人民斗争は高揚期を迎えている。日本人民の世論は歴史的な大転換をしている。これは対米従属の構造改革への怒りを根底にしている。

四、党の第四回大会と党内外の反修斗争
 四回大会は、豊北斗争、上関斗争、菊谷斗争などを総括し、党内で一期の骨格が崩壊していること、つまり修正主義が発生していることを明らかにした。そして傲慢な支配階級の思想とたたかって人民に奉仕する思想に徹し、大衆路線の道を進むことを決定した。
 党は米ソ二極構造崩壊にさいして、これは社会主義陣営の崩壊だが、同時に帝国主義の腐朽と衰退のあらわれだと評価した。米ソ二極構造の崩壊はマルクス主義と修正主義の斗争を激化させた。党内でも死活をかけた斗争となり、党の純化を促した。二極構造の崩壊は、党内の修正主義潮流を左派党の解体、社民勢力との合流にはしらせ、革命派との激烈な斗争となった。修正主義勢力はさまざまな色合いをもってあらわれたが背後には階級敵の統一指令が動いていたことは明らかである。
 二極構造崩壊の中で、社民潮流、修正主義潮流など既存の政治勢力がなだれを打ってあからさまな敵陣営に投降した。もともとが社会主義国に投機し人民を欺く役割を持って養われてきた敵の社会的支柱であり共犯者の潮流である。社会党は自民党に抱き込まれて村山内閣を発足させ、「安保」・自衛隊容認に走って解体した。
 他方で広範な大衆の中では「ソ連派」とか「中国派」などという偏見が消滅し、これまでの党派の枠を越え、日本社会の現実に立って何が真実か、何が社会的利益か、何が国益か、何が平和のためかなど、是々非々で判断し行動する様相が強まった。自民党の選挙をしてきた被爆者や戦争体験者がわれわれとともに行動していることが証明しており、まったく新しい様相を作っている。欺瞞的な共犯者どもが醜態をさらしていることは、悲しむべきことではなく、広範な労働者、人民がわれわれとともに行動する条件が大きくなっていることに確信を持たなければならない。
 ロシア革命もメンシェビキや第二インター、エス・エルなどとの激しいたたかいをつうじてボルシェビキが生産点を基礎にして広範な労働者、人民の支持を得、勝利をきりひらいた。明治維新も功山寺決起は数十人であったが、農民、商人などの支持を得て多数派になり維新革命勝利の流れを作った。中国革命も都市部での敗北から逃れた延安で整風をやり、雑多な修正主義、日和見主義を一掃して人民に奉仕する思想で大衆路線の道を行くことを鮮明にし、その後一気に全中国の解放にみちびいた。

現代修正主義に根をもつ外国権威主義
 四回大会は、七〇年代後半から党の骨格崩壊があらわれたと指摘している。つまり中国の変質が大きな契機となっている。なぜ外国社会主義が変質したなら日本における革命精神が風化するのか。それは外国社会主義の権威を振りかざして革命を願望する国際権威主義、また外国社会主義に投機して派をなして生活するという潮流である。それは戦後に共通する現代修正主義の影響である。それは日本革命をやる主人公は日本人民であり人民に奉仕する思想を貫くという不動の確信がもともと希薄であるか無かったからである。ロシア革命の時は一国も社会主義国はなかった。この分岐が反修斗争の上で決定的に重要である。
 この潮流の根は浅くはない。それを一掃するには、第二次大戦に突入する中でソ連共産党中枢で発生した現代修正主義の影響を断ち切らなければならない。その方向は中国革命を勝利させた路線であり、その徹底的に人民に奉仕する思想路線を日本に具体化した一九五〇年八・六斗争路線であり、長周新聞創刊路線、まさに左派党の結党路線、福田路線である。
 党は八〇年代初め、国際共産主義運動の歴史的検討を行った。それは福田議長の指導で行われたもので、現代修正主義の根源が第二次世界大戦に突入する時期にソ連指導部中枢に民族主義が支配的となって発生したものであることを明らかにした。
 ソ連の指導中枢にあらわれた民族主義、現代修正主義は、全世界人民の解放のために社会主義国は反帝斗争の砦となるというプロレタリア国際主義の立場を否定し、「世界プロレタリアートの祖国ソ連を守るために全世界は奉仕せよ」という本末転倒した民族主義に転落した。そして日独伊帝国主義をファシズム勢力としたが米英仏帝国主義を平和で民主主義勢力と見なした。そしてコミンテルンを解散し、アメリカ共産党なども解散して革命を放棄し、アメリカ帝国主義の戦争に協力した。
 世界の人民大衆を解放するという立場を放棄し、自国つまり自分たちを守るという偏狭な立場を優先するとともに、米英仏という帝国主義を友と見なす階級観点の放棄は戦後世界中に深刻な影響を与えた。このもとで、宮本集団のように「自主独立」をとなえるなど、自分ら小集団の自己主張をとなえて国際主義を否定し大衆の意見を代表するのでない潮流が常識のようにはびこった。マルクス主義は頭から作り出されたものではなく、目の前で展開されている階級斗争の一般的な表現であると共産党宣言はいっている。また、大衆の中に流れる発展的な世論をとらえて、それを代表しその先頭に立って敵を暴露し大衆を激励するのか、どこかで仕入れた自分の知識を主張して大衆を見下すのかは、考え方から活動方法まで全く異なる。党の路線は頭からできたのではなく大衆の実践を集中してつくられたものである。四回大会の議長結語は、言葉そのものは口で言うのは簡単だが、ほとんどが実行はしていない。それをわかったつもりで気づかないのもほとんどである。それは戦後の現代修正主義と分岐するきわめて深遠な内容がある。それは経験主義、教条主義の主観主義、観念論であるか、弁証法的唯物論か
の分かれ道である。左派党の骨格を取り戻すことは戦後の現代修正主義を清算することであり、マルクスとレーニンに立ち戻ることである。
 現代修正主義は大衆不在の小集団・個人主義とともに、長期的で広い歴史的社会的な視点を否定した目前の利害第一で、経済主義、改良主義が特徴である。レーニンは「なにをなすべきか」という著作で、組合主義が日和見主義、修正主義の出発点であり、全面的な政治暴露を強調している。

