古代より目撃情報の多い、海に住む巨大なヘビ状の生物

シーサーペント(sea serpent)とは、海に生息する巨大な未確認生物の総称であり、特定の一種類を指している言葉ではないが、その中でも特に、ヘビのような身体をした巨大な生物をこう呼ぶことが多い。

その目撃例は数百とも数千とも言われ、古くは紀元前から目撃されており、ギリシャ神話にも登場している。
シーサーペントは世界中の海域で目撃されているが、その中でも特に多いのはヨーロッパの北の海域と大西洋の北部から中央部にかけての海域である。

15~17世紀の大航海時代以降には記録も多く残され、この当時、ヨーロッパ全域の船乗りたちの間では、「ヘビの化け物を見た」という話題が常に絶えなかった。

だが、それらの目撃証言は、見た海域によって内容が食い違っており、頭の形にしても「ヘビのようだった」「亀のようだった」「牛に似ていた」「ワニにそっくりだった」など、様々な意見があがっていた。

大きさに関しても、小さいもので10数メートルから、50m、60m、現在までに目撃された最大のものでは90mくらいあり、外見にしても、「全身に毛が生えていた」「鱗(うろこ)で覆われていた」「たてがみがあった」など、証言によってバラバラであった。

これらのことから、シーサーペントとは何種類もの種族が存在していたことが推察出来る。そして、その化け物たちには、だいたいヒレがついていた。

中世以降に製作された地図には、海の部分のところどころにシーサーペントの絵が描かれているものが多く残っており、これらはシーサーペントと遭遇した場所を表している。シーサーペントとは、この時代の船乗りたちの恐怖の対象であったのは間違いない。

シーサーペントに関しては、中世以降はもちろんのこと、20世紀に入っても目撃証言が残っており、また、数は少ないが写真やビデオにも撮影されている。

デイダラス号の目撃

1848年8月6日、イギリスの軍艦デイダラス号が、大西洋を北上しイギリスへと向っていたところ、甲板で見張りをしていた仕官が巨大な生物を発見し、すぐに艦長に報告した。

この生物は、頭の部分だけを1.2mほど海上に出し、胴体の直径は40~50cm、体長は18m以上あった。背中にはたてがみのようなものがあり、艦長のピーター・マクヒーと士官の4人、水兵3人がこの怪物の動向を20分ほどじっと見つめた。

イギリスに到着し、この生物と遭遇したことを公式に発表し、ピーター・マクヒー艦長は「私をはじめとして4人の士官と3人の水兵が目撃したことを名誉にかけて誓います。」とまで言い切った。

このことはイギリスの新聞にも掲載され、シーサーペントの目撃例として最も有名な出来事となった。

シーサーペントとの遭遇(そうぐう)と攻撃

シーサーペントはこれまで、単に目撃されただけではなく、実際に人間が攻撃を加えたり被害に遭(あ)ったりした記録も残されている。

1500年代後半、北大西洋でスペインの軍艦がシーサーペントに遭遇した。当時スペインはフィリップ二世が統治し、「無敵艦隊」と呼ばれていた時代である。その時シーサーペントは、海上に頭を出して二枚のヒレを広げて泳いでいたが、スペイン艦隊はいきなり砲撃を開始した。

ヒレの片方に砲弾が命中し、シーサーペントは叫び声をあげて苦しんだ。傷ついたシーサーペントは逃げ始めるが、人間たちはそれを追いかけ、ジブラルタル海峡を抜けてアルボラン海まで追いかけた。そしてバレンシアの浜辺にたどり着いた時、ついにシーサーペントは息絶えた。500km以上逃げたことになる。

浜辺に引き上げられた死体は巨大で、長さの記録はないが、胴の幅が4m前後あり、口を開けると人間が馬に乗ったまま入れるほど大きかったという。そして腹をナイフで裂いてみると、胃袋の中から人間の死体が二体出てきた。


1808年6月、スコットランドのヘブリディーズ諸島の近海で、ドナルド・マックレインが操縦していた船が全長24mの怪獣に追いかけられた。ドナルドは必死に逃げて岸までたどり着いたが、怪獣も岸までついてきた。

しかし怪獣もうっかり浅瀬まで来てしまい、そこでしばらくのたうちまわって苦しんだ後、何とか海へ戻り、そのまま逃げていった。怪獣は上下運動で泳いでいたというので爬虫類ではないようである。


