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No.156 数百人の少年を犯して殺害した同性愛者・ジル・ド・レ


▼ジル・ド・レの人生の頂点

ジル・ド・レは、1404年にフランス王国・ブルターニュ地方のナント近郊で生まれた。この時、時代は、フランスとイギリス(イングランド)が戦った百年戦争(1338 - 1453)の真っ最中であった。

父も母も貴族の出身であり、一家はフランス西部一帯に広大な領土を所有し、財産も莫大(ばくだい)なものだった。

ジルが11歳の時、両親が立て続けに死亡(父親は戦死)し、一人残されたジルは、両親の残した莫大な遺産を引き継ぐこととなった。

この後は、母方の祖父に引き取られ、ここからは祖父に育てられることになる。しかしこの祖父は、少年愛の愛好者であり、後(のち)にジルが男色(ホモ)に走ったのも、この祖父の影響が大きいと言われている。

ジルは成人して間もなくして結婚したが、この結婚は、祖父が無理矢理決めた結婚であった。祖父は自分の領土を拡大するために、ジルを、近隣の領土を持つ領主の娘と結婚させたのである。

成長するに連れてジルは、その嗜好(しこう)があらわになっていく。妻をほとんど相手にせずに美形の男たちと時を過ごすことが多くなり、また、残虐な拷問で知られるネロやカリギュラなどの古代ローマの帝王たちが、いかにして囚人たちを拷問し、残酷な殺し方をしたのか、そういった書物を読みふけることが多くなった。

やがて軍人となったジルは20歳の時、フランス王太子シャルルに仕(つか)えることとなった。ジルはイングランド軍との戦いの時にはいつも先頭切って突っ込み、敵を槍で突き殺し、剣で切り捨てた。相手の最後の絶叫や飛び散る血しぶきがジルを興奮させた。これは、戦いの興奮というよりは、性的興奮だった。

戦場はジルの残虐趣味を満足させる格好の場となっていたが、ジルの内面を知らない人々はそれを勇敢と誉めたたえ、軍におけるジルの立場もどんどんと上昇していった。

また、ジルは、捕虜の拷問や処刑にも積極的に立ち会った。男の悲鳴や血にまみれた姿がジルを異常に興奮させるのである。


▼ジャンヌ・ダルクと共に戦う

この戦争の最中(さなか)、有名なジャンヌ・ダルクがフランス軍に現れる。19歳という女性でありながら、ジャンヌは男装して軍を率い、各地の戦闘で次々とイギリス軍を撃破していった。

1429年に、シャルルによって、宮廷でジャンヌを紹介されたジルは、その威厳に圧倒され、ジャンヌに忠誠を誓い、忠実な部下として、数々の戦闘を一緒に戦った。

フランスのオルレアンの街がイングランド軍に包囲されていた時に、ジャンヌを始めとして1万人余りの軍勢で攻め入ったことがあったが、ジルはこの時、指揮官としてこの戦闘に参加し、イングランド軍を撤退させて、オルレアンの街を解放している。

この戦闘の後、王太子シャルルは、フランス国王シャルル7世となり、ジルはこれまでの実績を認められてフランス軍の元帥(げんすい)に任命される。この時ジルは25歳だった。


しかし、軍人としてのジルの絶頂期はここまでで、やがてジャンヌ・ダルクは戦闘に敗北し、イングランド軍に捕えられ、火あぶりで処刑されてしまう。


▼巨万の富を浪費し、転落していく

心の拠(よ)り所でもあったジャンヌが処刑されたことはジルにとって大変なショックであった。間もなくジルは戦場から遠ざかるようになり、自分の城へと帰って来た。そしてこれ以降、自分の城に引きこもるようになっていった。

1432年、祖父が死ぬと、またもや遺産を引き継ぎ、元々大金持ちだったものが、更に大金持ちとなった。土地やいくつもの城、美術品などを引き継ぎ、また、フランス元帥としての収入もあり、年収は日本円にして10億とも20億とも言われるほどの大富豪となった。