豊北、上関斗争めぐる路線問題の中心点
 左派党内の修正主義潮流は革命派に執拗な攻撃をかけてきた。豊北斗争は漁村婦人を主力としたもので、大衆が主人公の新しい革命的な質の斗争の突破口となったたたかいであった。
 党内の修正主義潮流はこの質を、改良主義などと見なしたり、組織ができなかった自然成長の斗争などといって全く理解できず常に対立するか立ち遅れた。
 上関斗争は組織部隊と中央機関紙部隊が、長周部隊を排除し、電産などの社民勢力と結託し、また町内の反対の顔をした推進派と結びついて取り組んだ。そして島民に推進派とレッテルを貼って非人道的な人身攻撃をあおるなどして町民の深刻な分裂をつくり、たちまち敗北の局面に追い込んだ。二年後に長周部隊が乗り込み豊北斗争とは全く路線が異なっていることを明確にし、反対派、推進派を問わず全町民の中に入って世論調査をやり「漁業中心の発展」の方向を提起して局面を打開した。
 上関斗争はその後も、県と自治労などの社民勢力や修正主義勢力にかつがれた反対派リーダーなどの妨害が続いた。しかし九八年には無投票の町議選を仕組むに及び、長周は反対派リーダーの正体を正面から暴露した。それは上関に限らず全戦線、全国で社民勢力、修正主義勢力、新左翼勢力などと一線を画し、独自の路線で大衆と結びついて進む道をゆくことの宣言であった。
 この立場は広島、長崎でも同じで、既存の政治勢力に一切の幻想を持たずに直接広範な市民の中に入ってアメリカの犯罪を正面から暴露し圧倒的な支持を得てきた経験でも共通している。この方向に人民解放の勝利の展望があるのは明らかである。