1848年9月20日、アメリカの帆船(はんせん)ダフネ号が、ポルトガルのリスボンの沖(南緯4度11分・東経10度15分)で、全長30mのシーサーペントに遭遇した。船長のコメントによると、それは「龍の頭を持つ巨大なヘビ」ということだった。ダフネ号はその怪獣に36mの距離まで接近し、砲撃して命中させ、怪獣は苦しみながら逃亡していった。


1875年7月、イギリスの帆船ポーリン号が、南緯5度13分・西経35度のあたりで、マッコウクジラとシーサーペントが戦っている場面に遭遇した。シーサーペントは胴まわりが2.5mから3mくらいあり、その身体をマッコウクジラに二周巻きつけていたというから、全長は推定で30m前後ある。

クジラはその付近に、もう二頭ほどおり、仲間を助けようとしているようにも見えた。だが、シーサーペントはクジラを巻いたまま海の底の方へと沈んでいった。

※マッコウクジラ:成長すれば、オスで体長16~18mくらいになる。


1875年、イギリスの貨物船パウライン号が、タンザニアのザンジバル港を目指して航海していた時、シーサーペントがマッコウクジラに巻きついて絞め殺している場面に遭遇した。ボキッボキッと、クジラの骨が折れる音が乗組員たちにも聞こえた。


1917年5月22日午前9時ごろ、イギリスの商船ヒラリー号が大西洋のアイスランド沖を航海中、体長約18mのシーサーペントに遭遇した。ディーン船長は接近を命じて距離30mまで近寄って観察し、このことは航海日誌にも記録した。

頭は牛に似ているが、牛よりも大きい。身体の色は真っ黒で、背中には1.2mほどの三角形の背びれがある。海上からは6mほど首を出して蛇行して泳いでいる。

船長はこの怪物に対して攻撃を命じた。すぐに砲撃が開始され、12発目を撃ったところ、これが命中し、シーサーペントは海上で3分ほどバシャバシャともがき苦しみ、そのうち海に沈んでいった。


1922年、南アフリカの東側に位置するマーゲイト沖で、ヘビ状の怪獣一体とマッコウクジラ(シャチという説もある)二頭が戦っているのを大勢の人達が目撃した。怪獣は6mほど上半身を海上に出し、尻尾でクジラを殴っていたが、この戦いはクジラが勝利し、怪獣は殺されてしまった。

その夜、この怪獣の死体が浜に打ち上げられた。全長は14m、幅3m、厚みが1.5mで、全身が20cmほどの白い毛で覆われていた。頭に当たる部分には頭らしいものはなく、代わりにゾウの鼻のようなもの(長さ1.5m、直径35cm)がついていた。


1931年、ハワイ近くの海で、アメリカ船カレドニア号の甲板の上に、体長20mほどの怪獣が突然飛び乗ってきて、その場にいた水夫をくわえて再び海中へ飛び込んだ。怪獣はカメとトカゲを合わせたような生物だった。


1947年12月30日、アメリカの汽船サンタ・クララ号はニューヨークを出発して大西洋を航行し、コロンビアに向かっていた。だが、北アメリカの東海岸・ノースカロライナ州の沖合い(北緯34度34分・西経74度7分)の地点で、ガツンという音と共に何かに衝突した。

現場を観察した二人の航海士によると、ぶつかった相手は全長13.5mほどの巨大なウミヘビかウナギに似たような生物で、身体の幅は90cm、頭の長さは1.5mくらいだった。
付近の海は血に染まり、重傷を負った怪獣は苦しみながら海の中へ沈んでいった。


1958年、ブラジルのリオデジャネイロ湾に巨大なヘビ状の怪獣が現れ、市民からの通報を受けてすぐに武装警官隊が派遣された。警官隊は機関銃とダイナマイトで怪獣に総攻撃を加えた。


1962年2月24日、アメリカ・フロリダ州のペンサコーラ湾の沖で、ハリケーンの影響で高校性5人がボートに乗って漂流していたところ、突然巨大なシーサーペントが海の中から現れた。

海上から3.5mほどの高さに頭を出して叫び声をあげ、一気に高校生たちに襲いかかった。5人のうち3人が食われて、ボートは破壊され、1人は遺体で流れつき、かろうじて1人だけが生き残り沿岸警備隊に保護された。

