平成13年9月23日『周庄』日帰りツアー
  「周庄」は日帰りツアーで行けることは前日調べておいた。朝7時頃上海駅近く の旅行社へ飛び込む。「周庄」へ行きたいが何とかなるか?と・・OKであった。 8時頃また来てくれとのこと。
朝8時15分私を含め11名を乗せたマイクロバスは上海駅近くのホテルの前を 出発した。目的地到着まで約1時間半だそうである。 今回は以下に現地で買った案内地図に書いてある紹介文を訳して紹介しよう。

  江蘇省の周庄鎮は蘇州市の東南38Km,昆山市の西南33Kmにあり、まるで 美しい真珠が上海大観園の淀山湖にはめ込まれたような所で、約900余年の歴史 を持っている。
  春秋戦国時代、周庄は呉皇帝の王子「揺」の領地で搖城とよばれていた。北宋元 祐元年(1086年)周迪功の郎舎を寺にして以降「周庄」と呼ばれ始めた。宋の 高宗が杭州に都を移して後、人も徐々に増えていった。

  元代中期、沈万三は周庄鎮の北側、白研江の水運を利用して、西は「京杭」大運河とつなぎ、東北は劉河から 海に出て外国と貿易を行い、江南地帯の富豪となった。そんな中で周庄は食料、絹 織物、陶磁器、工芸品の集散地として、江南地帯の重要な町に発展した。
  この旧町内の河筋は「井」という文字で住宅が河沿いに建てられ、水路自体が町 になっている。元・明・清代の古い橋が14個あり、その中には国内で唯一の 「橋楼富安橋」という有名な二重橋がある。
  約千世帯ある家屋のうち約60%は明ないし清の時代に建てられたものである。その中には明代の中山王の徐達の子孫に よって造られた「橋が門前にあり、船が住宅を通り行く」という「張庁」。沈万三 の子孫によって造られた七つの入り口の五門楼閣の「沈庁」。また、葉楚愴の旧居、 柳亜子や陳去病が詩を書き、酒をたしなんだ迷楼、その他、修復されているが宋代 の建築「澄虚道院」、水中の仏閣「全福寺」などがある。

  呉冠中は「黄山は中国の山川の美を、周庄は中国の水郷の美を代表している。」と 書いている。周庄は中国第一の水郷である。

  まさしく江南のクリークである。地図を見て下さい。湖が有り河が有り、そして地図 には書いてないクリークが張り巡らされている。周庄は確かに一度は観ておきたい所だ。 観光地として良く整備されている。・・・杭州観光で一緒だった台湾人は「同里鎮」が いいよと進めてくれたのだが、私が訪ねた旅行社はやっていなかった。(周庄の直ぐ上) 多分彼は「同じ水郷だが、同里の方が、周庄に比べ観光地化されていないぶん落ち着け るよ!」と進めてくれたのだろう。(費用:昼食付き180元)