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愛知万博・やはり矛盾が露呈した

(朝日新聞 社説 2000/01/22)

 「自然との共生」をうたう万博が終わったら、会場跡地の森を切り側いて、大規模な住団地にする。そんなことが果たして、まかり通るのか。
 二〇〇五年に開かれる愛知万博に初めからつきまとっていた矛盾が、とうとう覆い隠せないほどの問題となってきた。

 万博の事務手続きを担当する博覧会国際事務局(BIE、本部パリ)から、「国際博覧会を利用した土地開発事業にすぎない」と断定され、計画の全面的な修正を求められていたことが明らかになった。 昨年十一月に来日したフィリプソンBIE議長は、会場となる愛知県瀬戸市の「海上(かいしょ)の森」を視察した後、万博担当の通産省幹部に次のように迫ったという。厳秘の会議録に残されたやりとりである。

 議長 「跡地利用は環境破壊になるのではないか。」
 通産省幹部 「そうなる。」
 議長 「この不動産開発はよいことか。悪いことか。」
 通産省幹部 (ロを押さえ、天井を見上げながら終始無言)
 議長 「木を切り倒し、団地を建てる計画こそ二十世紀型の開発至上主義の産物ではないか。それは、博覧会テーマの理念よりは、対極にあるのではないか。」
 通産省幹部 「そうだが…。」
 フィリプソン議長は、環境保全運動の高まりを爆発にたとえて、「あなた方は地雷の上に乗っている」と語った。跡地を自然公園にするなど、計画を大幅修正しない限り、開催は難しいとの指摘であろう。
 昨年は「海上の森」で絶滅の恐れがあるオオタカが見つかり、県は万博の施設計画を一部、近くの県常公園に移した。今度は、万博跡地の森に六千人規模の団地をつくる計画に、「待った」がかかった。
 跡地開発は、環境団体がオオタカの発見前から批判してきた。万博でいくら環境に配慮しても、跡地開発を進めれば、結局は自然破壊につながりかねないからだ。
 もともとこの計画は、県が描いてきた職住近接の「学研都市」づくりの一環である。それを万博と合わせることで事業を円滑に進めようとした気配が濃厚だ。三十年も前の大阪万博にならった手法であろう。
 テーマの比重を「産業」から「環境」に移した時点で計画を大幅に見直すべきだったが、開発志向から抜け切れない行政体質を引きずってきた。
 県が跡地開発にこだわるのは、住宅用に売れば、万博の事業費を抑えられるとの計算にも基づいている。すでに70hを百二十四億円で買収した。万博後は売って資金を回収する構えだ。
 だが、土地をそのまま残せば、資金の回収はできなくても森は守られる。投じた税金は無駄ではない。環境団体が主張する国営公園構想などを探ってはどうか。
 半年間の期間中に二千五百万人が入場すると見込んでいるのも過大だ。こんな想定をするから、全体規模が大きくなり、金もかかる。発想を転換すべきである。
 通産省や県は、五月のBIE総会に万博計画を諮り、正式な登録を受けたうえで、各国に参加を求める活動に入るという段取りを考えていた。BIE側の態度からみて、スケジュールの変更も予想される。
 ならば、いい機会だ。跡地開発の撤回はもちろん、計画全体を「自然との共生」の観点で根本的に練り直してはどうか。それでこそ、「環境万博」の名に値する。

●●●HomePage管理者のコメント●●●
 開発最優先という「裏マニュアル」のもとで露呈した愛知万博です。
でも、よく考えると私たちの身近でもそういう事柄は多々あると思います。
地域活性・生活向上・景気浮上等の名目で開発は強行されています。
・・・で、その結果が、自然環境破壊、地域破壊、弱者負担増・切り捨て等様々な大きな負の結果をもたらしています。
 今回、愛知万博での危機的失敗が朝日新聞の社説にまで登場したのはペリーの『黒船』!?と同じ西洋系・アメリカ系問題提起かつ圧力があったから・・・と思ったのは私だけのうがった見方でしょうか。
 学習効果もなく同じ過ちを繰り返し硬直した行政を押し進める今の日本は、どうみても滅亡に突き進んでいるとしか思えません。

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