小集団、自己主張か大衆の実際から出発するか
 党内の反修斗争は四回大会で激化したが、修正主義の攻撃はその後も執拗にあらわれた。それは議長攻撃・長周攻撃として鋭くあらわれた。長周部隊では九二年には中央の修正主義が乗りこんで、「党は高い」として長周路線の清算を進めたが粉砕された。しかし安部の人脈主義退治がおもとなり、路線の回復にはすすまなかった。そして、教育、地区、婦人などの組織に介入し、また政治課題は社民との合流の方向をすすめた。また九四年には「組織攪乱事件」がひきおこされたがこの真相は不明のままである。九五年の沖縄斗争では村山政府と人脈を持つ社民の回し者が主導して大田追随に導いた。九六年末には沖縄斗争をめぐる混乱に乗じて中央部の修正主義潮流が長周内部に手下をつくり「長周は不要」などと解体論を主張した。九七年には上関斗争の膠着状態を突破するマリンピア・信漁連問題の取り組みを妨害したが、それは社民による長周乗っ取り策動であった。九八年祝島のイカサマ反対派リーダーを全面暴露し、長周部隊内部では裏切り勢力を一掃した。そしたら中央部が一六中総をやってあからさまな議長解任要求と長周
を分派とする攻撃を加えた。長周部隊ではこれらの攻撃を野田論文を発表するなどして撃退し、二〇〇〇年代の安定的な発展を切り開いた。
 修正主義潮流はまた、はぐるま座を拠点にしてブッコスなどを呼び全党の影響をつなぎとめようとしていた。かれらの国際化は中央部の修正主義勢力の国際共産主義運動遊びと連動したものであった。修正主義潮流は「国際主義」が合い言葉となっていたが、大衆の中に足場がなく空中を飛び回る蚊やハエのような代物で、まったく中身のないものであった。プロレタリア国際主義は各国の大衆のなかに足場を置いて人民の敵とたたかうこと、共通の敵とたたかうそのたたかいが各国人民の団結をつよめるものである。
 はぐるま座の当時の責任者たちは東京進出を願望し、ブルジョア劇団をめざしていた。劇団内では残酷な搾取被搾取、支配被支配の階級支配を作り、左派党を排除して社民勢力に依拠しようとしていた。しかしその実態は二〇年以上新作は作れず、経営は破綻状況にあった。そのなかで巨額な銀行借金をして無謀な会館建設を強行し劇団を金融資本に売り飛ばした。
 修正主義潮流の手口の特徴は、「党は高い」と称して大衆の実際は無視し、大衆組織の路線を清算するものであった。そして「集団主義と組織性」などといって指導部の現実無視の観念的な方針に下部組織が言うことを聞かないと分派のレッテルを貼って攻撃した。民主主義的中央集権制は、指導部が何事かを決めたら終わりではない。それは担当部署や大衆組織が、再度大衆の中に入り、そこから集中して政策化し大衆の行動にする。そういう下部の創造的な活動と結びつかなければ、指導部は認識・政策を発展させることができないという関係である。
 この「党は高い」という潮流は社会的現実に関心も足もない空疎な観念派であり、四畳半にこもった小組織の小集団主義である。小集団の側からしかものが見えないし、社会の側から大衆の側から物事が見えない。大衆を代表した主張ではなく小集団の自己主張という特徴を持っている。現代修正主義の民族主義はブルジョア個人主義を基本とした小集団の自己主張となってあらわれる。この「党は高い」主義者は、すこしも党が高いとは見なしてはおらず、自分が高いと見なしている。党は階級の党ではなく、自分たちの党と見なしているのである。
 小集団がよいという主義は、大衆の支持は不要というものであり、絶対に大衆の支持を得ることはできない。大衆の中に入りその要求は何かをつかんで、大衆が歓迎する働きかけをしなければ支持されるわけがない。
 社会主義が空想から科学になったのは、社会主義を実現する担い手である労働者階級を見いだしたからだとされている。抽象的ではなく目の前にいる労働者階級と人民が革命の主人公であり、しかも時代を動かしている中心にいる。それが見えるようになれば展望は大いに開けることになる。そうであれば大衆の中から大衆の中への活動を思想の基本に据えなければならず、活動方法の大原則としなければならないのである。この場合、第一は戦略観点に立つことつまり各階級の発展方向について確固とした認識に立つこと、第二は大衆の実際から出発すること、これを統一することである。

「自由、民主、人権」の個人主義、被害者意識との斗争
 戦後の左翼勢力、平和勢力といわれる中ではまた、アメリカのブルジョア民主主義、ブルジョア個人主義を進歩と見なす傾向が濃厚に流れてきた。つまり階級的な平和の敵をあいまいにした絶対平和主義、「平和と民主主義」路線が濃厚に支配してきた。それが天安門事件など社会主義転覆の策動に批判力をなくし、新自由主義改革への抵抗力を無くさせてきた。それはまた戦争体験者を戦争協力者・加害者として平和戦線から排除してきたが、実は自分たちが排除されてきた。そして戦争遺族などは自民党側に追いやった。教育の個性重視、興味と関心の路線は、新自由主義教育の具体化であるが、それは「自由、民主、人権」で残酷な人殺しを生産している。
 このブルジョア民主主義、ブルジョア個人主義こそ戦後型の軍国主義イデオロギーの柱である。「昔天皇、今アメリカ」であり、「自由と民主のため」といって史上最も残虐な人殺し兵をつくってきたのがアメリカである。アメリカのいう「独裁反対・民主化運動支持」とは反米政権を転覆する凶暴なファシズム運動を意味している。教育改革・教師の指導性を破壊するために「いじめ」や「体罰」たたきをやる。行革をやる場合、メディアが大衆世論を動員して、老人など犠牲をおう人人を痛めつけて実行するという経験はいやなほど経験している。それはCIAの手口である。
 アメリカの「自由、民主、人権」というのは一%の富裕層が暴利をむさぼる自由であり、国家を私物化する自由、社会を食い物にする自由である。
 他方では九九%の人民に対しては専制的な独裁支配である。アメリカのいう「自由貿易」や「自由競争」はイカサマであり、アメリカの国内法に外国の主権を従わせ、海外への国家暴力をともなうダブルスタンダードである。
 ブルジョア民主主義擁護で、目前の個人および小集団の経済的利益を求める組合主義、経済主義、改良主義は、突き詰めれば他人の犠牲によって利益を得るという排外主義、戦争協力者に転化する。いわゆる既存の組合主義勢力、左翼勢力のなかで「自由、民主、人権」の強固な擁護者が多いことに留意しなければならない。
 またそれは、被害者主義と結びついている。人民の被害について「その原因は何か」「政府と財界だ」と解釈して満足し終わりとなる。だから仕方が無いとあきらめるのでなく、その現状とどうたたかうか、どう解決するかの立場が重要なのだ。
 教育や文化芸術などはとくに、どう目の前の子どもたちを育てるか、どう大衆の深部に流れる人民的民族的な世論を発揚するかがないと未来へ向けた展望は描けない。そういう被害者意識を一掃し、建設者の側に立たなければならない。
 この立場と思想を転換すれば見える世界は全く変わったものとなり、広範な大衆の真の要求、広大な支持基盤が見えてくる関係となっている。

