Back(雑学へ)

『ポスト原発』への備え

豊富な選択肢必要  増殖炉の研究費 圧縮を(日経00-02-19 サイエンスアイより)

 「脱原発」論議が高まる兆しを見せている。核燃料加工会社、ジエー・シー・オー(JCO)の臨界事故など一九九O年代後半に立て続けに起きた三つの原発事故で不安、不信が極みに達したためだ。現代社会は一連の事故から何を課題として読み取るべきなのだろうか。
   ◎  ◎
 脱原発論議は今、さまざまな場所で聞くことができる。
 例えば原子力委員会が原子力政策に国民の意見を反映させるために設けた原子力政策円卓会議。一月中旬の会合で座長を務めた慶応大学の茅陽一教授は「脱原発シナリオを検討すべきだ」とする意見を拒まず、原子力委ヘの提言に取り込む考えを示した。
 脱原発論議は、二十世紀のエネルギー供給を支えた原子力発電所に代わる「ポスト原発」を探る議論でもある。北欧には国民投票で国内の原発を廃止する決定を下した国もある。スウェーデンだ。
 だがスウェーデンの選択は実施段階で難航を極めた。これまでに実際に閉鎖した原発はわずか一基だけ。太陽光などの新エネルギーが有力な電源に育たなかったからだ。その苦労を熟知しているはずの日本でなお脱原発論が起きるところに原子力問題の根の深さがある。
 日本の場合やっかいなのは将来のエネルギー確保の主役と位置づけた高速増殖炉と増殖炉を支える核燃料サイクルの分野で集中的に大事故が起きたことだ。 九五年にナトリウム漏れ事故を起こした「もんじゅ」は増殖炉。九七年に火災事故が起きた再処理工場は核燃料サイクルの要(かなめ)。JCOの事故は「常陽」という増殖炉で使うウラン燃料の製造ラインで発生した。新技術は安全性の面で問題を残した。
 そこで、こんな問いを立ててみよう。日本という国は「ポスト原発」ヘの備えをほかにも十分にしてきたのか、と。答えは「ノー」に近い。
 サンシャイン計画などの新エネルギー開発計画は確かに存在した。しかし過去に一兆六千億円に達する資金を投じた増殖炉や核燃料サイクルと比べると規模ははるかに小さい。日本は、かけ事に例えれば「一点買い」かと思えるほどの選択しかしなかった国である。
 ウラン燃料を現行の原発より数十倍も有効に活用できる増殖炉と核燃料サイクルに捨てがたい長所があることは否定しない。もし実用化できれば少資源国、日本には大きな恵みとなるだろう。
 だが増殖炉と核燃料サイクルに固執するあまり、他の選択肢を軽視するエネルギー政策はそろそろ終わりにしたい。太陽光や風力、地熱、燃料電池。私たちは「ポスト原発」に備えて豊富な選択肢を持っておきたい。その研究資金は、増殖炉と核燃料サイクルの研究費を圧縮しても捻出(ねんしゅつ)すべき性格のものだろう。
   ◎  ◎
 「脱原発」論議のかたわら、日本では今、計画された原発の新増設がほとんど不可能になりつつある。事実上の「原発モラトリアム」の始まりだ。そして原発モラトリアムの時代に役立つのもいくつもある新エネルギーの選択肢と考えるがどうだろうか。
(編案委員中島彰)

●●●HomePage管理者のコメント●●●
「原発生コン 大量加水」関西電力美浜原発3号機(朝日新聞2000/02/18)とJRのトンネル工事の手抜きと同じ事を原発でもしていたという報道。そして、「三重県知事の撤回要求受け 中部電力、芦浜原発を断念」(日経00-02-23)と矢継ぎ早に原子力行政の破綻が報道されています。 
両者に共通するのは純粋に利潤の追求です。
   前者は、手抜き工事で儲ける・・・・・。
   後者は、原発は他の発電方法より発電コストがかかりすぎる・・・・。
・・・安全性の確保など「へそ」の垢ほども無い・・・と思うのはHP管理者のひねくれた性格でしょうか?
追記:「爪」を「へそ」にしたのは大事なところだとの想いがHP管理者にあるからです・・・。

Back(雑学へ)