この巨万の富をジルは次々と使っていた。毎晩のように豪勢な宴会を催し、専属の軍隊を作ってきらびやかな衣装や武器を揃え、聖堂を建てて少年たちによる聖歌隊も作った。

ただし、この聖歌隊は、信仰のためというよりは自分の同性愛を満足させる目的の方が大きかったようである。聖歌隊の中から、特に美しい少年たちを選んで、宴会の席に連れて行き、全裸に近い姿をさせてお客たちの酒の酌(しゃく)をさせるのだ。

酒には興奮剤が入れてあり、興奮したお客たちが少年たちを押し倒して全裸にして犯し始める。ジルの大切な少年たちが、嫌がり抵抗し、助けを求めながらも男に犯されていく様子を眺めることが、ジルにとって、異常に性欲をかきたてられることになる。


少年愛の方は、毎晩のように行為を行っていたが、このあたりの時期からジルは、錬金術(れんきんじゅつ)に熱中し始めた。錬金術とは、鉄や銅など、質の低い金属を金(きん)に変化させる学問である。この時代は、それが本当に出来ると信じられていたし、錬金術は学問の一つの分野として定着していた。

錬金術を本気で行うとなれば、設備投資にも金がかかる。自分の城である、ティフォージュ城に実験施設を作り、錬金術師たちを招いていろいろと話を聞いた。そして自分なりに勉強した結果、錬金術を成功させるには悪魔を呼び出す必要があることが分かった。

錬金術には相当の金をつぎ込み、また、贅沢三昧、私設軍隊、建物の建立、買いあさる美術品などで、みるみるうちにジルの財産は減っていき、手持ちの現金はほとんどなくなってきた。

しかし現金がなくなっても、趣味や浪費は止まらない。現金がなくなるとジルは、両親や祖父から引き継いだ城や土地を売って金を作るようになった。

現金以外でも、相当のものを所有していたとはいえ、城も土地も宝石も美術品も次々と売っていくジルに家族は不安を感じた。このままでは本当に何もなくなってしまう。

家族は、フランス国王・シャルル7世に、ジルの行動を説明し、何とかジルの行為をやめさせて欲しいと訴えた。ジルは軍のフランス元帥という立場であったから、国王もその身を心配して公(おおやけ)の文書として

「ジルの土地売買は今後一切禁止する。誰もジルから土地や城を買ってはならない。」

と発表し、ジルの領地内に徹底して告知した。


しかしそれでも買う者がいる。ジルは水面下で金を作りながら自分の趣味につぎ込んだ。


▼少年愛と猟奇殺人

ある日ジルは、錬金術と魔術の大物である、イタリアの僧侶プレラーティを城に招いた。何回実験しても悪魔が現れないことにイライラしていたジルは、いつものように錬金術や悪魔のことについて質問してみた。

プレラーティが言うには、子供の生き血をささげなければ悪魔は現れないと言う。また、プレラーティは、悪魔が現れれば錬金術だけでなく、永遠の命と莫大(ばくだい)な富をもたらせてくれる「賢者の石」のありかも教えてくれるだろうとも言った。

子供、即(すなわ)ち少年を殺す、血を流す、それが錬金術の成功につながる、あまりにもジルの趣味にぴったりと合うアドバイスだった。

この時からジルは忠実かつ積極的にこのアドバイスに従った。部下に命じて、まずは子供をさらって来させる。ジルの領地内で美しい少年を見つけた部下たちは、その家に訪ねて行き、親たちに、お宅の子供を城の召使いとして雇いたいと申し出る。

ほとんどの家庭では貧しい暮らしをしていたから、親たちは大喜びでこの申し出を受けた。

連れて来られた少年たちは、風呂に入れられ、綺麗な服を着させられてジルの元へと連れて来られる。これまでの暮らしとは一変する自分の状況に少年たちは胸をはずませて、ご主人様であるジルの前に立つ。

ジルは少年と部屋で2人きりになると、ベッドに座らせ、自分もすぐ横に座る。少年の肩を抱きしめて「君はかわいいね。」と言いながら顔や手に口づけし、なめまわす。最初は戸惑っていた少年もだんだんと慣れ、雲の上の存在であるジル様のなされるがままになる。