五、マルクス・レーニン主義復権の歴史的情勢が到来
 わが党はこのような情勢の発展、人民大衆の要望の中で、真のマルクス・レーニン主義党として人民大衆の要請に応える役割はきわめて大きい。新自由主義ともっとも対抗軸にあるのは労働者階級である。いかに金融資本、大企業が権勢をふるおうとも、その力の源泉は労働者である。社会の未来への展望は空想的な願望の中ではなく現実の労働者の中にある。労働者は人人の役に立つものを集団の協業労働で生産しており、営利目的で行動する資本とは全く異なっている。そして工場労働を通じて社会性、組織性、忍耐性などを身につけた先進的階級である。労働者階級が現実に時代の中心に立ってこの時代を推進していることが見えなければならない。
 労働者のなかで、経済斗争が広範な労働者の斗争参加を促す上で重要である。同時に目前の利益だけに視野をとどめるのではなく、「戦争反対を中心課題とする全人民共通の利益をどう守るのか、この日本社会をどうするのか」という政治斗争の意識、統一戦線の意識を発揚しなければならない。日本社会における未来を代表する先進階級であり、革命の主力軍という歴史的使命、最大の政治的力量を持つ労働者階級としての存在を自覚する労働運動を組織することが重大な課題である。
 そのような労働運動が農民との階級的な政治同盟と各階級、各階層が結びついた統一戦線を形成しなければならない。
 大銀行を没収して国有化せよとか、東電にしろJR、トヨタにしろ、その生産手段を没収して全人民的な国家所有に移行させよというのもいまや不思議とは見なされない。
 そして農林水産業などは集団所有にする。こうして計画経済に移行させ資本主義の無政府生産を克服して生産力を解放する。この過程は労働の解放である。失業をなくし、労働時間を短縮し、労働者の政治活動、社会活動、文化活動への参加を強め、搾取も貧困もない自由な社会をつくることができる。
 ロシア革命から曲折をへて一〇〇年が経過する。とりわけ現代修正主義の襲撃は人民解放事業に大きな困難をもたらし、帝国主義の延命をたすけた。しかしいまや、資本主義の腐朽・衰退は著しいものとなり、また現代修正主義の権威は剥落した。そしてマルクス・レーニン主義とその党が復権する歴史的な情勢が到来している。左派党はまさにその任務を担っている。

国際主義を堅持し独立、民主、平和、繁栄の日本を
 独立、民主、平和、繁栄、民族文化の発展は日本人民の根本要求である、その中で全体を規定する最も重要な課題は独立の課題である。
 現在の矛盾の発展によって、人人は戦争で再び殺されるか、殺されないために命がけでたたかうかの選択を迫られていかざるをえない。対外的な戦争をやるには国内では強烈な弾圧だが、同時に人民の革命的な高揚は避けられない。暗闇が深ければ深いほど、夜明けは明るい。そのためには生産点、地域で労働者、人民を代表する組織を形成し、それを全県全国に結びつけることで実体としての力になる。それが人民を代表したプロレタリア民主主義にもとづく最も民主的な人民の国家機構となっていく。
 日本革命はプロレタリア世界革命の一環である。全世界のプロレタリアート、被抑圧民族の反米・反帝国主義の国際統一戦線の一環として勝利することができる。