シーサーペントの正体

シーサーペントとは「特定の一種類を指すものではなく、海ヘビ状の身体をした未確認の海洋巨大生物の総称」であるので、その正体も様々なものが含まれる。その中にはもちろん、本当に人類の知らない生物も含んでいるが、ウナギや海ヘビなど、既存の生物が巨大化したものも正体の一例として挙げられている。

ウナギといえば小さいものを想像しがちだが、これまでに3.6mのウナギも発見されているので、それ以上巨大なものがいる可能性もないわけでもない。

また、イカの中でもダオウイカは、本来巨大な生物ではあるが、1878年、北アメリカのニューファンドランド島と、そして1939年にノルウェーで捕獲されたものは全長18mを超えていた。

また、1896年にフロリダ半島のアナスタシア海岸の砂浜に打ち上げられた巨大タコの死体は、足を広げた長さは30mにも達した。海洋生物は、人類の常識を超えるほどに成長する場合も十分にある。

そしてシーサーペントの正体としてよく挙げられるのが「リュウグウのツカイ」と呼ばれる深海魚の一種である。東京のサンシャインシティの「サンシャイン国際水族館」の入り口付近に標本が展示してある。だいたいは全長5m前後であるが、10mに達するものもある。

リュウグウノツカイは100~700mの深海に住み、身体は薄っぺらで、顔はグロテスク。海で遭遇すれば、確かに化け物にも見える。
このリュウグウノツカイが、まだ未発見の時代にその魚を目撃すれば「シーサーペントを見た」ということになるが、現在のようにその存在が明らかになっている場合は、「それはシーサーペントではなく、リュウグウノツカイの見間違いだ。」ということになってしまう。
同じ生物でも時代によって評価が違ってくるのだ。しかし、普段深海に住んでいる魚がたびたび海面付近で目撃されたというのも考えにくい。

他にも、ネッシーのようなプレシオサウルスなどの海生爬虫類の生き残りであるとか、1768年に絶滅したとされている海牛目ジュゴン科の「ステラーカイギュウ」などもその正体の候補として挙げられている。

ステラーカイギュウは北太平洋に生息していた生物で、成長すれば体長9m、体重13 t にも達し、また、15~17世紀の大航海時代には、まだステラーカイギュウは生存していたので、これが目撃されて騒ぎになったことも考えられる。

ステラーカイギュウは非常におとなしい性格で、浅瀬に集まってきては海草などを食べて生活していたのだが、その肉が非常においしかったため、たちまちのうちに人間たちに狩り尽くされてしまい、絶滅に追い込まれてしまった。近年それらしい生物を見たとか、死体が流れついたなどの情報もあり、ほんのわずかではあるが生存している可能性もある。

見間違いについて

シーサーペントの目撃情報は何百何千とあるが、この中にはもちろん流木や海草の見間違い、魚の群れがそれらしい形に見えた、というケースも含まれる。また、蜃気楼による見間違いという説もある。

蜃気楼は、空気の層に温度差が出来ることによって、光の屈折率が変わり、実際の大きさよりも随分と物が大きく見える現象で、人口的に蜃気楼を作りだした実験によると、現物の3倍くらいの大きさに見えたという結果も残っている。
これはシーサーペントを「一人の人間が一瞬見た」という場合ならば当てはまるケースである。

しかし蜃気楼による拡大像とは、場所を移動しても(船を動かしても)、いろんな角度からの視点に対して当てはまるのかどうかは疑問である。

何十メートルもある巨大な生物が未(いま)だに発見されていないということも不自然に感じるが、現在人間が住んでいる陸地でさえ、未確認動物といわれるものはたくさんおり、また、この地球上で、人類が踏み込んだことのない大自然の中には人間の知らない生物が相当数いるだろうと言われる。まして広い海ともなれば、その全てが分かるのは遠い未来のことかも知れない。

シーサーペントについては見間違いも数多くあるだろうが、信憑性(しんぴょうせい)の高い情報もあり、まるで特撮映画にでも出て来るような巨大な怪獣が、いまだに人知れず大海原に生存している可能性は十分にある。

<1995年12月31日にニュージーランドで捕獲されたイカ。体長は約8m。>


<1957年に三重県鳥羽市答志島(とうしじま)で捕獲されたマダコで、足が85本ある。三重県の鳥羽水族館に標本として展示されている。>


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