平成13年9月21、22日杭州1泊ツアー
  硬座の座席に私を乗せたK809次の列車は定刻どおり7時26分上海駅を 出発した。「西湖風光二日遊」のスタートである。昨日、人民広場付近の旅行 社で申し込んでの旅である。列車は途中「嘉興」に停車し、約2時間20分で 「杭州」へ到着した。この駅で集合だ、いろいろの旅行社が旗を掲げている。 「西湖風情」の小旗を捜さねば。
  約15名を乗せたマイクロバスは杭州駅前を出発した。ガイドがマイクで喋 り出す。半分ぐらいは何とか解るかな?いや3分の1程度であろう。ともあれ ほんものの中国語の実地体験である。湖南省からのご夫婦、親子づれ、湖北省 からのご夫婦、貴州省からの若者達、上海からの人・・・そうそう、台湾から 来ている人がいました。彼は私と同じ一人旅、宿の部屋は彼と同室になりまし た。台湾から中国大陸へは香港を経由しなければならないそうです。
  中国六大古都の一つ杭州は南宋の首都だった。開封を都としていた北宋は北 方民族「金」から逃れ1127年杭州へ都を移したのです。日本では平安時代 末期のころです。国家、文化の大移動が起こったのである。江南が文化的にも 経済的にも発展するきっかけになったであろう。
  このツアーで観光した所は
        黄龍吐翠、雲栖竹径、錦繍風水洞(1日目)
        西湖、虎駆泉、飛来峰(霊隠寺)(2日目)
素晴らしいと思ったのは、錦繍風水洞、西湖、飛来峰です。
  錦繍風水洞は山口県の秋芳洞のような所だが、作り出されたさまざまな形の 鍾乳石は目をみはるものがある。鍾乳石の造形美は秋芳洞をしのぐと思う。絵 葉書を求めたが置いてありませんでした。
  西湖は杭州を代表する名所である。春秋時代の絶世の美女「西施」にちなん で名づけられた西湖はどこから見ても美しい。春秋時代は呉(蘇州)越(杭州) の時代である。観光地として手入れも良く行き届いている。夜、白楽天が修復 したと伝えられる白堤を散歩してみました。
  飛来峰(霊隠寺)の磨涯仏は一見の価値はあると思う。 杭州駅は最近立て替えられたのであろう、コンクリート作りのがっしりした 威厳の感じられる駅でした。帰りは17時42発の列車で、上海へ着いたのは 20時を少し回った頃でした。(費用:1泊4食付、旅費込み356元)
  時は春秋時代の末期(紀元前6世紀末)「呉越同舟」のことわざで有名な呉越 の時代である。蘇州は呉国の王「夫差(ふさ)」、紹興は越国の王「句践(こうせん)」 であった。夫差と句践は3度戦っている。1戦目は句践が勝ち2戦目は夫差が勝った。 負けた句践はいずれは!と窺がっていた、句践はいろいろ 戦略を考えたのであろう。その中の一つに、美女を献ずる作戦があった。
  美女を捜し、教育し送り込まれたのが「西施」であった。何年か後、呉は越にほろ ぼされてしまう。呉滅亡の一つの要因に、呉王夫差が西施の美しさに溺れてしまった とも言われている。
  呉滅亡後、西施はどうなったのか?いろいろな説があるようです。ともあれ西施は 「傾国の美女」だった訳です。また、西施の美しさは憂い含んだ美しさ、少し病気が ちな面影を持っていたようです。
  西施は夫差にねだって西湖の湖畔に豪華な別荘をたてさせたかもしれない。その別 荘から憂いを含んだまなざしで湖畔を眺めていたかもしれない。しかし、夫差と共に いる時、夫差を裏切ってやろうとずーと思っていただろうか。そんなに強い女性だっ たのだろうか? ・・・約2500年まえの故事である。