ハルピンにて
平成19年9月17日(月)ハルピンにて

  ハルピン(哈爾賓)と言う響きからなのか、ロシアに近いせいなのか、なんとなく引かれる町である。 中国語では、「ハーアルピン」と言う。
  ハルピンは黒龍江省の南部に位置し、黒龍江省の省都であり、政治、経済、文化、交通の中心である。 市部の人口464万人。歴史的には、西暦1115年女真族による「金」王朝の建国にはじまる。北宋 の時代である。日本では鎌倉幕府成立前である。1234年蒙古に滅ぼされる。
  19世紀末、ロシアの南下政策と東清鉄道(ロシアが建設)の開通により急速に発展、ハルピンは帝政ロシアの支配のもと 近代都市に変貌した。現在もロシア風の欧風建築が数多く残っており他の都市には見られない街並みが 見られる。
  日本との関係は1931年柳条湖事件(満州事変)の翌年から、日本軍が武装占拠し日本の支配下においた。 その後日本人の移民が推進されたが、1945年の日本敗戦で終わりとなる。また、 1909年10月26日ハルビン駅で伊藤博文が暗殺されている。
  16日ハルピン駅へキップを買いにいったのが午後4時であった。翌日は、1日市内観光ツアーを申し込む。 郵便局へ行き絵葉書を買い求める。その後ホテル近くをうろつき食事をとる。食事は、土鍋+壇肉+米飯 で11元そしてビール1本。絵葉書をしたためるべく早々にホテルへ引き上げる。
  翌日の1日市内観光ツアーで行った所は、アジアで一番高い鉄塔(龍塔336m)、ロシア工芸品展示場、太陽島公園、 聖ソフィア教堂広場で解散場所はスターリン公園前であった。
  公園前には防洪紀念塔があり、公園 のそばには松花江の流れがあった。また川と反対に行くと中央大街であった。松花江の夕日を見て中央大街へ 中央大街はユーロッパ風の建物が立ち並ぶ石畳の歩行者天国であった。1件のロシア産品のお店に入る。お土産に 小さなお人形を6個買い求める。通りでは中秋節も近いので月餅の販売が盛んであった。食事は、この通りの屋台 で済ませることにした。帰りは歩いてと思い、夕涼みをしているおばさんに尋ねると、歩いたことはない14番のバスに 乗れと言う。
  1月の平均気温が摂氏−20度、その頃は松花江は氷に包まれるのであろう。冬の氷祭りは有名である。一度 その頃に訪れて見たいような気もするが、マイナス1,2度の経験しかない者にはチョット気が引ける。
  ハルピンの一番の見所は、やはり中央大街であろう。中国では路上での販売光景を良く見るが、ハルピンでは 靴磨きの姿が目に付いた。また、ホテル近くの屋台で食べた羊の串焼きを焼いていたのはウィグル人であった。