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鳥取地震は安全神話への警告
石橋克彦 神戸大学教授(地震学) (朝日新聞2000年11月1日論壇)
先月六日に発生した鳥取県西部地震(マグニチュード<M>7.3)は、これからの日本の地震防災にとって重要な意味をもっている。それは、阪神・淡路大震災を起こした兵庫県南部地震(M7・2)にも劣らない。
まず第一に、この地震は、日本列島のほぼ全域が大地震活動期に入っていることをあらためて示したと考えられる。よく言われるのは、三十〜四十年後に四国・紀伊半島沖を震源域として発生が確実視される南海巨大地震に先立って、西日本が活動期に入ったということだ。しかし、つぎのような理由から、西日本に限定しないほうがよい。 兵庫県南部地震も鳥取県西部地震も、東西方向の圧縮力で起こった。日本列島周辺のプレートの運動に関する新しい見方によれば、この力はアジア大陸からの東向きの動きに起因し、北海道・東北地方の日本海側から西南日本までを同じように圧迫しているとみられる。その力によって一連の地域のどこかで大地震が起こると、その部分の圧迫が緩和されるかわりに、ほかの部分の東西圧縮が強まる。それで大地震が連鎖的に起こり、最終的に南海地震に至るのだと考えられる。
実際、一八五四年と一九四六年の南海地震に先立つ約五十年間も、北海道・東北の日本海側、信越、北陸、中部、西日本で大地震が続発した。今後、これらの広い範囲で注意が必要だろう。九州以西も同じ枠組みに含まれるのかもしれない。なお、東日本の太平洋側は枠組みが異なる。 重要性の第二は、対応する活断層が知られていないのに、M7級の震源の浅い大地震が発生したことである。
実は、地震というのは、地下の断層がずれ動いて震動を発生する現象であるのに対して、活断層とは、過去の地震発生が地表付近で確認できる断層だけを指す。従って、活断層が知られていないところの地下で大地震が起こっても、少しも不思議ではない。過去にも実例はあり、私は機会あるごとに「活断層がなくても直下の大地震は起こる」と強調してきた。今同驚いた人が多かったようだが、今後は、活断層に注意しつつも、活断層に偏重しない地震防災を考えていく必要がある。 その点で直ちに再検討すべきことは、原子力発電所(原発)や核燃料施設の耐震安全性と、高レベル放射性廃棄物地層処分の問題である。
原発の「耐震設計審査指針」は、原発は活断層を避けて建設するので直下の大地震はありえないという考えから、M6.5の直下地震を想定すればよいと定めている。この指針は、高速増殖原型炉「もんじゅ」をめぐる訴訟の判決で、福井地裁が合理的と認めた。しかし、指針が間違っていることは今や明白である。なお、科学技術庁の観測網が、今回の震央付近の岩盤地帯の広い範囲で、地表はもちろん地下でも非常に強い揺れを記録し、原発立地点は岩盤だから揺れが小さいという従来の説明も崩れた。
原発が地震で損傷すると大事故につながり、震災と重なって破滅的な大災害になる恐れがある。指針の改訂と全国の原発の耐震性の総点検は一刻の猶予もならない。
一方、地層処分とは、原発の使用済み燃料の再処理で生ずる高レベル放射性廃棄物を地下に埋め捨てることである。地下水によって溶け出す放射能を岩盤が何万年も閉じ込めるといわれるが、もし処分場近くで大地震が起これば、地下水脈が変化して、地表への放射能の移動が促進される恐れがある。これに対して推進側は、活断属を避ければ大地震は起こらないから大丈夫だと主張してきた。しかし、これも誤りであることが実証された。今年五月には処分実施に向けた法律も成立したが、地層処分の政策そのものを見直すべきだろう。
私たちは、戦後五十年間の地震静穏期に、都市を過密にし、各地に原発を建設して、社会の潜在的危険性を高めてきた。しかし、初めに述べたように地震活動期に入りつつある今、大地からのメッセージを真剣に受けとめ、「安全神話」を根本的に考え直さなければならない。
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●●●HomePage管理者のコメント●●●
投稿者(石橋克彦氏)の指摘を大まかに言うと2点有ります。ひとつは地震は「活断層がなくても直下の大地震は起こる」。そして二つ目は「原発が地震で損傷すると大事故につながり、震災と重なって破滅的な大災害になる恐れがある」です。この2点の指摘を現在の行政は全くといいほど無視してはいないでしょうか。「地域の振興のためになる」とか「電気はいらないのか」とかの話のレベル以前に検討しなければならない課題だと思います。
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