平成14年7月17日(水)五嶽独尊、中国山東省の「泰山(1545m)」へ
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  とうとう来たぞ!ここが泰山登山道の起点「一天門」である。さあ標高1545mの泰山へ 登ろう!6500余の石段を一歩一歩あるいて。調べると「一天門」の標高が約350mだか ら約1200mの標高差の挑戦である。(午前8時)
  「一天門」を過ぎてすぐ「孔子登臨処」そして「紅門」、しばらくして「万仙楼」、ここで入山 料60元を支払う。ここまでは坊も多くにぎやかな感じである。斗母宮、柏洞、壺天閣まで は、わりと緩やかであるが、廻馬嶺からの石段は少しづつつらくなる。この廻馬嶺は唐の 玄宗皇帝が馬に乗って、道をまわした所だそうである。(地図はクリックすれば大きくなります)
  やっと中天門へたどり着く。ここまで自動車であがれる。そしてこの中天門からロープウェーで南天門まで上がることができる。  ともあれ一休みだ、レストランへ入り山頂を見ながら冷たいビールを1本”グビッ”とやるこ とにする。ここの標高は940mである。
  中天門からは雲歩橋、望人松、五松亭、対松亭、升仙坊、南天門と続く、対松亭から 南天門までの約1Km(約1600段)は「十八盤」と呼ばれ(正しくは「摩天雲梯」)、 最も険しいところである。  
  特に十八盤中間点の升仙坊から南天門の石段は登るだけで 1時間近くかかったような気がする。ゆっくりとリズムを取って登っている荷担ぎ人夫の方たち の一歩一歩が痛々しく感じられた。
  南天門へ到達すると、着いたも同然である。天街、唐摩崖、碧霞祠、玉皇頂と続く。南天門 から碧霞祠までを天街といいホテル、レストラン、みやげ物店などあり、街になっている。(スタートから約4時間半であった。)
  まず、ホテルをとらなくては、玉皇頂に一番近い神憩賓館へ飛び込む。1泊500元と表示 してある。安くならないかと交渉、350元と答えが返ってきた。確保する。日の出は4時55分 4時半にモーニングコールするとのこと、また、お湯は夜8時半から11時半の間だけ出るとの ことであった。一応三ツ星クラスのホテルらしい。その後夕方まで頂上付近をうろつくことにした。
  とにかく石碑が多い、中でも唐摩崖の刻石は唐の玄宗皇帝が書いた「紀泰山銘」という石碑 で、でかい、1千文字書かれてあり、唐の開元14年(紀元726年)に刻まれたそうである。 また、有名なのが「五嶽独尊」(中国五岳の中で一番)の文字である。
  早朝4時40分ホテルを出る。日の出を見よう。日観峰へ向かう。たくさんの人々が日の出を見ようと集まってきている。 4時55分、5時を過ぎたが、雲が多く”旭日”は見ることできず。残念であった。
  6時半ころホテルをチェックアウト、下山を開始する。歩いて登ったのだから、やはり歩いて下りることにしよう。 下山は同じルートを通り「一天門」を過ぎ「岱廟」まで下った。下山もきつかった。下山はロープウェーで下り、別の角度からの 風景を見ればよかったかな!
  昔、泰山は大山、太山、天孫、岱山、岱宗、岱岳、東岳などいろいろ呼ばれていた。中国五岳の 一つで済南市と泰安市の間に位置している。秦や漢の時代以来、秦の始皇帝、二番目の皇帝 前漢の武帝、後漢の光武帝、章帝、唐の高宗皇帝、玄宗皇帝、宋の眞宗皇帝などは皆泰山で 封禅儀式を行ったそうである。また、清の康熙帝と乾隆帝は何回も登ったそうである。孔子含め 有名人も多く登っており、現在も多くの人々が泰山詣でに来るそうである。世界自然文化遺産となっている。
  (路上の物売りは多かった。)

  ここで、登山中の出来事を一つ、南天門より私と抜きつ抜かれつしていた若者が一人いた。彼は 立ち止まっては、分厚い手帳に何かを綴っていた。のぞくと、アラブ、シリア方面の文字であった。
  一番きつい「十八盤」の途中で、スイカ、瓜、トマトなどを売っているところがあり、 そこで私は瓜を買い、適当なところに座り、瓜をかじっていた。皮もむかず丸かじりである。そこへ、 彼が登ってきた。私を横に見て通り過ぎようとしていた時、いえ、チョット通り過ぎて、足が止まり突然声 を掛けてきた「ハオチー」(中国後でおいしい?)・・・私は「ハオ(好)」と答えた。・・・彼は瓜を買い、 かじりながら登って行った。
  翌朝、下山途中、また彼は私を追い抜いて行った。・・・外国人同士のたった一言の会話の物語でした。

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