米を盗みに入ったが

昭和62年、横浜市内のある農家で、その家の人が作業から帰って来ると、見知らぬ男が30kg入りの米袋の下で横たわっているのを発見しました。

すぐに救急車と警察を呼びましたが、すでに男は絶命しており、駆けつけた署員が調べたところ、男は50歳くらいで極端にやせ細っており、後の解剖の結果では極度の栄養失調、そして死因は窒息死だということが判明しました。

どうやら彼は農家から米袋を盗もうとしていたらしいのです。それもスーパーなどではあまり見かけない農家独特の30kg入りの米袋に目をつけ、それを運ぼうとしたところ、そのまま後ろにひっくり返り、米袋の下敷きとなったようです。

身体の上に乗った30kgのものを押しのけるということは男性にとっては別に難しいことではありませんが、やせ細った身体にはすでにそういう力もありませんでした。

栄養失調になるほどの状態といえばダイエットとは考えられません。貧しさゆえに食べるものもほとんどなかったと推測されます。

捜査によると、庭のウリも男の付近にあり、これも盗むつもりだったようです。ウリをおかずにご飯を食べるつもりだったのでしょうか。この時代でもすでに日本には食べ物が余っているという状態でしたが、それでもその陰にはこういう男も存在していました。

牛の脚

昔、高知の大学生6人が牛肉を盗むといった事件がありました。店で売られている牛肉を盗んだのではなく、彼らが狙ったのは高知大学農学部の放牧場で飼われていた研究用の牛でした。研究用ですからもちろん生きています。

6人は軽トラで放牧場に向かい、それぞれが刃物を持ち、目をつけた一頭の牛をメッタ突きにして殺しました。殺した目的はもちろん自分たちが食べるためです。

しかし牛は体重が400kgもあり、6人かかってもトラックまでは運べませんでした。仕方なく牛一頭丸ごと盗むことは諦め、脚だけ切り取ってトラックに乗せ、彼らはその場を立ち去り、後に解体してステーキにしたり焼肉にしたりと目的は果たしました。もちろん、脚を切り取られた牛の死体を発見した大学側は警察に通報し、間もなく彼らは全員逮捕されました。

米の万引き

かつて大分市内のスーパーで5kgの米を万引きしようとした親子が逮捕されました。母47歳と娘17歳の2人です。5kgの米といえばこっそり持ち出せるものではありませんので、すぐに店員に見つかって捕まりました。

しかしこの後親子は完全に開き直り、店員に対して「口のききかたが悪い」だの、駆けつけた警官に対しても「手を掴(つか)まれた!警官が暴力を振るった!」などと騒ぎたて、大迷惑なことこの上ありません。

さんざん揉(も)めていたところへ、顔見知りの刑事がやって来ると、途端に態度はおとなしくなり「またお前らか。」と刑事が声をかけると、「実は三日間何も食べてないんです。」と泣き出し、素直に謝り始めました。

この親子は食べ物の万引きはしょっちゅうだったようで、すでに警察でも知り合いが出来ていたほどでした。食べ物を買う金がないという事情で温情を加え、この刑事をはさんでスーパーと話し合った結果、始末書だけで勘弁してもらいました。

砂糖泥棒

昭和24年12月6日、兵庫県鳴尾村小学校の学童用給食に使われるものを置いてある食材置き場から、砂糖が異常に減っていることに学校職員が気づきました。「これは盗まれた」と判断した学校側が調査を開始してみると、犯人はあっけなく判明しました。

この小学校の教師6人がグルになり、砂糖50斤(きん)を2回に渡って盗み出していたのでした。
現代から見れば砂糖なんかを盗むより同じやるなら現金を、と思いますが、この当時では砂糖は貴重品中の貴重品であり、物々交換では最高ランクに位置するほどの価値を持っていたのです。

先生といえば子供たちにとっては「すごく偉い人」という意識がありますが、先生にとっても生活があります。当時の貧しさゆえに走ってしまった犯行と言えるでしょう。


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