そのうちジルは少年をつねったり叩いたりし始める。痛がる少年の顔を見てだんだんと興奮が高まっていく。そして再び少年を抱きしめたジルはそっとナイフを取り出し、少年の首目がけて思いきりナイフを突き刺す。

「ギャーッ」という悲鳴と共に、少年はベッドからずり落ち、床の上でのたうちまわる。顔やガウンを鮮血に染めたジルは立ち上がり、上から少年をメッタ突きにし始める。

少年は悲鳴を上げて逃げようとするが、ジルはお構いなしに次々と刺していく。完全に少年が動かなくなるまで刺し続け、床にはおびただしい血が流れ、ベッドも自分のガウンも血に染まる。性的興奮が止まらない。

少年の死体から服を脱がせて全裸にした後、血に染まったベッドに横たわらせ、自分も裸になって、少年の死体とセックスを始める。少年の男性器をつかみ、しゃぶり、肛門をなめる。死体を前にオナニーを始める。

一通り満足するまで行為を行ったら、再びナイフを取り出し、死体の腹を切り裂き、その中に手を突っ込み、内臓を引きずり出す。つかみだした内臓を手で引きちぎり、匂いを嗅ぎ、舐め、高らかな笑い声を上げる。

最後はオノで少年の死体をズタズタに切り刻み、死体が原型をとどめないほど細かくバラバラにする。そしてようやく終了となる。
射精も終わって満足したジルは寝室に引き上げ、興奮を思い出しながら眠りへとつく。

その後は部下が、少年の死体の片付けをしなければならない。肉片をかき集めて暖炉で燃やし、部屋中に飛び散った血を洗い流す。大量の薪(まき)を使って何時間もかけて燃やし、ようやく死体は骨となる。


ジルは単に殺すだけではなく、日によって色々な演出を加えて殺人と性的興奮を楽しんだ。

例えば少年をさらってきた部下たちが、少年を鎖につなぎ、拷問を加えている時に、まるで正義の味方のようにジルが登場する。そして泣きわめいている少年の前で部下たちを怒鳴りつけて追い払う。

少年から鎖をはずし、
「もう安心していいよ。あいつらは追い払った。」と優しく少年を抱きしめる。助けてくれた正義の味方の胸の中で、少年は安心し、身体をすり寄せる。そこへ隠し持っていたナイフを首に突き立てる。後は普段通りのコースを始める。

また、部下たちを観客として、自分のホモ行為を見せつけながら殺人を楽しむこともあった。城に連れて来られた少年たちはこうして次々とジルの趣味の犠牲となっていった。


城で働いているはずの子供から全く連絡のない親たちが心配になって城まで訪ねてきて、子供は元気にしているのでしょうかと尋ねても、「ジル様の別の城にいる」とか「しばらくジル様のお供で出かけている」などと言われ、子供に面会出来た親はいなかった。しかし親たちはその言葉を信じて引き下がるしかない。

ジルの少年殺害の興奮は止まらず、1432年から40年の8年間で何百人という子供がさらわれてきた。ジルに殺された少年たちは600人から800人くらいだと言われる。

まるで普通の人がオナニーをするような感覚で、ジルは少年たちとセックスし、そして殺していった。

少年たちを連れて来る時も、いつも親に話をして手続きを踏んで連れてくるわけではなく、時には部下たちがいきなり少年に後ろから袋をかぶせて誘拐することもあった。

何百人という子供たちが城に連れて行かれて、全く連絡が取れない。生きて帰って来た者もいない。そうなれば当然、人々の噂にもなり「あの城は人を喰う」と、口々に言い合い、子供が連れて行かれた親たちは気が気ではなかった。

しかし貧しい一般庶民たちには何も出来ない。城に強引に乗り込んでいくことなど、出来るはずもない。この時代、領主に反抗することなどは、考えられもしないことだった。


▼ブルターニュ公の報復により、逮捕される

しかし1440年5月、ジルは、自分に対して権力を行使出来る人間を怒らせてしまった。ジルは自分の土地を売ることは禁じられていたが、それを内緒で買ってくれたブルターニュ公に対し、いったんブルターニュ公に売った土地を、気が変わったのか、その土地を返せと、ブルターニュ公のところへ軍を率いて乗り込んでいったのだ。

