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No.23 拷問と殺戮(さつりく)の恐怖政治、元ウガンダの大統領・インディ・アミン・ダダ



元・ウガンダの大統領、インディ・アミン・ダダ。彼は1971年から1979年までの大統領就任中、その残虐な拷問と処刑人物で方法で名をはせ、20万人とも30万人とも言われる犠牲者を出した、猟奇的にして異常な人物でもある。

21歳で軍に入ってからだんだんと残虐性を示すようになり、拷問と殺人を生業(なりわい)とするようになった。例えば、捕虜の耳をそいだり、炭火で身体をあぶったり、人間に石油をかけて火をつけるなど、その拷問は過酷を極めたという。


そして1971年にクーデターを起こして大統領に就任。就任してからすぐに、前の大統領を支持していた者たちを3000人ほど処刑した。前大統領の参謀長だったムハマドはライフルの銃底で、下腹部と性器を滅多打ちにされたあげくに首を切断された。

このころ、アミンの自宅の冷蔵庫には、いくつもの処刑した人物の首が入っていたという。アミン夫人の元恋人のもの、自分自身の元恋人のもの、愛人のものなど、である。時々冷蔵庫を開けて、それらの生首を見ては楽しんでいたと言われている。

また、首を切断した胴体を川に投げ入れ、ワニにエサとして与えたりもしていたようだ。そしてそれだけではなく、アミン自身も人肉を食べたことがあるらしいのだ。「人間の肉は何度か食ったが、塩辛い味だった。」という発言まで残している。

アミンには4人の妻がいたが、そのうちの3人とはすぐに飽きて分かれてしまっている。離婚した妻の一人であるケイ夫人は、離婚した当時、アミンの子供を身ごもっていたが、離婚した後に中絶してしまった。それを聞いたアミンは怒り狂い、ケイ夫人はもとより、中絶を行った医師まで処刑した。

そしてケイ夫人の死体の両手両足を切断し、左右逆になるように縫い合わせて、分かれた妻たちに見せたという。


アミンは自分の政権に反論を唱える者に対しては容赦がなかった。ウガンダにあるマッキンディエ刑務所では、アミンみずからが考案した拷問方法により、多くの囚人たちがその命を断たれた。

刑務所の中では、囚人たちはびっしりと釘の打ち込まれた床の上をハダシで歩かされる。そして夜になると独房に入れられる。だが、頻繁に突然呼び出しがかかる。全員、ある部屋に集合しろというのだ。

囚人たちが呼ばれた部屋に入ってみると、そこには、丸太にくくりつけられて逆さ吊りにされ、ほとんど死にかけている別の囚人の姿があった。性器の部分には針金まで巻かれている。

看守が別の囚人に「こいつの頭をハンマーで殴って殺せ。」と命じる。嫌だと言えば自分自身が殺されるから、その囚人も言われた通り、拷問にかかっている囚人の頭をハンマーでうち砕く。室内に異様な音が響く・・。


それらの処刑が終わると囚人たちは別室に移され、何日も食事を与えられないで飢餓状態にさせられる。そして何日か後に、わずかばかりの肉のかたまりが部屋の中に投げ込まれる。

囚人たちは我先にと争って、その肉を手に入れ、夢中でかぶりつく。そしてその光景を見ながら看守たちはこう言う。「その肉は何日か前にお前らが殺した仲間の肉だ。」と。

こうした残虐の限りを尽くしたアミンであったが、1979年にタンザニアとの国境紛争処理と内紛の鎮圧に失敗してウガンダから逃亡して以来、その行方は分かっていない。これまでの経緯を考えれば当然暗殺の対象となりうるから、姿を隠すのも当然であるが、すでに暗殺されている可能性もないわけでもない。


※(ネット上の情報によると、2003年(平成15年)年8月16日、サウジアラビアのジッダの病院・キング・フェイサル・スペシャリスト・ホスピタルで、腎不全などのため、すでに死去している。)



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