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No.10 150年間人手に渡り続けた、大音楽家・ハイドンの首



大音楽家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、1732年に生まれ、1809年に没した。「交響曲の父」とも呼ばれ、当時ベートーベンやモーツァルトとも親交のあった偉大な音楽家である。

たが、このハイドン・・死後、頭の部分だけが切り離されて、その頭があちこちの人の手を渡り歩くという奇妙な運命をたどっている。

ことの起こりは、オーストラリア王国の監獄所の所長をしていたヨハン・ベーターという人物が、ハイドンの死後、墓を掘り起こし、首を切断して持ち帰ったことに始まる。

ベーターは、「骨相学」という、頭蓋骨を調べるような趣味を持っており、事実色々な囚人の頭蓋骨をコレクションしていた。
そんな折り、ハイドン死亡のニュースを聞き、「是非とも天才と言われる人物の頭蓋骨を調べてみたい。」との衝動から、墓を暴いて頭を持ち帰るという奇怪な行動に出たのだった。


盗んできた生首を丁寧に化学処理をして綺麗な頭蓋骨に仕上げ、色々な角度から測定を繰り返した。そして、「ハイドンの頭蓋骨には音楽丘の隆起が見られる。」などと論文を書いて仲間内で発表し、かなりうらやましがられたということである。

しばらく経って、このことを聞きつけたローゼンバウムという人物が、ベーターを訪ねてきた。研究が終わって用済みになったハイドンの頭蓋骨を譲って欲しいというのだ。ベーターの方も一応は研究が終わった、ということで彼に頭蓋骨を譲ってやった。

しかしこのローゼンバウムという人物もその頭蓋骨を墓に戻すようなことはしなかった。彼は自宅の玄関にハイドンの頭蓋骨を飾り、その横には銀盤に描かれたハイドンの肖像画を並べて展示し、お客がくるたびに「これがハイドンの頭蓋骨です。」などと誇らしげに説明していたという。


だが、この頃から奇怪な出来事が起こり始めた。ある夜、ローゼンバウムの妻が、この頭蓋骨から不気味なうなり声があがっているのをはっきりと聞いたのである。

それからうなり声はたびたび聞かれるようになり、最初は半信半疑だったローゼンバウム自身も、ある夜、頭蓋骨がアゴをカタカタ鳴らしながら自宅の中を飛び回っている場面を目撃する。

うなり声と空を飛ぶ場面をたびたび目撃するようになり、ついにローゼンバウムは頭蓋骨を手放すことにした。別の人に譲ったのであるが、そこでも全く同じ現象が起こったのだ。そして次の人・また次の人も同じ目に遭った。

第二次世界対戦後にハイドンの胴体はソ連(現ロシア)に移動した。この辺に至って、「ハイドンの首と胴体を一つにしよう。」という動きが見られるようになり、1954年8月21日、故郷のアイゼンシュタットの墓地で実に150年ぶりに首と胴体は一緒に埋葬されたのである。



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