海辺の風景

作:秋津さま 美形さんランド

 聖地を離れ、二人だけの旅を続ける途中で、クラヴィスとアンジェリークは度々海に出会った。
 リュミエールが話して聞かせてくれたような穏やかで静かな海、近寄る者を拒むような冷たく荒れた灰色の海、泥沼のように黒く淀んだ海。
 いくつかの惑星を巡ってたどり着いたここは、今まで訪れたどこの海とも違っていた。
 絵の具で塗ったような蒼い空の下に同じような色をした海が広がり、波と一緒に吹き付ける風から強い原始の匂いがしていた。
 クラヴィスとアンジェリークはしばらく海岸線を歩いた。
 彼のゆったりした歩みの回りを、アンジェリークの軽やかな歩みが取り巻いた。
「あっ」
 アンジェリークは、小さくはしゃいだ声を上げてしゃがみ込み、白い砂の中から薄紅色の貝殻を拾い上げた。
「綺麗な色・・・クラヴィス様、ほら」
 クラヴィスもアンジェリークの側に身を屈め、その手の中の貝殻をのぞき込んだ。
 そして無言でアンジェリークの手を取り、眺めてから小さく笑った。
「おまえの爪に似ているな」
 そう言って、クラヴィスはアンジェリークの手の平から貝殻を取ると立ち上がった。
「これは私がもらおう・・・気に入った」
 前を歩き始めたクラヴィスの背中を、アンジェリークはしばらく頬を染めて見つめていた。
「風が少し出てきたようだ」
 小走りで隣に駆け寄ってきたアンジェリークを見やって、クラヴィスが低く呟いた。
「寒くないか」
「大丈夫です。風はちょっと冷たいけど、でもこんなにいいお天気なんですもん」
「・・・そうだな」
 クラヴィスは、潮風に金色の柔らかい髪を揺らし、つるつると輝くような頬を少し上気させたアンジェリークを見て、頬を緩めた。
「おまえには要らぬ心配のようだ」
「ずっとここにいたいくらい、私、この海が好きです。今まで見たどの海よりも」
 アンジェリークはほころぶような笑顔で、クラヴィスの顔を見上げた。
「厳しさも優しさも両方持ってる、そんな感じがするから・・・私が育った星の海に似てます。私が育った星って、宇宙の中ではまだまだ小さい子供なんですよね。この星みたいに」
 そう言ってアンジェリークは言葉を切ると、沖に目をやった。
「クラヴィス様の故郷の海は、どんな感じだったのかな・・・」
「・・・私の記憶にある海はこんなに明るくなかった。いつも灰色の雲が低く覆いかぶさっているような・・・海に限った事ではないがな」
 クラヴィスも沖に目を向けた。今は凪いでいる海は青い鏡のように日の光をさざめかせながら反射していた。規則的に白い波頭が盛り上がっては、ゆっくりと打ち寄せている。
「海沿いをこうして歩く事など誰も考えない、ましてや自分の愛する者とはな。そんな海だった。だが、海を見ると理由もなく心が騒いだのを微かだが覚えている。
 その訳が今やっと判った気がする」
「どうしてですか、クラヴィス様」
「原始の時代の記憶が、精神の奥底に今も残っているからなのだろうな。我々はこで育まれたのだと」
 そう言うと、クラヴィスは振り向いた。
「おかしいか。私がこんな事を言うのは」
「いえ・・・」
「おまえには嘘はつけぬ。思った事が全部顔に現れるからな」
 クラヴィスの言うとおり、アンジェリークは満面に押さえきれない笑みを浮かべていた。笑顔のままアンジェリークは強く首を振った。
「違うんです。嬉しくて」
「嬉しい?」
「クラヴィス様には判らなくてもいいんです」
 アンジェリークは言って、くるっと背中を向けると軽い足どりで歩き出した。クラヴィスはしばらくその小さな後ろ姿を見つめていた。
 そしてゆっくりとした足どりで彼女の後を追う。歩幅の広い彼の足は、すぐにアンジェリークに追いついた。
「少し座らぬか」
「疲れました?」
 真顔で心配そうに見上げたアンジェリークに、クラヴィスは苦笑した。
「疲れてはいない。おまえほど元気ではないが」
 二人は日向の岩に背中を預けて、並んで腰を下ろした。そうして、近いようで遠い遠いようで近い波の音を黙って聞いていた。
 クラヴィスの腕の中で、アンジェリークは目を閉じていた。
 波の音にまるでシンクロするように、彼の胸がゆっくりと規則正しく上下している。 アンジェリークの息もいつしか彼の呼吸に同調していた。
 それはアンジェリークに、最近知るようになったある感覚を思い出させた。
 だがそれはこんなに穏やかでゆったりした感覚ではなかった。もっと性急で激しく、苦しくなるほど感情を高ぶらせるものだった。
 不意に彼の体が動いた。
 目の前が翳って、驚いたアンジェリークが目をあけた時、クラヴィスの唇がアンジェリークの唇を言いかけた言葉ごと塞いだ。
 舌先が探るように触れた時、アンジェリークは無意識に身をよじったが、彼の腕はそれを許さず彼女のうなじをそっと包むように押さえた。
 クラヴィスはそのままアンジェリークの背を抱いて、覆い被さるように砂の上に横たえた。
「クラヴィス様、」
「誰もいない」
 長いキスの後、クラヴィスは唇をアンジェリークの胸元へ滑らせた。
 薄いブラウスの上から唇で胸の膨らみをなぞると、アンジェリークは一瞬体を固くしたが、やがてそっと彼の髪に触れた。
 柔らかい膨らみを通して、クラヴィスは彼女の心臓の鼓動を聞いた。
 彼女の命の音は遠くに聞こえる波のリズムよりはるかに早かったが、その二つは不思議に調和して彼の耳に響いていた。
 不意に、引き込まれるような深い安らぎを感じて、クラヴィスは目を閉じた。
 彼にとっての世界が、絡み合い調和する二つの規則正しい音と、柔らかな温もりだけになったと感じた時、彼は悟った。

 ・・・・・・・彼女もまた海なのだ。
 穏やかに私を包み、そして私自身の次の命をも産み出す存在なのだ。

 「・・・クラヴィス様?」
 そのまましばらく動かなかったクラヴィスを心配するように、アンジェリークの指がためらいがちに彼の頬に触れた。
 クラヴィスは顔を上げて、無言のままアンジェリークを見下ろした。
 
 まだ彼女は本当には理解していないのだろう。
 私がそれをどれほど愛おしいと思っているか。
 どれほど失いたくないと請い願っているか。
 
 不思議そうに見上げている大きな緑の瞳に、心の中の声は口にしないまま、彼は微笑んだ。
「・・・戻るか。ここでおまえを裸にする訳にもいかぬ」
 クラヴィスが耳元で短い言葉を囁くと、アンジェリークは顔を赤らめた。
 ささやかな抗議の言葉は、頬を包み込んだ彼の手と、それからすぐに重ねられた唇に奪い取られた。
 
 触れ合った手を固く握りしめたまま、二人は歩いた。
 砂浜につく足跡は、そのまま二人の未来へ続いていた。

〜END〜

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