『人民の星』
6140号3面 2016年11月5日
名古屋 斗って展望開こう
電通自殺問題で噴き出す怒り
昨年一二月に電通の新入社員高橋まつりさん(当時二四歳)が過労自殺したことは名古屋でも衝撃的な関心を呼んでいる。長時間労働とパワハラ的な人格否定はけっして他人事ではないからだ。悔しさをにじませ「なぜ会社をやめなかったのか」との声があいつぐが、殺されないために資本とたたかわなければ、との切迫した思いがこめられている。
私も激務とパワハラ受けた
システムエンジニアである三〇代の男性は「独り暮らしだとしたら、逃げ道がなかったのかもしれない。彼女の気持ちはわかる。わたしも数年、激務とパワハラをうけた」と、電通とおなじように労働現場は極限に近い矛盾とあつれきのなかにあることを指摘している。
長時間労働では電通に引けをとらないという三九歳の男性は「つかれて追いこまれて冷静な判断ができなくなったのか。会社をやめたら自分に傷がつくと思っているのか。会社をやめるのではなく、休むという選択肢もあったと思うのだが。自己責任でがんばらないといけない、と思っているとだめだ。電通の場合は長時間労働の上にパワハラ的な人格否定があったようだ。彼女は苦しさをツイッターで発信していたようだが、“部署をかわれば”とか“いまを乗り越えれば”とかであり、本人の深刻さは伝わっていない。働き方改革で残業時間の上限を罰則つきで規制せよ、とかいっているが、電通などはいくらでもすりぬけてきた」と語り、御用化した労働組合や資本の労働者支配そのものを問題にした。
いま派遣で販売の仕事をしている二三歳の男性は、以前、自動車のライン作業にたずさわってきた経験をだした。
「高卒で二〇万円ほどの給料で、ボーナスもあり、夏冬の休暇もあった。ラインでも順調に稼働していれば作業の見通しもたち、できたときには達成感もあった。しかし不良品がでて、ラインがとまり、作業のおわりが見えない残業がつづくと精神的な余裕がなくなり、ほんとうになにかにすがりつきたくなる。すきな趣味もたのしくなく、なにごともマイナス思考になる。電通の新入社員が自殺したが、まじめにはたらくことをはき違えてはいけないと思う。会社にとって都合のいいまじめか、会社を自分のアイデンティティと勘違いしたらだめだと思う。電通は広告でマスコミを牛耳ってきたのではないか」と営利目的の資本の側ではなく、働く者の立場にたつことを訴えている。
親世代からも息子や娘の境遇とかさねてくやしさがだされる。
斗って辞めることもできた
七〇代の自営業の婦人は「なぜその前に会社をやめなかったか」とわがことのように一気にはなしだした。
「エリートすぎたのか。視野がせまいのか。すこしでも周りの人とはなしていたら、“そんな会社など辞めたら”ということになっていたと思う。知りあいの子が職場でいじめにあい、ストレスでアトピー性皮膚炎になった。まわりの人に相談もしたと思うが、その子は医者にいって診断書をとり、会社側につきつけ謝罪させた。だまって引きさがらなかった。当然のことだ。いまはその会社はやめてべつのところではたらいている。
長時間労働やいじめはごく身近にある。そんな会社をやめることはたたかいだし、たたかわなければ身もまもれない。なぜ命とひきかえなければならないのか」
八〇代の婦人は「女性社員が精神的不安定となり、髪もボサボサで出勤したが、それにも文句をいわれた」と、社員を使い捨ての駒としか見ない電通をきびしく批判した。
つづけて「長男はマツダにつとめていたが、五〇歳になったときにやめて自分で事業をはじめた。次男の五〇歳の息子は営業の仕事で土、日も休みなしではたらきまわっている。体も心配だし、長男も途中でやめているし、やめたらどうか、はたらき口はいくらでもあるだろう、といっているが、つづけている。給料がよほどいいのか、と思うがそうでもない。孫の大学生は奨学金を借りているし、大学院の授業料をわたしらが面倒をみることになっている」とはなしていた。
安倍政府の戦争政治は市場原理・構造改革に照応したもので、構造改革の中心は労働規制の緩和である。派遣など非正規労働はひろがり、残業ゼロ法案もだされているが、大企業が儲ける源泉は労働者からの搾取以外になく、労働者を貧困化させる以外にない。
働き手を教育し、まともにそだてることもできず、使い捨てが横行し、労働者の再生産もできない社会がなりたたないのは当然である。資本の横暴をゆるさない労働者の怒りは確実に高まっている。