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科学技術不信の深層

安全軽視、ツケ噴出
点検と再評価、欠かせず
(日経2000/01/08朝刊 サイエンスアイより)

 大事故は起きなかったが、データの記録などで、小さな二000年(Y2K)問題がいくつも発生した。機械が健全に働くというだけではシステムの安全は保証されない。見過ごしやチェック漏れという根絶不可能な事故の種を、どれだけ丹念に取り除けるか。日常不断の点検と調整が安全のカギを握ることを、Y2Kは再認識させた。
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 今、安全をめぐって科学技術への不信感が広がっているという。臨界事故やY2Kなど、不安をかき立てる事故やトラブルが相次いだことは確かだ。科学や技術の持つ負の側面が奇妙に拡大されて伝えられているのも事実だ。それは、現代文明の屋台骨ともいえる科学技術そのものに対する拒否反応なのだろうか。
 日本の社会に漂っているのは、「科学技術を実行する方法」への不信のような気がする。臨界という認識を持たないまま核物質を扱う組織が存在し、大量輸送機関の安全点検でも、手ぬかりを恥じる気配はない。(JRのトンネル落石事故)
 安全対策を厳しくチェックする公的機関は、その役割を果たしていない。厳しいハードルを設定して、レベルの高い競争を促すべきところを、現状肯定や実態迫認をただ続けてきた罪は重い。安全を担保する保守管理体制の整備や革新的な安全技術の開発について、長期的な視野に立った投資も怠ってきた。
 日本の技術は世界一という、根拠薄弱な安全神話に依拠して、具体的な安全対策に力を注がなかったツケが、今になって噴きだしてきたといえる。
 日常不断の点検が必要なのは、機械装置や制御システムだけではない。科学技術に関する事業や計画そのものについても、その必要性や路線の合理性について、常に評価・検証することが不可欠だ。
 原子力を例にとれば、一度決めた計画や路線は、なかなか変更されない。情勢の変化や新しい技術情報に対応して、計画の変更や撤退を柔軟に決められる仕組みが必要だろう。計画や目標が独り歩きして、その実現のために、様々なつじつま合わせが行われるという、本末転倒は避けねばならない。
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 使用済み燃料から取り出したプルトニウムを、軽水炉で燃やすプルサーマルについて、関西電力は延期を決めた。英国の燃料製造元が検査で手抜きをしていたことが判明したからだ。次いで、そうしたトラブルはない東京電力も実施を延期した。一九九九年にスタートする計画だったプルサーマルは、原子力への逆風下で、1−2年は先送りされることになる。
 経済性も含めて、計画そのものの合理性を再評価する絶好の機会だといえるかもしれない。
 遺伝子組み換え食品では、膨大な情報のギャップが、消費者と開発者との摩擦を大きくしている。消費者の反応には素朴な違和感に加え、明らかな理解不足があるのも碓かだ。組み換え食品の安全性について、明確な言策で説得する努力をすることが、この新しい技術が社会に定着する条件となるだろう。
 科学技術が抱えている安全神話や独善という弱点を克服するには、経済社会との風適しのいい対話が欠かせない。
 (編集委員塩谷喜雄)

注:太文字と()は編集者が変更・挿入しました。

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