平成19年9月18日(火)長春にて
  新京市街地図を見ている。100元であった。ぼられたと思っている。やさしそうな白衣のおばさんの顔が目に浮かぶ。 地図は康徳7年1月1日発行となっている。康徳とは満州国の元号で、康徳7年は昭和15年(1940年)である。 満州国は1932年(大同元年)3月1日建国し1945年(康徳12年)8月18日に幕を閉じる。
  1940年の出来事を調べてみた。2月11日の建国記念日には皇紀2600年(紀元2600年)の祝典が行われている。 また、日独伊三国軍事同盟が結ばれている。ドイツはパリに攻め込み破竹の勢いである。日本は支那事変が泥沼化している。 戦争拡大へ向かって騒然とした時代であったのであろう。
  地図は旧満州国国務院で買ったものである。入場料は20元であった。親切そうなおばさんがマンツーマンで 廊下、階段、エレベータなど丁寧に説明してくれました。もっともお客は私一人でした。建物は、吉林大学の医学部 の校舎として使われており、講義の風景が垣間見えました。説明が終わったところで、この地図をお土産に良く買っていかれますよ! と薦められた。また当時のお札集を1万円で薦められました。
  さすがに断わっていると、5千円までになりましたが、それは買いませんでした。 地図は、買ってどうするの?と思いましたが値切りもせず買ってしまいました。彼女の丁寧な対応に感謝の気持ちがあったのであろう。一種の暗示にかかったようであった。
  ハルピン駅を8:40に発車した列車は、ほぼ定刻どおり11:10長春駅へ到着した。まずは寝る所。駅前で探す、格式のありそうな 春誼賓館を尋ねる、1泊280元とのこと、どうしようかと迷ったが、別途探すことにする。近くの天地賓館へ飛び込む。1泊150元 であった。少し安すぎるなと思ったが、泊まることする。格式のありそうな春誼賓館は満州時代の大和ホテルとのことであった。 新京市街地図には「ヤマトホテル」と書かれていた。
  旧満州国国務院へ行こう!新民大街へ行けば何とかなる。ホテルに荷物を降ろした後、駅前でバスに乗る。どこで降りるかは、 一つ一つのバス停を確認するしかない。ほぼ近いところで下車したが、新民大街を探すのに地図を片手にウロウロする。 何とか見つけたが、通りは広い国務院へ到着するまでかなり歩いてしまった。
  国務院の見学後は、タクシーで「偽満皇宮」へ偽満皇宮は満州国の皇帝「溥儀」の住まいである。すなわち宮殿である。日本人は満州国というが、中国は偽満州国と言う、 確かに日本がでっち上げた傀儡政権であったのは間違いない。入場券を買い中に入ると、すぐ左手に馬場があった。
  宮殿はAAAA級の博物館として整備されていた。建物の一つ一つの部屋を見学、日本語の解説はありがたかった。建物の正面に 江沢民氏の「勿忘九・一八」の石碑が設置されていた。1931年9月18日(満州事変勃発の日)を忘れるなと言う意である。 その石碑を私が見た日も9月18日であった。ここで、長春大学2年生の女の子と知り合いになりました。何かの縁でしょう!


  宿の近くにバスターミナルがありました。よし、瀋陽へはバスで行くことにしよう。キップの購入は明日だ。