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危機管理とリスク管理

混同の危うさ潜む
       社会的コスト踏まえ活用    (日経 2000-03-04 サイエンスアイより)

 事故や災害が起きる度に、耳にたこができるほど聞かされるのが、日本には「危機管理」の仕組みも意識もないという慨嘆である。その一方で、環境問題などでは「リスク管理」という言葉が頻繁に登場するようになった。この二つがまるで同じものとして論じられているところに、日本の危うさがある。
 たとえば、茨城県東海村の核燃料加工施設で起きた臨界事故。事故発生以降の対応は、危機管理の問題である。事故の本質を素早く把握し、被害を最小限に食い止め、二次的三次的危機の拡大を抑え込む。
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 事故を起こしたジェー・シー・オー(JCO)はもちろん、村や県もそれぞれ危機管理マニュアルを備えて、即座に動き出すことが必要だが、原子力の場合、強大な権力を持つ国が指揮命令系統を把握して、的確・俊敏に対応することが危機管理の基本だ。
 一方、リスク管理は、危機が発生する確率を、いつも一定以下に保つ努力のことだ。臨界事故など起こるはずがないとしていた、JCOの作業管理や国の安全審査は、臨界事故に関するリスク管理をはなから放棄していたことになる。
 容器の形状や容量を工夫し、安全教育を徹底するリスク管理を進める一方で、万一の危機には、すぐに的確な鎮静化措置がとれる仕組みを用意しておく危機管理が重要になる。両者の性格は違うが、どちらも社会の安全には不可欠である。
 問題は、リスクはヒトやモノや情報が動くときに必ずついて回るという意識が日本社会には希薄なことだ。公害等調整委員会事務局の佐藤雄也さんは、大量生産、大量消費、大量廃棄という原理で回ってきた社会のつけとして、ダイオキシン、原子力の安全性など、リスク管理の視点で処理するしかない難題が日本社会にたくさんあるという。
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 焼却炉の排煙規制は、有害物質に長期間さらされても、健康にほとんど問題を生じないレベルで、相当に厳しい基準を設けることになる。この基準を少しでも上回ったら、その焼却炉はすぐに止めるべきかどうか。要するに日常的なリスク管理の基準と、危機管理の措置である運転停止の基準が同じでいいのかという問題がでてくる。
 普通に考えれば、基準は守るためにつくるのだから、それを超えたら運転停止が当たり前ということになる。この論理ですべて処理できれば、それにこしたことはない。
 他方で、リスク管理の基準は、十分な安全率を見込み、すぐに人間の健康に影響する値の百分の一に設定してあるのだから、それを少し上回った程度なら、短期間は運転を止めずに原因を調べて、対処してもいいのではという見方もある。
 強制的に、即座に焼却炉の運転を停止させる基準は、健康への影響が確実とされる値の十分の一くらいに設定して、リスク管理と危機管理の基準値を明確に分けるという方法も一部では提案されている。
 将来は循環型社会の枠組みで、廃棄物と環境の問題は徐々に解決していくとされているが、二十世紀の日本社会が残した大量消費の膨大な残洋(ざんし)の処理は、社会的なコストとの見合いで進めるしかない。それはリスク管理と危機管理の効果的な活用である。
 (編案委員 塩谷喜雄)

●●●HomePage管理者のコメント●●●
 「危機管理」と「リスク管理」の考え方で生活環境と生産活動のバランスをとるという事は、今後も必要とされるのは私も同感です。
・・・ですが、「誰が、どうゆう基準で、判断し、決定する」かで今まで公害等で環境破壊・生活破壊が繰り返されてきた経過があります。
そして、公害等で環境破壊・生活破壊を未然に防いできたのは企業や行政ではなく、地域や現地の住民であったことは周知のことです。
 今後、企業や行政が「危機管理」と「リスク管理」をきっちり取り込めるかで、「未来」が少しは変わるのでは・・・。

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