そしてブルターニュ公の金銭や土地の管理を任されている人物を捕えて牢に入れてしまった。

きちんと金を払ってジルから土地を買っていたブルターニュ公は、この約束破りのジルの行為に激怒した。当然報復に出る。

「何百人もの少年たちがジルの敷地内で行方不明になっている、殺されているのではないか」という噂は、当然ブルターニュ公の耳にも入っていたので、報復手段としてジルの行為をあばいて、警察に訴えようと考えたのだ。

ブルターニュ公は部下たちをジルの領地へ派遣し、子供が帰って来ない親たちの証言を聞いて歩かせた。これまで何も出来なかった親たちも調査に協力し、被害を申し立て始めた。

綿密に調査を繰り返し、ジルが城で子供たちを殺しているのはほぼ間違いない、というところまで追い詰め、1440年9月、ついに正式にジルの逮捕令が下されることとなった。

宗教裁判を受けるジルを描いた絵。

警察が、ジルの城の一つであるマシュクール城に踏み込むと、そこには、樽に入れられた死体の残骸や血に染まった服、燃え残りの骨など、大量殺人の痕跡が数多く残っていた。


ジルはすぐに逮捕され、それと同時にジルにアドバイスをした錬金術師のプレラーティや城の部下たちも逮捕され、逮捕者たちはナントへ送られた後、そこで宗教裁判にかけられた。

このジルの事件は、人の口から口へと伝わって相当な噂になっていたので、裁判の当日には大変な数の人が傍聴に訪れた。建物からあぶれた人が外まで並んでいたほどだった。

しかし裁判が始まっても、ジルは一切を認めようとしない。ジルが告発された、悪魔との契約、殺人、魔術使いなど、どれ一つをとっても当時は重罪だったが、ジルは司教に「お前らに答える必要はない。」と言い放った。

何もしゃべろうとしないジルに対して、裁判官側は、まずはジルを拷問にかけることを決定した。

拷問方法は、身動き出来なくされた上に、口にロートを突っ込み、次々と水を飲ませていくという方法が選ばれた。これをやられると、たちまちのうちに胃が水で一杯になり、それでも口を開けて水を飲まされるという、地獄のような苦しみを味わうことになる。

人を拷問することが大好きなジルが、この刑の恐ろしさを知らないはずはない。拷問されると聞いた途端、顔は引きつり、恐怖に怯えたのか、急に態度を変えて、いきなり自白を始めた。

殺害方法や、少年たちが助けを求める様子、死体とのセックス、内蔵を引きずり出したことなどを、さっきまでの強気な態度とはうって変わって、涙を流しながらこと細かく語り始めた。

ジルの告白を聞いた人々は皆、恐怖し、時には声が上がった。裁判官や司教も、この人並みはずれた異常な犯罪者に対し、胸で十字を切った。

ジルは告白を終えると、傍聴席に向かってひざをついて大声で泣きわめき、地面に頭を何度も打ちつけて、懺悔(ざんげ)の言葉を叫んだ。

「祈りなさい、神の怒りがおさまるように。」
司教がジルの身体を起こしながら語りかけた。

ジルが反省し、それを司教がなぐさめるという、この光景に傍聴席の人々は感動した。ジルの汚れた魂と肉体が清められるように、人々は皆、ひざをついて祈りを捧げた。この祈りを捧げた人々の中には、自分の子供をジルに殺された親たちも含まれている。

なぜか親たちは、ジルを憎むどころか、ジルの魂があの世へ行けるように祈りを捧げたいという心境になったようだ。更にその親たちは、ジルが刑場に向かう時、ジルのために讃美歌を歌いながら一緒に歩くという、何かおかしな展開ともなった。

ジルの判決は、「絞首刑の上に、死体を火刑に処す」というものだった。死体を火刑ということは、普通に火葬されるように思われるが、この時代には、死体を焼くということは死者の魂を汚(けが)す行為と考えられていた。いったんは死体の火刑という判決が出たものの、ジルのあまりにも反省した態度から、火刑だけは取りやめとなった。

1440年10月26日 午前11時、死刑は執行され、ジルは36歳という若さで、この世を去った。




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