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No.018 血も涙もない

ダスキンやサニクリーンに代表される、玄関マットの会社は、2週間とか4週間に一回、契約してくれている店や会社を訪問して、マットやモップを新品に交換しては料金をもらうシステムになっている。

かつてA君もそういった会社に勤務していた時期があり、これはその時の体験談である。

とあるスナック。

当時A君の担当していた店で、とても金払いが悪い店があった。このスナックでは、マットを数枚と浄水器をとってもらっている。交換に行った日に料金を払ってくれたことは一度もない。二ヶ月くらい滞納したり、集金予定日から二週間とか一ヶ月遅れたり。こういう状態が二年くらい続いていた。

そのことは所長も本社も知っており、このスナックは、トップクラスの不良顧客となっていた。

だが、あんまり金払いが悪いと、会社側から解約にして、その店で使ってもらっていた物を全部持って帰ることがある。

ある日突然、本社の営業部長から通達が来てしまった。「○○市のスナック××。あそこの店は今後、一日でも集金を待ってくれと言ったら、その時点でその店に入っているうちの物、全部持って帰って解約にするように。」というものである。

A君も、「やっぱり・・いつか言われると思ってたよ。」とは思ったが、いきなりそこのママさんに「今日払ってもらえないなら、今から全部持って帰らせてもらいます。」と言うのも言いにくいので、一応、事前に店まで出向いてこのことをママさんに伝えた。

「一日でも支払いを待って。」といった時点で、マットも浄水器も持って帰らせてもらいますよ、と。


そして集金を約束した日が来た。前回の交換の時にこの日に払うと約束した日である。本社の方にも、今日売り上げを計上出来るか、解約にするか結論を出します、と報告してある。

夜になった。A君は伝票を持ってその店に訪問する。

「おはよーございます。」と挨拶をして中に入ると、「集金は来週にして。」といきなり言われた。この間、わざわざ伝えに来たことを何とも思ってない。A君も速攻で「ダメです。」と言い返した。


「先日もお伝えしたと思うのですが、今日払っていただけない場合は全部持って帰らせていただきます。」と言うと、

「そんなこと言ってもお金がないんだからしょーがないでしょ! それぐらい融通がきかんのかね、あんたの会社は! 一週間くらいいいでょ、 何年も付き合ってるのに! 」

「分かりました。じゃ、全部持って帰らせていただきます。」と言って、A君はまず、入り口のところに敷いてあるマットを二つにたたんだ。



「ちょっとちょっと、ホントに持って帰る気かね! 一週間待ってって言ってるでしょ! 」


「いやいや、だから今までさんざん待ってきたじゃないですかぁ。もう待てない状況になってしまったんですよ。」と言うと、ママさんが飲みに来ていた、なじみの客らしきオバさんに顔を向けて、「ねえねえ、この人に何か言ってやってよ! 」と、その客に話を振った。

今度はその客が口を挟(はさ)んでくる。

「さっきから見てたら、あんた自分がどれだけひどいことをしてるか分からんの! 一週間後には払うって言ってるでしょ! 」


「いやいや、ですから僕もこういうことはしたくはないんですが、なにぶんこれが仕事ですからねぇ・・仕方がないんですよ。」

自分とこの客を味方につけてきた。店とトラブるとだいたいこういう展開になる。
今度は蛇口についている浄水器をはずそうとして、カウンターの中に入ろうとしたら、その客が移動してきて入り口をとおせんぼしてしまった。

ここでママさんが遠くから口を挟んでくる。

「あんた、それでも人間かね! 人としての情けっちゅうものはないの!? この人でなしーっ!!」


間髪入れずに客が叫ぶ。

「あんたにゃあ、血も涙もないんかーっ!!」と。完全に二対一になってしまった。


何かこの場面はまるで・・あの時代劇でよく見かけるあの場面に似ている・・。

「借金が返せねえんだったら娘を代わりにもらっていくぜ、へっへっへ。」

「いやあぁぁ ! おとっつぁん ! おとっつぁん ! 」

「む、娘だけは・・! 娘だけはご勘弁をぉぉ・・! 」

「うるせえーっ ! 」ずぶしゅっ「はうあっ ! 」(おとっつあんが斬られる)

「いやあぁぁ ! おとっつぁん ! おとっつぁん ! 」

・・という場面の、あの悪人にA君はなったような気がした。


もっとも、この場合だったら「3500円が払えねえんだったら、マットと浄水器は持って帰らせてもらうぜ、へっへっへ。」というセリフになるが。


「今日払わなかったら持って帰れというのは所長の指示かね!」といきなりママさんが聞いてきた。

「いや、指示というのではなくて、会社の規定なんですよ。」

「それは所長の指示かって聞いてるでしょ! 」

「いやいや、そりゃ責任者ですから、全く口を出さないということはないですが・・誰が言ったかとか、そういう問題ではないんですよ。」

「所長が言ったんだね、よし、じゃあ、あんたの所長と直接交渉するから、ちょっとそこで待っとき! 」

と言って電話をかけ始めた。どうやら営業所に電話をするらしい。目の前で苦情の電話を掛けられることは珍しいことではない。

ただし、今日の場合は正義は完全にこっちにある。「おもしれー、なんなりと言ってもらおーじゃないの。ビビるこたぁねえぜ。」とA君はゆったりと構えた。


電話がつながった。所長が出たらしい。

「スナック××ですけどねー、今、お宅のAさんっていう人が、料金を払わないと全部持って帰ると言ってるんですが、どうなってるんですか。

今、Aさんから聞いたんですけど、これは全部、あんたの指示らしいねー。なんか所長の命令で仕方なくやってると言ってるんですよ。」

「あんた、イヤなことは全部、部下にさせて自分はイスでふんぞりかえってるだけらしいじゃないの。

こういう話なら責任者が直接出向いて来るのが筋ってもんでしょーが! だいたいあんた、サイテーの人間らしいねー!

Aさんが言ってましたよ! 影に隠れてこそこそ指示出して、自分だけはいつも「いい人」ぶってるってね! そんなことだから社員に嫌われるんよ! 全然人気のない所長らしいね、あんた!! 」

「私はAさんから聞いて全部知ってるのよ!」


ちょっと待て! ちょっと待て! いつ言った、そんなこと! こっちが言ってもいないことを、さも、言ったかのように、たたみかけるような口調で会社に電話している!!

とおせんぼしている酔っぱらいなんかにかまってる場合じゃない。目の前で展開されている、このウソ八百を阻止しなければ!

「ちょっとちょっと、ママさん! 」と言ってA君が慌てて近寄っていくと、その瞬間電話を切られた。

・・完全に報復された。解約になった腹いせに、A君がこの店で所長の悪口をさんざん言って帰ったかのような報告をされてしまった。なんという歪んだ高等テクニック。後で思いっきり言い訳するしかない。


そういう訳でやっとこの店も解約になり、A君の負担も減った。かなり後味悪かったが。 

店を出たA君はふと思った。

「あの時、頭をよぎった時代劇の悪人たち。子供心にスゲー悪いヤツだと思って見ていたが、今思えば彼らも本社の指示・・じゃなくて親分の命令で仕方なくやってたんだろうなぁ。

それでもって、さらってくるのはこの娘じゃなくて妹の方だったとか、おとっつあんは殺すべきじゃなかったとか、若頭と組長の指示が違うとか、多分江戸時代でも現場の人間は、今と同じように色々とストレスがあったに違いない。」と。